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心地よい音の発見

2013年01月29日 | 季節のこと
3つのときから「歌と鳴り物と踊り」は苦手と公言している私です。音楽が苦手なのです。

 先ず思った音が出せません。楽器演奏ときたらいつも小さくなっていました。

 聴くのもあんまり得意ではありません。だからできるだけコンサートも遠慮してきていました。

 ところがです、少し前から自分の感覚に珍しい発見をしたのでした。

 高校の同窓会の総会や新年祝賀会の折にアトラクションで母校の吹奏楽班が演奏してくれるのですが、今回の新年祝賀会でその演奏を心待ちしている自分に驚いたのでした。

 30分ばかりの短い時間です。曲名はわかりません。その中に「松田聖子コレクション」と称して彼女の曲が4曲演奏されましたが、全然興味のなかった私には、どの歌なのか検討もつきませんでした。

 生徒たちの生まれる前のアイドルです、おじさんおばさんのためのサービスかもしれません。それでも私たちの時代には学校で流行歌なんて考えられませんでしたから、隔世の感もありました。

 聴きながら、何が心地よいのかわかりました。鈴やトライアングルや木琴の音なのです。その音がとってもいいのです。

 昨年の総会の折にはもっとたくさんの打楽器が使われていました。思い起こせばとっても心地よいと感じたのはその打楽器の音色だと気がついたのでした。

 相変わらずの音楽オンチです。

 でも自分の中に心地よいと思う音を見つけられたのは、凄い進歩だと小さな幸せを感じました。

 白いブレザーに身を包み、新年祝賀会に花を添えてくれた後輩たちですが、髪の長い女生徒全員がが髪を結わえていました。

 私たち世代は長い髪がしきりに顔にかかるのを見るのは抵抗があるのです。

 演奏の終わった後、班長に聞いてみました。「髪を結うのは皆さんで決められたのですか」と。ハイそうだそうです。うれしかったですね。

 放課後練習している姿を見ています。体育館に続く吹きさらしの廊下に、それぞれがある程度の距離を置いて練習していました。

 その横を通ると練習の手を止めて挨拶してくれます。みんな素敵な生徒たちです。

 ご指導してくださっているのは、顧問の宮下靖弘先生です。
昨年先生の歌をお聞きしました。さすがオンチの私でさえも度肝を抜かれるほどのすばらしいお声でした。

 是非あのお声をききたいです!!
 わたしの小さな幸せが増えそうです。

                          依田美恵子

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何十年ぶりの高校の文化祭と同窓会の作品展

2012年07月18日 | 季節のこと
岩村田高校の同窓会の作品展が岩村田の祇園にあわせて開催されました。今回で42回目です。今までは岩村田の浅間会館が会場でしたが、今回より高校の文化祭とご一緒させていただきました。

 何と言っても在校生に見てもらいたいと。金曜日の準備と土曜日曜の2日間登校していました。なんたって若返った気分です。

 高校生たちの挨拶が気持ちいいです。

 この3日間、お客様の現場の横を通ったのですが、その度に現場にいる阿部さんと顔を合わせてしまいました。阿部さん曰く「依田さんち、誰か入院しているの?」とみゆきさんに聞いたとか。

 はい高校の先は市立病院なもんで。

 我が高校の同窓生には芸術家が多いようです。アマもプロも含めて。作品展に寄せられる作品の質の高いこと。

 何か出展してくださいと言われましても、50の手習いも始めていない身では肩身の狭いこと。

 何か趣味を作らないとと切実に思うのは年に一度この日です。その後は喉もと過ぎればと日々薄れていくのですが(笑)

 高校の文化祭も見させていただきました。そいで・・・自分の時の文化祭って何やったのかしら、とひきりに思い出すのですが思い出せません。

 たしか模擬店でヤキソバを食べたのは覚えていて、後夜祭でキャンプファイヤーでフォークダンスを踊った記憶はあるんですが・・・・。

 5つ先輩が、そのキャンプファイヤーやったのは俺たちだあー、と豪語していました、こんな風に小さな歴史の発祥が分かるのも楽しいものです。

 今66歳を迎えている方たちが、校歌を母校に贈って卒業しています。それまでは「学生歌」が校歌のようです。その「学生歌」も野球の応援が下火になった頃から、歌われなくなりましたのを、つい先頃譜面を含めて復活しました。

 同窓会の行事などで、吹奏楽班の皆さんが演奏したり歌ってくれたりします、なんとも懐かしくうれしいものです。

 作品展は多くの同窓生、在校生そしてPТAの皆さん、一般の皆さんに見ていただくことができました。
 高校の再編で、僕の学んだ校舎がなくなるかもとお見えになった同窓生に、ちょっと一緒にセンチにもなりました。

