沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩596 LITERA記事 ICAN面会拒否の一方で芸能人と会食を繰り返す安倍首相に批判殺到! 芸能人を改憲の世論づくりに利用する目的か

2018年01月17日 18時32分33秒 | マスコミジャーナリズム

ICAN面会拒否の一方で芸能人と会食を繰り返す安倍首相に批判殺到! 芸能人を改憲の世論づくりに利用する目的か

http://lite-ra.com/2018/01/post-3739.html

つまりそれだけこの安倍晋三という男が愚民並みの頭しかなく、その器でないことがよくよくわかろうというものだし、こんなのにへいこらすり寄っているポリシーのない乞食並み芸人どもは確かにどぶに捨ててしまうべきところだ。しかしながらメデアマスコミジャーナリズム総じて翼賛的に取り込まれた現状ではこれもひとつの極めて危険な流行に過ぎないともいえる。

 

詩596 日刊ゲンダイ記事 “怪文書”飛び交う名護市長選 なりふり構わぬ自民党の横暴

2018年01月17日 18時25分01秒 | マスコミジャーナリズム

“怪文書”飛び交う名護市長選 なりふり構わぬ自民党の横暴

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/221379

「安倍政権は市長選に注力する一方、沖縄が抱える重要な問題には目を向けていません。今月、2度にわたり米軍ヘリがトラブルで不時着し、問題視されました。野党各党は15日、現地を視察しましたが、与党は政務三役はじめ、誰も足を運んでいません。にもかかわらず、菅官房長官や二階幹事長が市長選の応援には駆けつけています。県内の問題には目を向けず、新基地建設をかけた市長選には力を注ぐ。安倍政権の『米国ファースト』が如実に表れています」

安倍晋三一派は少なくとも薄汚い不正な選挙戦でしか勝てないことははっきりしているので何でもありの泥仕合を望んでいる。くだらない連中だが、沖縄の民意ははっきりしているので結果如何に関わらず沖縄の闘いにぶれはないだろう。くだらない国に揺さぶられている沖縄は本当に可哀想だとしか言いようもない。 


詩596 琉球新報記事 フィン氏「長崎、広島と政府に大きなギャップ」

2018年01月17日 18時13分35秒 | マスコミジャーナリズム

フィン氏「長崎、広島と政府に大きなギャップ」

https://ryukyushimpo.jp/mainichi/entry-647750.html

「長崎、広島の価値観と、政府の政策に大きなギャップがあると感じた。日本は行動しなくてはいけないし、国民がそれを求めてほしい」

実に言い得ている。日本国民自身がこうした政府の在り様を奇妙にも黙認しているのだ。それはつまり主権在民や基本的人権、幸福追求権など憲法に謳う重大かつ極めて意味深い要諦につきこれを不当に不作為に見逃し続けていることを示している。そこにこの国の情けない民族的性向を感じないわけにいかない。


詩596 琉球新報社説 <社説>嘉手納夜間騒音頻発 防止協定の厳格化急務だ

2018年01月17日 08時45分53秒 | マスコミジャーナリズム

<社説>嘉手納夜間騒音頻発 防止協定の厳格化急務だ

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-647833.html

米軍機の騒音規制措置(騒音防止協定)

 在イタリア米軍の駐留条件を定めた2国間協定「モデル実務取り決め」は基地管理権をイタリア軍が持ち、飛行訓練はイタリア側の許可の下、地元の法規制を順守することを義務付けている。

明らかに日本政府の、世界理念に照らした重大な国策瑕疵にすぎず、その責めは結局は天皇メッセージ以降の民族的悪習に立ち戻る。琉球異族視こそこのようなでたらめを野放しにしている元凶だ。沖縄の日本国民としての闘いはそういう極めて根深い(大和民族の)民族的下劣さ、乃至人間的愚かしさ、あるいは何らかのコンプレクスに拠る偏見性との闘いに極まる。琉球民族性の最も政治的功利的アピール力が事態を打開する方途になるかもしれない。


詩596 琉球新報記事 高江の通行制止違法 那覇地裁「警察官が自由制約」

2018年01月17日 08時31分42秒 | マスコミジャーナリズム

高江の通行制止違法 那覇地裁「警察官が自由制約」

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-647850.html 

森鍵裁判長は県警の制止行為やビデオ撮影について「いずれも原告の自由を制約するもので違法と評価される」と判断し、県に慰謝料30万円の支払いを命じた。

「抗議参加者であることをもって犯罪行為に及ぶ具体的蓋然性(がいぜんせい)があると判断することは合理性を欠く」 警察官によるビデオ撮影についても「犯罪行為に及ぶ蓋然性はなく必要性も相当性も肯定できない」と批判し違法と認定

つまり国策としての米軍基地建設行為は、国家の専権事項として民意を凌駕するとする、戦後日米安保関連問題における国家の考え方が間違っているということだ。沖縄の民意に反する国家行為は結局国民の自由性、民主性、人権、を損ねる重大な憲法違反行為だと最終的に言える。こうした一つ一つのこくみんの声が徐々に国家の横暴を減衰させるのである。