犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

日本人>ロシア、アメリカは(日-7)

2013年03月22日 | 雑談など
ロシア
 ロシアのアジアでの立場は非常に微妙になっている。経済力は、中国のGDPの1/4程度であり、弟だった存在が、兄になってしまい、中国がいささかけむたい国になってしまった。その上、広大な極東地区のロシアに約700万人の人口資源しかないのである。中国の人口資源を大いに活用したところであるが、自由に受け入れると人口で圧倒されてあっという間に中国化されることを懸念しはじめた。最近、中国が沿海州(ウラジオストックがあるところ)などの領有権の主張を始めた。ここはロシアが清国から取り上げたところである。中国人がどんどん入り込んでくれば、乗っ取られることになる。これらの危機感から、ロシアは急速に日本と手を組みたいという気運がでてきているようだ。安倍政権が長期安定の様相を呈してきたので、ロシアとの領土問題を含めた関係改善がなされる兆しがでてきた。両国とも安全保障上の中国への牽制の意味もある。

アメリカ
 日本人は、差別意識を持ったら悪いかのように意識しすぎるが、差別意識は、異物から自分を守ろうとする本能みたいなものであるから、人が差別意識を持つのは当然である。その差別意識が表に出て、他人に不利益をもたらすようなことはまずいので規制されなければならないのである。アメリカ社会で、「白人専用」の店があるが、差別される人々に不利益をもたらすほどのものではなく、少し不愉快だというだけのことである。このようなことは許容される差別である。

 アメリカでは、150年ほど前の南北戦争まで奴隷制度があった、今の価値観から言えばとんでもない遅れた国だったのである。一方、日本には奴隷制度などなかった。文化的に進んだ高度な社会という意識を持ち、アジアに優越している、自由と平等の民主国家アメリカにとっては憂鬱な問題だったのである。そこでルーズベルトは、日本が併合していた朝鮮を植民地支配から開放するという大義を日米戦争の名分に入れた。

 戦後、アメリカは日本の徹底的な弱体化を図るため、平和憲法を受け入れさせ、武力を持つことを禁じた。ところが、自由主義社会と共産主義社会の対立が明らかになり、朝鮮半島などの軍事衝突の後、アメリカはこの弱体化政策を反省している。

 ダグラス・マッカーサーは、日本の安全保障上、朝鮮半島に日本が関与せざるを得なかった意味を理解した。彼は、つぎのように語っている。「朝鮮戦争が始まってアメリカは自分たちがやっていることは、明治以来日本がやったことと同じだと気が付いた。朝鮮半島に一方的に入ってきたのが清国でそれが「日清戦争」、朝鮮半島に軍港をロシアが造り始めて、それが「日露戦争」。」

 そしてまた、彼は、大陸に進出して、大東亜戦争を戦ったことは、日本の自存自衛のための戦争であり、侵略戦争でなかったことを認めた。東京裁判から3年後、GHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーは、アメリカ上院軍事外交合同委員会の公聴会(1951年5月3日)にてつぎのように証言した。

 「日本の皆さん、先の大戦はアメリカが悪かったのです。日本は何も悪くありません。日本は自衛戦争をしたのです。イギリスのチャーチルに頼まれて、対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込んだのです。アメリカは日本を戦争に誘い込むためイジメ抜きました。そして、最後通牒としてハルノートを突きつけました。中国大陸から出て行けだの、石油を輸入させないなど、アメリカに何の権利があったというのでしょう。
当時、アジアのほとんどの国が白人の植民地でした。白人はよくて日本人は許さなかったのです。ハルノートのことは私もアメリカの一般国民も知りませんでした。あんなものを突きつけられたら、どんな小さな国でも戦争に立ち上がるでしょう。
戦争になれば圧倒的な武力でアメリカが勝つことは戦う前から分かっていました。我々は戦後、日本が二度と白人支配の脅威とはならないよう周到な計画をしました。アメリカは知っていたのです。国を弱体化する一番の方法は、その国から自信と誇りを奪い歴史を捏造することだと。戦後アメリカはそれを忠実に実行していきました。
まず日本の指導者は間違った軍国主義をとってアジアを侵略していったと嘘の宣伝工作をしました。日本がアジアを白人の植民地から解放するという本当の理由を隠すため大東亜戦争という名称を禁止し代わりに太平洋戦争という名称を使わせました。
東京裁判はお芝居だったのです。アメリカが作った憲法を日本に押しつけ、戦争ができない国にしました。公職追放をしてまともな日本人を追い払い、代わりに反日的な左翼分子を大学など要職にばら撒きました。その教え子たちが今マスコミ・政界などで反日活動を
しているのです。徹底的に検閲を行い、アメリカにとって都合の悪い情報は日本国民に知らせないようにしました。ラジオ・テレビを使って戦前の日本は悪い国だった。戦争に負けて良かったのだと日本国民を騙しました。これらの政策が功を奏して今に至るまで独立国として自立できない状態が続いているのです。
 私は反省しています。自虐史観を持つべきは日本ではなくアメリカなのです。戦争終結に不必要な原子爆弾を二つも使って何十万人という民間人を虐殺しました。最後に私が生きていた時の証言を記して謝罪の言葉としたいと思います。
『私は日本について誤解をしていました。日本の戦争目的は侵略ではなく自衛のためだったのです。太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の過ちは、共産主義を中国において強大にさせたことでした。東京裁判は誤りだったのです。日本は八千万に近い膨大な人口を抱え、その半分が農業人口であとの半分が工業生産に従事していました。潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接した何れにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においても、日本の労働は人間が怠けているときよりも働き生産している時の方が幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでよいようなものを発見していたのです。これまでの巨大な労働力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だと言うことを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らには手を加えるべき材料を得ることができませんでした。日本原産の動植物は蚕をのぞいてほとんどないも同然でした。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、錫がない、ゴムがない、他にないものばかりでした。その全てがアジアの海域に存在していたのです。もしこれらの原料の供給を断ちきられたら一千万から一千二百万の失業者が日本に発生することを彼らは恐れたのです。したがって日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。』」

 1970年(昭和四十五年十一月二十五日)、作家・三島由紀夫(四五)が陸上自衛隊市ケ谷駐屯地において、憂国の演説を行った後、割腹自刃を行った。当時、当方は23歳で、その意味がわからなかった。日本精神の崩壊の痛手からようやく回復しつつあるのではないか。占領軍が恐れたのは、日本が戦争で成し遂げた真実を日本国民に知られることである。それは、
「あの戦争の敗者は日本ではない。真の敗者は植民地をほとんど失った欧米列強だ。」(H.G.ウェルズ)だったのである。
(おわり)
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