「吾輩は猫である」の英訳本のタイトルが、「I am a cat」だそうだ。
英語は、一人称が「I」だけで、あじけない(-_-;)
うーん、一人称が多いから、日本語は面白い。
縄文の昔から、積み上げてきた文化でもある。
某(それがし)、妾(わらわ)があったり、麿(まろ)なども残っている。
拙者、身ども、小生なども時々、使ったりする。
ヒマな時に思い出してみるのも、頭の体操にいい(^^;)
→ 私(わたくし、わたし)、僕(ぼく)、俺(おれ)、当方、朕、余、我、吾、予、、本職、小職、愚僧(ぐそう)拙僧、、、
おれ、おれっち、おいら、おら、おらぁ、おいどん、ぼくちん、ぼかぁ、こちら、うち、うちら、、、
40代の教師をしている人の例の一人称では、
私(校長先生に対して)、先生(生徒に対して)、俺(奥さんに対して)、兄さん(弟に対して)、お父さん(息子に対して)、おじさん(隣の子に対して)、
また、
「一人称代名詞の移り変わり」の表が面白い。
「あ」、「わ」は、奈良、平安時代までは、一人称で使っていた(^^;)
その名残の影響もあるか
⇒ あっし、あち、あたし、あたくし、あたしゃ、、、、 わい、わっち、わし、わしゃ、わたしゃ、、
もしかしたら、倭国は、「わ」の国のことで、「わが国」のことか。日本列島から訪れた者が「わ国」と紹介して大陸の者が「倭国」と記したか。
「おれ」は、鎌倉時代までは二人称で、その後、一人称に転用され、江戸時代には身分や性別を問わず使われていたという。
「自分(じぶん)」は、明治時代以降に広まった一人称で、旧日本軍では使用を推奨されていたとか。
「ぼく」は、「下僕」の「僕」でもとは男の召使いを表す謙譲語。明治時代以降に書生の間で使用されて一般にも。
英語は、一人称が「I」だけで、あじけない(-_-;)
うーん、一人称が多いから、日本語は面白い。
縄文の昔から、積み上げてきた文化でもある。
某(それがし)、妾(わらわ)があったり、麿(まろ)なども残っている。
拙者、身ども、小生なども時々、使ったりする。
ヒマな時に思い出してみるのも、頭の体操にいい(^^;)
→ 私(わたくし、わたし)、僕(ぼく)、俺(おれ)、当方、朕、余、我、吾、予、、本職、小職、愚僧(ぐそう)拙僧、、、
おれ、おれっち、おいら、おら、おらぁ、おいどん、ぼくちん、ぼかぁ、こちら、うち、うちら、、、
40代の教師をしている人の例の一人称では、
私(校長先生に対して)、先生(生徒に対して)、俺(奥さんに対して)、兄さん(弟に対して)、お父さん(息子に対して)、おじさん(隣の子に対して)、
また、
「一人称代名詞の移り変わり」の表が面白い。
「あ」、「わ」は、奈良、平安時代までは、一人称で使っていた(^^;)
その名残の影響もあるか
⇒ あっし、あち、あたし、あたくし、あたしゃ、、、、 わい、わっち、わし、わしゃ、わたしゃ、、
もしかしたら、倭国は、「わ」の国のことで、「わが国」のことか。日本列島から訪れた者が「わ国」と紹介して大陸の者が「倭国」と記したか。
「おれ」は、鎌倉時代までは二人称で、その後、一人称に転用され、江戸時代には身分や性別を問わず使われていたという。
「自分(じぶん)」は、明治時代以降に広まった一人称で、旧日本軍では使用を推奨されていたとか。
「ぼく」は、「下僕」の「僕」でもとは男の召使いを表す謙譲語。明治時代以降に書生の間で使用されて一般にも。
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