アメリカ合衆国の沖縄軍事植民地処遇と、日本国政府の、日米安保堅持方針による国内米軍基地展開自由放任という有り様は、沖縄の人権闘争に対し常時無回答であり続ける固定的な自動機能システムだが、要点は、沖縄に過重な基地負担を押し付けている現状に関し、当初(大田知事時代)の段階的解消計画に基づく「普天間返還」が、米国の国家安全保障政策(1960年代)において予め計画されていた「辺野古移設(新設)」という条件を付すことにより、沖縄の負担軽減とは真逆の新基地建設という欺瞞性に満ちた局面を現すにいたり、沖縄の怒りを決定付けたということになる。
ここでは、先ず米国による沖縄の軍事植民地視乃至戦勝国占領地視と、「日米地位協定」による米軍基地関連の「治外法権」体質を、ほぼ現実に生じた事案に沿って「申し入れ」の内容でしか対応できてない日本国政府の、沖縄に対する不当な不平等な政治的封建遺制放置状態が、近現代政治理念の方向性に著しく逆行するものとして捉えられているということだ。
米国の沖縄植民地視の因源については、日琉関係史における琉球処分等、日本国の異民族圧制という米側認知がまずあって、大戦時沖縄占領が琉球の日本からの解放に等価するという意識を生み、敗戦後米国的政治スタンスにおいて信託統治形質を自然醸成したと考えられる。
沖縄返還時、日本政府は大嘘をつき、ただ単に「潜在主権」なる奇妙奇天烈な日米協定の正体を「基地存続核付き」という内容で卑劣にもアリバイ証明しただけの、沖縄特化政治の開始という段階に突入していった。
日本中が国内人種差別、しかも根拠のない異族視?という、日本国常民レベルでの精神的封建体質に覆われた。戦後体制の基本としてあった「軽負担経済復興その後の高度経済成長」としての吉田ドクトリンは、便利すぎる精神的偏向を助長しつつ、自由競争と弱肉強食乃至自然淘汰的な動物的エゴイズムを養生し、政治的な無知、無関心、無責任、無頓着な戦後世代精神風景を助勢したと、精神分析的には言えそうだ。この政治的な無責任体質について常民レベルに転嫁するのは愚である。しかしそれでも、日本国民の精神風土、体質はあらためて罪深いものがある。(つづく)