野中広務が語っていた安倍政権への怒り!「安倍首相は東條英機と変わらない」「麻生太郎の差別発言は絶対許さん」
http://lite-ra.com/2018/01/post-3766.html
安倍は国家犯罪の戦犯として東條並と言えるが一方東京裁判での東條のような責任の取り方は決してしないだろうことははっきりしている。この男はいずれにしろ東條並みに国民を玉砕的国策で引きずり回し、挙句に己一人助かろうと画策する卑劣姦で終わるだろう。
http://lite-ra.com/2018/01/post-3766.html
安倍は国家犯罪の戦犯として東條並と言えるが一方東京裁判での東條のような責任の取り方は決してしないだろうことははっきりしている。この男はいずれにしろ東條並みに国民を玉砕的国策で引きずり回し、挙句に己一人助かろうと画策する卑劣姦で終わるだろう。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-655718.html
おかしな在り様だなあ。何故県知事は県警の機動隊が高江であのような弾圧を繰り返してたのにこれを結果的に黙認していたのか。又辺野古の強制排除も知事権限で中止させられないのか、不思議でならない。法律的な事でなく、常識的な事を言っている。
https://www.asahi.com/articles/DA3S13336305.html?ref=editorial_backnumber
本土内地ヤマトゥの日本人は呑気なものだ。沖縄から見るとこういう社説に見るようなのが今の日本の論壇には恐らく主流の論調だという以外の感想はない。ある邦画で主人公が「生きる意味が分からない、境目がわからないので」と言う、善悪の境、常識と非常識の境、言っていいことと悪いことの境、人らしく生きることと獣的に過ごすこととの境、やっていいことと悪いことの境、それらが今や薄ぼんやりとしか見えてないことのいらいらするような空気感は、人をとんでもない方向へ誘うように思える。人はこういうとき概ねその弱さからある種の教条的な言辞にへばりつこうとする。ひとはそれを左翼、共産党、バヨクなどと揶揄する。だがそういう彼等も逆の意味の教条主義に陥っていることを知らない。境目がわからないのは、命を懸けて守ったり命を懸けて闘ったりする、ある意味での自然発生的な本来性の発露が我々には欠けているからだ。今や人間は限りなく、本来的な自然性から遠くの地点に迷い込んでいるのだ。この松本何某の言辞はそれを端的に示している。彼はある面からすれば殺されても仕方がない人間だ。しかしこいつの後ろにはもっと殺されるべき人間が獣の顔でのさばっている。