沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩596 LITERA記事 山口敬之準強姦事件を海外メディアが大々的に報道! NYTの直撃には山口がまたぞろ卑劣コメント

2018年01月07日 10時40分31秒 | マスコミジャーナリズム

山口敬之準強姦事件を海外メディアが大々的に報道! NYTの直撃には山口がまたぞろ卑劣コメント

http://lite-ra.com/2018/01/post-3720.html

通常こういう場合、報道は腐った山口何某のコメントなど完全に無視して海外報道の様子だけを報じればよい。問題は山口何某の、明らかな犯罪的性格にある行為に関し稼働しない日本の司法自体が問題であって、全ては安倍忖度の堕落した日本社会がその質を問われる事態である。

 

詩596 沖縄タイムス記事 [読書]辺見庸、目取真俊著「沖縄と国家」 本土と手を切る「警告」

2018年01月07日 09時02分18秒 | マスコミジャーナリズム

[読書]辺見庸、目取真俊著「沖縄と国家」 本土と手を切る「警告」

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/191808

沖縄特集と銘打つと売り上げ部数が如実に伸び悩む  沖縄の基地問題は、日本全体の問題であり、日米関係の矛盾の濃縮したかたちでの表れなのだ、という認識が本土ではいまだに広まっていない。だから政府は、「反抗的な」翁長県政を懲らしめるために、来年度の沖縄振興予算の削減を平気で行える

 辺見庸氏はこのような本土を、「思考力と記憶力と反抗心」を失った「愚民」の住む「クソみたいなところ」と容赦なく形容し、目取真俊氏の批判は日本政府はもちろんのこと、本土の沖縄問題への共感者にも向かう。自己満足を目的とした共感など有害無益だと。

本土の現状には何の希望も見いだせない  社会的無関心と無知から生じた政治的幼児性は救いがたい水準

このような腐敗物と沖縄はやがて手を切るだろう

やがて「手を切る」ということはつまり有体に琉球民族の大和民族への決別、国際社会、国際常識における個体識別認知としての民族独立という確固とした目標だろう。まず最初に移住者が沖縄から本土を逆視するとそこに明らかな民族的堕落、腐敗性に満ちた取り返しのつかない精神的死に体が見えて来て、こんな国にへばりついても生き延びる理由が沖縄人にはない、という感想だ。逆に言えば徐々に浸食されてはいるが未だ十分以上に本来性を持ち続ける琉球の精神文化というものはこんな国には甚だ勿体ないと言える。移住者の筆者はしかし、救いは、本土内地ヤマトゥの国民が同じように原初の質で本来性を発揮する希望がないわけでないことだ、と思っている。


詩596 琉球新報記事 「被害なしは偶然」住宅まで130m

2018年01月07日 08時36分00秒 | マスコミジャーナリズム

「被害なしは偶然」住宅まで130m

https://ryukyushimpo.jp/mainichi/entry-642398.html

6日午後に米軍ヘリが砂浜に不時着した沖縄県うるま市の伊計島(いけいじま)。一番近い住宅までは約130メートルに迫っていた。島では1年前にも米軍ヘリが不時着している。のどかな島に響いた爆音に、住民からは「またか」「もうやめて」と悲痛な訴えが聞こえた。

人殺し集団の米軍とこれを黙過する米国政府国民及び推進強化する日本国政府とその国民の未必の故意的容認姿勢には、人間としての怠慢以外評言はないが、同じ日本人がこのような目に遭っているという事実にさえ動かされない死に絶えた大和魂には呆れ返る。