犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

【能登半島地震】能登半島地震災害で受けた支援を振り返る(その2)

2024年09月05日 | 能登半島地震
 奥能登の柳田は震源から20kmほど、震度7~6強。
 金沢は、震源から直線距離で120km強。
 震度は、5強だった。
 6強と5強では、被害の程度の段違い。
 奥能登では、木造住宅の骨組みが損傷して全壊、半壊家屋が多数発生。
 金沢では、家財の被害はあったが、住宅が損傷する被害は少なかった。
 最も大きな違いは、公共インフラ(電気、通信、上下水道、道路など)の被害である。
 金沢での被害はほとんど無いが、 
 奥能登では、電気、水道がほぼ全体が復旧するには、数カ月も要した。
 下水道、生活道路の復旧は、数年かかりそうだ。

 我が家は、家内と二人。
 家が潰れなかったので避難するつもりはなかったが、娘夫婦の助言で金沢へ避難。
 金沢ではすでに、様々の形で被災者への支援が始まっていた。
 支援団体の事務所で、避難者のための一軒家の提供を受け、
 当面の食料(米、野菜、缶詰、レトルトカレー、調味料など)、衣料品(防寒のための衣類など)などの受け取った。
 避難した家屋は、もともと旅行者が短期間滞在するための施設で宿泊のための寝具をはじめ、調理やお風呂など生活するためのものがすべて整っていたので快適な避難生活だった。
 仮設みなし住宅扱いで、光熱費を含め、すべて無料。
 、、、、

 8カ月ほど経過し、振り返ってみるにとんでもなく多くの人に支援を受けていることに気づく。
 避難した2カ月ほどは、なにげなく支援に甘んじていたが、受けた恩恵はどんどん、忘れて、支援が足りないなどと不満がでてこないように、
 思い出して、心の整理をしているところだ(^^;)

 何となく考えてみるに、縄文の昔から、日本列島では自然災害が多く、そのたびに助け合ってきたのだろう。
 いざとなると、わが民族が団結する国民性は助け合いの積み重ねの上に醸成されてきたからに違いない。
 (つづく)


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