 模擬店でカレーライスや冷やしうどんに、たこ焼きを食べたり・・・・親世代の1.5倍世代でも心躍る文化祭でした。
                     依田美恵子

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今年もポール立て終わりました。

2012年04月18日 | 季節のこと
どんなに寒くても暦は移ろいますね。そうなんです鯉のぼりの時期が到来なんです。我が家の一大イベントです。なんたってシジハバでは手に負えないのが、ポール建て。

 多忙な息子の日程とお天気を勘案してと・・・・その日を決めます。

 父と夫と3人でポール他一式を持ち出して組み立てます。年に1度ですから、覚えているようでいて毎年1年生の私。

 息子より先に到着したのは3歳と1歳。ポールの天辺につくキラキラした風車にいたく反応しています。くるくる廻してごきげんです。

 この子たちが役に立つころには「お願いだから立てないで」と言われるのでしょうね。鯉のぼりを喜ぶ今が一番いい時期かもね、と夫に。

 午後昼食の後片付けをしていたら、息子は1人で2本を立ち上げてしまいました。えー驚きました。でも立ち上げる時になれば簡単です。アッという間にのぼり旗用のポールが4本、鯉のぼり用の竹竿が2本立ちました。

 まさか3人目も男の子とは思いませんでした。これ以上は敷地もありません。上げ下げするジジババは年毎に衰える体力と気力ですからね、あーもっともおサイフも疲れたから、旗は3人の共有物ということで片付けました(笑)

 あーかわいそうな3男坊ですね。内飾りなど収納する場所がないとばかりに「貯金しておいて」に変わってしまいました。

 今その3男坊が一番うれしそうに反応します。

 今年も終わったと感無量です。ただし今のところはポールだけで旗も鯉も暫くはおあずけです。これも体力・気力の衰えた証拠ですね(笑)

                       依田美恵子

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入学式の式辞から。

2012年04月12日 | 季節のこと
新年度が始まり事務屋の仕事も多忙を極めてと言いたいところだ、いろんな行事が重なって更新がままならない。

 それでも時期というものがあるし、何よりも記憶が飛んでいってしまいそう。

 入学式の校長先生の式辞の内容を書いておきたい。自分の時というのは覚えていないものらしいから・・・・。

 佐藤春夫の「佐久の草笛」の詩の引用から始まった式辞。

 我が母校岩村田高校は大正13年創立以来88年になる。卒業生23.000人を越えたという。初代校長佐藤寅太郎はあまりにも有名な方である。

 この方の建学の精神がいまも連綿と引き継がれている。

 さすがに覚えていない自分の入学式でも、この質実堅実、信頼に足る人物たれの式辞だけは覚えている。

 この伝統の重みを自覚に代えて自分を律してください・・・・校長先生はそうおっしゃられた。

 明るく素直で行動力のある人間・・・・勉強とクラブの両立
 朝のおはようの挨拶・・・相手の目を見て、これは気配りや思いやりを育てる。

 3.11について
 命の重さを知るにはあまりにも大きな代償であったが、前を向いて新しい日本をつくる信念を持っていってもらいたい。


 高校の統合再編で工業3科の皆さんは最後の岩村田高校生になる。

 「学び・考え・行動する」の3つのキーワードを意識して、生かされている命に感謝して高校生活を送ってください。
 壁にぶつかり、悩んで越えていってください。

 の言葉で結ばれました。

 校長先生はもっといっぱいお話されたのですが、私の記憶能力ではこの程度の再現しかできなくて・・・・・すみません校長先生!!

 すみません続きですが、集合時間になってしまいました。
 続きはまた・・・・。
                       依田美恵子

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新潟の入学式

2012年04月11日 | 季節のこと
ご無沙汰です。孫の入学式で新潟に行ってきました。4月なのに雪、こんなこともありやとスタットレスタイヤを履き替えなくてラッキーでした。

 今時の入学式、児童26名に保護者50名・・・・いつからそうなったのでしょうか。もっとも我が家は保護者3名でしたが(笑)

 どうしても休暇が取れない父親の代わりということではなく、美容室に行くと子供が一人になってしまうから、と言うお助けコールでした。

 まあーなんでもいいんです、こちらは。

 おかげで今時の入学式事情もしっかりチエックできましたし。

 今はほとんどの子が保育園や幼稚園生活をしているので、しっかりしたものです。

 子供たちのファツションはブレザーにチェツクのスカートが目立ちました。これ高校の入学式でもそうでしたが、アイドルのファッションからきているのですね。

 娘によると、暮まではとてもお高かったけど、3月になったらガクッと値下げしていたとか。でもねえ、だいたいの人はそこまで待っていないから、とのことでした。なるほど・・・・。

