「政治」は、それがどう定義されるのかが問題となるのではなく、又、歴史的な経緯を持った事実関係から、一般的抽象的に割り出される代物でもない。当然そこでは政治の担い手を如何にして選び取るか(間接直接)などということは全く問題にならないし、イデオロギーとして想定されるあらゆる議論(資本主義社会主義)と、その展開が本質的に重要となることもない。
前提される統治形態(国家、集団社会、組織的結合)を排除すれば、それは至って単純な問題に帰一する。政治は「まつりごと」であり、特殊な非日常的な催事にほかならない。
政治(まつりごと)に意味があったのは、人々の祈願事に対して代理的にあるいは代表的に信任された、巫女神女神官という地位が、絶対的君臨者あるいは超越者を想定した場において祝詞(のりと)を上げた時代においてである。
合理的精神の自然淘汰(神の死)と、科学的裏づけ(科学的発展による未知への永久的信託)が決定的になるにつれ、こうした地位、場、意味が次第に本来性を喪失し、別種の祭祀となって開放され、今に見る催事に究極した。
琉球における祭祀が、私見によれば古来からの絶えざる伝統芸能に昇華し、現代にあって極めて稀有な芸術性を示していることからすると(その成り立ち、経緯、政治的逃避性は別として)、日本国国土にあっては「政治(まつりごと)」に意味を持たせ得る唯一の自治体とさえ言える質なのだが、これとは別に、意味あるべき本土のまつりごとが、少しも住民を充足しない現状では、こうした政体を破壊するか漸進的に改善する方向へ進む以外ない。
民衆には完全に辺地辺境的地位に貶めるような、本来性の及ばない政治主体を中央に抱えるなんらの理由もない。琉球独立論、あるいは琉球完全自治化は必然に考慮されるべき事由に在している。
それらの功罪を今から論っても詮方なく、むしろこうした方向性を有効に政治問題とすることができるのかどうかだ。ここで初めて政治が現代的に定義づけられるべき理由を発生する。しかもこの点においてさえ琉球は、特殊に非日本的な立場に置かれている。つまりこの問題を扱うことは独立した自治体としてではなく今まさに隷属的に組み込まれた状況で内発的に発信しなければならないハンデを抱えているわけで、ここに琉球における独立や完全自治の政治問題の有効化が困難な事情がある。(つづく)