福井県原発立地4市町(高浜、美浜、おおい、敦賀)で構成する「原子力発電所所在市町協議会」が、官房長官に、早急な「原発再稼動」の決断と、「原子力の必要性」を明記したエネルギー政策の明示を要請した。勿論協議会要請であってこれを地元の意見として参考に資するにしろ、再稼動するかどうかは、第一に、甚だ心もとない規制委員会のゴーサインほか国が決めることとて、その実現には可也のハードルを越える必要がある。この地元の意見というのはトータル的には地元経済の死活問題が最大の理由であり、実際にこれらの過疎地には原発で食っていく人が大勢いるわけで、なんの手当ても財政的移行措置もなく廃炉とするのは政治機能として極めて無責任な話ではある(尤も廃炉作業自体ひとつの重大な長期の経済業務でもある)。かといって福島第一原発の重大事故に関し、福島県の、しかもあの地域だけに特化して政治的に考慮する理不尽さと偏頗さ、あるいは片手落ちという悪弊を無視して、如何にしてこの国の全県的視野に立った政治が成り立ちうるかと考えたとき、こうした再稼動要請は所詮地域エゴにしかならない。明らかに安全神話が崩れ、廃炉にしてさえなお問題を永続的に抱え、世界有数の地震国に立地した原子力施設というものは、誰が見ても「トイレのないマンション」などという生やさしいレベルにない、人類史上の最大の禁じ手以外の何物でもない。全世界のこうした施設を完全に排除することしか方途はない。一方例えば沖縄県における基地のたらいまわし(普天間基地代替施設の辺野古利用)に対し県民が怒るのは当然でこれをしも地域エゴというのなら、それはそういう彼等自身の差別的性格を露呈しただけのことだ。(つづく)
筆者は戦後生まれの、戦争を知らない世代の一人だが、感興的に、戦後の比較的平穏な生育期が好奇心の触覚を平穏でないものへの傾斜として働かせるのを見ている。昭和25年6月は朝鮮動乱の起こった年であり(昭和28年までつづく)、米ソ冷戦の代理としての熱い戦争が戦後5年にして早くも始まったのだった(この事実が、敗戦国である戦後日本の異常な主体性の欠落につながったともいえる)。しかもこの戦争の特需景気が戦後日本の起爆剤となり、神武景気岩戸景気と昭和30年代へ敗戦国復興の火蓋が切って落とされたのだ。つまり日本国の経済的な復興は半島における米ソの代理戦争によって齎されたのだった。尤も景気などというものは何によって良くなるかあるいは悪くなるか知れたものではない。実体経済の成長や基幹産業の興隆が骨格となるがアベノミクスのような市場経済の動向によって上辺の景気浮揚を図るというのは必ず最後に座礁するに決まっている。残念なことにその後の東京オリンピック景気以来バブルが弾けるまでこの国の土性骨は大方機械的な統計、数値、確率、効率主義によって牛耳られ、所謂マネーゲーム的な机上業務によって「額に汗せず」稼ぎまくるエコノミクスアニマルを飼い込んだ、不健全な経済興隆を手にしたのだった。その結果が現在のこの国の救いがたいていたらくである。逆に言えば「ものづくり」を主体とする実体経済の担い手が世界に類のないスキルをものにし、細々とだが確実に「世界性」を手にしつつあったということでもある。マスコミマスメデア、言論界、政治家、挙って上っ調子な戦後日本を煽りたてここまで堕落した国柄に貶めた、その罪は重い。所得倍増計画、高度経済成長と、昭和30年代の日本国が一億総中流時代を現出したことは、この時代に青春期を迎え、反発と抵抗、理由なき自己主張、といった、突出するエネルギーのはけ口が政治運動に向かい、自由を謳歌し踊りまくった全共闘世代の生産に一役買っていたことは間違いない。このエネルギーの無駄遣いが連合赤軍の異常な「悪霊」的結末に至った。(つづく)