 わが孫は専務の愛ちゃんのを廻してもらいました・・・・そりゃあ賢いわ。

 式典は35分位で終了。祝辞はPТA会長さんだけで、あとはメッセージを読み上げたりで終わり。児童会長の歓迎の言葉もしっかりしていたし。

 そういえば・・・校長先生もPТA会長さんも児童会長も女性、先生方も圧倒的に女性が多かった。

 会場の後は三脚を構えたお父さんたちの列でしたあー。
それでも児童たちの行儀のよかったこと・・・大人の方が負けそうでした。


                           依田美恵子

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入学式

2012年04月06日 | 季節のこと
 母校の入学式で校歌が歌えるなんてと感激して、左隣に立つ先輩と思い切り大きな声で歌ったのでした。右隣はPТAの皆さんですから、当然歌えないし。

 音痴で名高い私の数少ない歌える歌は高校の校歌です。その昔入学すると待っていたのは応援の練習・・・・恐かったわね。でも歌えるようになったのはそのお陰です。

 その校歌も5歳上の先輩たちが卒業記念に残した物だから、歌えるのは当然4つ先輩から、そして当然新入生は歌えないから、がんばっちゃうのよね。

 入学式に在校生はいないのね、昔からそうでしたっけ。だけど校歌を歌うために20名ほどの在校生が列席していました。

 卒業式があまりに寒かったので、受付で「大丈夫ですか?」って確認してしまいました。昇降口と床の隙間をふさいでくださったか。

 なんたって来賓は生徒よりも、保護者よりも、先生方よりも高齢であることは間違いない事実ですもの、来賓席が一番寒い場所だったのね。

 山ほど着込んでショールに膝掛けにハイソックスまでカバンに潜ませて、さらに目張り用のテープまで持参したのでした。

 来賓席に座った来賓がごそごそとテープ張っていたら見もんだったでしょうね(笑)

 幸いにも隙間は毛布で塞いでありました。感謝です!!

 校長先生の式辞は佐藤春夫さんの「佐久の草笛」の詩の引用から始まりました。佐久市横根に疎開しておられたこの作家にちなみ、市内には「佐久の草笛」という焼酎もあったり、お蕎麦屋さんがあったりと馴染み深いのです。

 しかし今日引用された歌も知らない私はちょっとはずかしいかったなあ。

 すばらしい式辞はまたの機会に。
                       依田美恵子

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下平尾・下耕地(女念仏)の十九夜講

2012年03月13日 | 季節のこと
地域の十九夜様講のお当番でした。嫁いでからもう4回目のお当番でしょうか。年々お当番が廻ってくる間隔が短くなりました。前回から12年、この次は7年位よと、誰かが指折り数えています。

 この次の時はと自分の年齢に7つを足して覚悟を決めました。もう何にも分からないなんて言ってはいられないと。

 それまでは「若い人はあっち」なんて言われて台所でお湯をわかしたりしていましたが、もはや猶予はできません。先輩たちにペッタリとくっついて、指南をこいました。

 お団子に、おおきなおまるのつくり方からその飾り方まで、いままでは傍観者ですみましたけれどもね。

 十九夜さんは昔は嫁さんたちの楽しみのひとつだったとか。家から出る機会の少なかった時代、個人の家を持ち回りでやっていた頃の話でしょうか。

 核家族で老人世帯や結婚しない人も増えて、「お休み」という家が多くなったのも当番が早く廻る原因だけど、「出るのも嫌」という若い人たちも多くなったのも事実。

 私だって嫌だと思ってた時代もあったけど、お当番までの遠慮はできないのが私世代かも。

 でも改革はしてきたわ。ただ伝統だけは守りたいと。

 当番者が引き継ぐ箱の中に、どなたが入れてくださったのか、この19夜講の歴史がありました。

 十九夜講とは、安産の神、十九夜(如意輪観音)を主尊として、旧暦の19日の夜、女性だけが集り、如意輪観音によって血の池地獄からの救済を謳う「十九夜念仏和讃」を唱え、安産を祈ったりする講です。

 まさしく高齢化ですので、姑から譲られて出てくる若手も40~50代です。始まる頃合を見て、若手が鉦をならして触れます。そして如意輪観音にお線香とお団子を供えてきます。

 若手・・・まず・・・それどこにありますか?・・・から始まります。
もっと言うならば十九夜様ってなあに?から始まるのでしょうね。

 私たちが唱えているお念仏・・・鉦に合わせて短い文章の後繰返しお念仏を唱えて、それが18節です。時間にして25分かかります。

 今年はとうとう念仏を唱える人があまりいなくて、テープを廻しました。

「歴史」をみたら、18節どころか60節もあったわ・・・・これを全て唱えていたら1時間半はゆうにかかわるわ・・・・・。

 若い時はプリントされたお念仏を見ていても、今どこをやっているかがわからなかったけれど、今その意味までがよくわかるようになったのはひたすら年の功かも。

 がんばってつなげていきましょう!!

