犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

地域起こし>(提案)能登町に日本一の歴史遺産を残そう

2013年03月28日 | 雑談など
 能登町のベストスポット、最大の歴史遺産はどこだろうか。
 常識的な観念を捨てれば、間違いなく、「遠島山の舟隠し」である。

 町の「パンフレット」によれば、今から400年以上昔の室町時代に棚木某氏が能登の海防の任にあたり、棚木城を構え、この舟隠しの入り江に警備船を繋留して敵の攻撃に備えた場所だったという。「海防」の要所だったのである。
     【写真】町立美術館から舟隠しを望む。

 ところが、今から36年前の昭和52年9月19日夜遅く、北朝鮮の工作員が夜陰に乗じて遠島山の舟隠しに侵入して日本人男性を連れ去ったのである。「海防の要所」だったところが、不覚にも破られて拉致現場となったのである。
     拉致現場拡大図


 敵対国から、国民の生命と安全を守ることができないようでは、国として体裁をなしていない。欠陥国家であることを国民の面前に突きつけた事件だった。

 この事件が北朝鮮拉致問題の発端であり、出発点である。続いて、2ヶ月後に横田めぐみさんの拉致がされている。日本の警察の対応のまずさもあり、北へ間違ったメッセージを送ったという説もあり、拉致問題の原点でもある。

 「宇出津事件」として記憶され、北朝鮮による拉致の現場が特定されている唯一の事件である。36年前に被害者と工作員に協力した在日朝鮮人が宿泊した旅館も廃墟のまま、残されている。
     
 ヒロシマの原爆ドームは悲劇の遺産であるが、現在では平和の象徴として残され、祈念されている。負の遺産を正の遺産としてよみがえらせているのである。同じように、拉致の現場は、海防の象徴としてよみがえさせるべきである。

 里山里海、食文化、祭りに代表される能登の平和な暮らしは、これを支える備えがあってはじめて成り立っているものである。その備えとは、「防」である。陸、海、空の防が必要であり、海防の象徴が「遠島山の舟隠し」である。
 
 具体的な方策として、国、県の支援を受けて、棚木城本丸の復元(海防の任にあたった棚木某の居城)、警備船を繋いだ舟隠しの復元、拉致記録等の資料館の設置、海防の小道の築造、拉致問題のイベントの開催などなど「海防」を考えるエリア構想の実現をめざしてはどうか。
 2013.3.28、中 登史紀
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