官憲は、治安維持法に則って何故ああもどぎつく反共防共思想に凝り固まったか。レッドパージは、何故アメリカの50年代の猛然たる旋風にまでなったのか。米国国家安全保障政策、乃至情報諜報防諜システムの無欠の完備は、ただひとつの敵のために世界中を席巻することになった。戦前、小林多喜二の拷問惨殺を、単なる官憲の過剰公務執行とみなして止むほどその行為は単純でない。日米防共軍事同盟(日米安保)は、取りも直さずあの日独伊三国防共協定の引き写しではないか。時代が前後するが、これらの国策にみるのは戦前も戦後も、日本国乃至米国の反共防共思想に、全く変更はないということだし、20世紀に入って世界を経巡ったあらゆる戦争は殆ど「カソリズム対コミュニズム」を主題とした交響楽であった。一方今、戦前の皇室皇族関係の資料を紐解いて明らかに言えることは、結局、天皇制死守「国体護持」のために共産主義をその最大最悪の敵と見る必要のあったことが散見されるし、実際日本共産党にあっては、天皇制を否定しその莫大な財物の人民返還を迫っているし、当然ながら戦前においても、反戦非戦思想とその意思を明確にしている唯一の党派であった。従って、とりわけ皇族の中の政治的塊にあっては、明らかな反共防共の考え方に徹していること尋常ならざる勢いがあった。天皇制絶対主義と皇民化教育の根底には、共産主義乃至反天皇制思想を徹底的に排除駆逐し、これらから天皇制を守護するためのありとあらゆる手段を講じて止まない官憲の機械的でさえある職分があった。(ナチのゲシュタポに匹敵するかどうか知らないが)敗戦後天皇裕仁にソ連社会主義の脅威が目前に迫り、戦々恐々として自己保身的「国体護持」に走った形跡は、この期に及んで益々危うくなった天皇自身の身の振り方において、例えば琉球島嶼を防共最前線とすべく米国にその永続的占領統治依頼メッセージを伝える必要があったし、その祈願に近い戦後日本の安寧のためには琉球の人身御供的犠牲は、そこに住む人民の意思に関係なく必要と踏んでいた。つまり琉球にとって昭和天皇乃至皇室皇族というのは、日本国の一員である限り永続的に敵に違いないのである。(つづく)
最新の画像[もっと見る]