沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩488 検証 24の7

2013年10月23日 10時20分15秒 | 政治論

 アーモン・ゲートが、知人と談笑中急に思い立ったようにバルコニーに走り、既にそこにいつでも用意されている銃を持つと、収容者の一人を理由無く狙撃する。収容者....ユダヤ人、ジプシー、などの「絶滅」すべき人種に属する人々の一人がその場に崩折れると引返して何事も無かったかのように談笑を続ける。これをケスラーは「スポーツ」と呼んだが、このスポーツ的殺人ゲームを繰り返した人間に目を凝らすと、彼の鈍化した人間性よりも彼をそのような行為に導いた元凶たるナチズム(第三帝国とアーリア人優越主義)を想起せざるを得ない。同様に、ヒトラーという怪物が国家社会主義に取付かれ第一次大戦で疲弊した母国ドイツの国家再建を目論み、ユダヤ系共産主義者カール・マルクスが分析検証総合した資本主義の堕落を読み取りかつ無産者革命を企図する共産主義自体を憎悪し、理屈抜きの雄たけびを上げて軍国的恐怖国家へ誘った、今で言えば明らかな「狂気」に楔をぶち込む必要性に気が付く。一方、アーモン・ゲートのような機械的無反省な仕事人間かあるいはあらゆる人間的な弱さ、物欲、我欲、執着、に支配された獣的な存在は、我々の周辺あるいは我々自身のなかに、到底払拭できない永続性においてあり続ける滓(おり)のようなものであり、そこら中に蔓延するそれらから目を背けることはできないのだ。(つづく)