昨日は夕方5時に帰りつきました。
もう、夕食の用意をする元気がありませんので、スーパーのお寿司で間に合わせました。
朝、風呂掃除もできないままでかけたので、風呂掃除を始めたら電話が入りました。
年下の友人からでした。
心配性の彼女、お子さんの心配をされます。
40前後のお子さんです。
今、家を建てると言っているが、それで生活が成り立っていくのか、だそうです。
お勤めは一流どころです。
大丈夫よ、銀行が判断してくれるわよ。
あなたはね、お金のお手伝いは出来ないけれど、お手伝いできることがあったら言ってね、でいいのよ。
私は心配しているのだ、に酔いしれてる(?)友人。
一時、同居していたのに、出て行ってしまったのは、この心配性が原因かも。
それと、今の若い人たちは、自分のペースでやりたいのね。
家族団欒に姑は仲間でないということに、気が付かなかったらしい。
姑がいたら、気がやすまらないということだったみたい。
こんなにサラリと書いたけど、実情はなかなか大変なことだったの。
依田さんに言ってもらうと、私安心できるの、と。
掛けて来た時の暗い声が明るくなってきた。
こんな友人関係を50年も続ける仲。
元気を吸い取られると思う位大変な時期もあった。
女手一つで3人の子を大学に出し、家も建て、子供たちもそれぞれ独立。
大丈夫よ、自分も子供たちも信じなさいよとエールを送る。
お読みいただきありがとうございました。
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という言葉にどきんとしました
今は何かと呼んでくれるけどそのうちいらなくなるのかないつまでかな?と思うときもある
子供の心配は考え始めたらきりないですよね
でもよい相談相手が見えてお友達幸せですね
子どもさんたちが母親に感謝をしているのは間違いないと思いますが、ご本人がその実感を持てないと「私は心配してるのよ」を続けてしまう。
その気持ちは想像できます。
人生に丸を付ける。
花丸をつける。
他人からなら表彰状、お金、花束、手紙、友人の言葉、他にもあるでしょうか。
日本人は、誰かに人に寄り添って生きる、という気持ちは強いのですが、「だから自分も誰かに、何も言わずに寄り添ってもらいたい」「寄り添ってくれるのではないか」と求めてしまう。
自分の人生に丸を付けるのは、まず自分から。
きっぱりと生きた方が、他人も寄り添いやすいのではとも思います。
年代もあるかもしれません。
でも私はこの方の人生を「がんばったね」と言ってあげたいですよ😊
子が家庭を持ったら、
姑は嫁にとってはお邪魔虫、
子と嫁の幸せが一番、
老いては子に従え、
そのくらいに思っていれば、何とか、うまくいくようです
頑張って、子供を育てた母親ほど
切ない思いになるのですよね
お知り合いの女性の方に
「頑張ったで賞」を差し上げたいです
距離感がむずかしいものがあります。
淋しさと心配性が一緒なのですね。
淋しさは心のもちようとはいうけれど
なかなか切り替えができないものですね。
話すことができる方がいてくれて、よかったですね。
聞いてくれる美恵子さんがいてくれてよかったですね。
もし一人暮らしになったら、ふとした時に淋しさがつのるだろうなぁ。
こどもたちは気にかけてくれるだろうか・・・
あの人は大丈夫よ。とほったらかされるのでは・・・
などと 思ってしまいました。
どきんとさせてごめんなさい。
100の家族があれば、その100の家族の有り様は同じではありません。
同居させている方少なくなりましたね。
この齢になつておもうことは、お嫁さんや、娘さんにも、家庭の中で太陽であって欲しいということです。いつまでも私が、私がではたまらないでしょうね。
謙虚な姑でありたいとおもっているのですが・・・・・。
とっても心配症。それはどうしても後ろ向きになるから、未来を夢見る人たちには大変だったことと思います。
私彼女の人生を「よく頑張って来たね」と肯定します。
だれかがそれを言ってくれないと、つぶれてしまうから。
認めてもらうことは、生きがいにもなるのですね。
人生に自分で丸を付ける、いいことですね。今度友人に教えますね。
ありがとう。
くまさんのブログ拝見していて、くまさんの県木よさを感じています。
くまさんは理想の姑です。
自分の中では、この齢になっても「嫁」感が強くて。
輝ける嫁をやれなかったから・・・・・・。
友人をいつも褒めていますよ。
本当に頑張ってきたのですもの。
退職して時間が有り余るようになると、余計そうなのかもしれません。
1人暮らしになればなおのことかも。
考えれば考えるほど難しいです。