依田美恵子

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卒業式の続きです。

2012年03月05日 | 季節のこと

卒業式の続きです。
 世相を反映しているのは「名前」ですね。卒業証書授与のお一人ひとり読み上げられるお名前を聞きながら、まさしく18年前の旬なるものを感じました。

 PТA会長の羽毛田さんの祝辞は、これから旅立つ彼らに社会の厳しさを説きました。それはまさに今の現実そのものでしたが、その中にあって社会のために貢献できる人間たれということでしょう。

 岩村田高校の校風・・・・講堂の壁にかかった「質実剛健」の額・・・そして初代校長の佐藤寅太郎先生の「信頼されるにたる人物たれ」がずっと生きているのですね。

 今回の式辞・祝辞の中でもこの佐藤寅太郎先生のお話がでてきました。私の入学式でも岩垂潔校長先生の式辞の中にありましたもの、こうして伝統も毎年語り続けてこられているのですね。
 
 PТA会長さんが許されるならば、この場で1時間でも2時間でも卒業生に語りたいと・・・・うわーこの寒さの中でそんなー、と私(笑)

 彼もここの卒業生、その彼が在学中にう~んと先輩の同窓生から聞いた話、岩村田高校の伝統は、
①前向きな精神②打たれ強さ③人を思いやる心人の痛みがわかる心、だと。

 それを語った彼は30年経った今、君らに伝えるから、君らがこれを後世に伝えていって欲しいと宿題をだしたのである。

 お見事と思いましたね。

 30年も覚えていたことにも・・・・なんたって私、これだけ覚えるだけでせいいっぱいでしたもの。8割がたは覚えきれない(泣)

 それを伝えようとする気持ちにも・・・・。

 まあここにこれを書いたということは、記憶より記録として残るから・・・・やっぱり書くということは大切だわね。

                       依田美恵子

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卒業式にご招待されて「今時」を見ました。

2012年03月04日 | 季節のこと

母校の高校の卒業式にご招待された。我が子の卒業式以来幾年月だから、世相はどんなにかと思いつつ楽しみに出席させていただいた。

 朝は曇っていたがからりと晴れ上がったが、吹く風は刺す様に冷たい。

 校長先生に案内されて、卒業生が待機している場所を通って講堂へ。
わーすごい、成人式みたいだあー、男子はスーツだし、女子は袴姿ではないの。まさしく同窓会長さんも祝辞の中で触れられたけど、本当に立派に成長したなあーと感じさせてくれたわ。

 でもお化粧していないとこが初々しいのね。。

 話には聞いていたけどこんなんなんだとあらためて世相を見た気分。

 
 校長先生の式辞は佐久に馴染みの深い佐藤春夫さんの春の詩で始まった。こんなにいい話をしてくださるだろうけど、みんな覚えているかな、ちなみに私覚えていない。でも卒業証書の授与の様子を見ているうちに、我が卒業証書のことが急に思い出されてしまった。

 卒業証書の名前が違っていますと、教頭先生に言いに行ったのよね。先生はそうか「君のご両親は新しかったのだね」とその時はわかったようなわからないような意味不明の言葉をおっしゃられながら、目の前で書き直してくれたの。

 本当は間違っていなかったんだよね、先生は戸籍の謄本を見て書いていらっしゃるのだから。それでも晴れの卒業式の私の気分をそがないように「そうか、そうか」と言ってくださったんだわね。自分の戸籍を見るようになって、ほんと納得してしまったわ。

 吉岡道明校長先生の式辞・・・・「震災」のことを忘れないで、この現実を背負っていくのは君たちだから。
昨夏急逝した同級生のことを忘れないでの言葉も重かったわ。

 そして「後藤静香」さんの「第一歩」の詩を引用された。

 十里の旅の第一歩
 百里の旅の第一歩
 同じ一歩でも覚悟が違う

 三笠山に登る第一歩
 富士山に登る第一歩
 同じ一歩でも覚悟が違う
 
 どこまで行くつもりか
 どこまで登るつもりか

 目標が
 その日その日を支配する

 意味深い・価値のある詩ですね。年の功から言わしてもらうなら、人は自分の思ったものにしかなれないですものね。

 そして校長先生は最後に「命を大切に」の言葉で締めくくられた。

 それを聞きながら「自分の命も、他の人の命も」ということだわね、と心の中でつぶやいたのでした。

 3.11は多くの人が多くの物の価値観をも変えたと思う。これからこの国を背負って生きていく若人に向けられた校長先生の式辞に思わず心からうなづいてしまったのです。

 先生、その式辞コピーして卒業証書に添えてほしいと思いましたよ。

 生徒の席からも保護者の席から私語一つない厳粛な式が続きます。

 ただ・・・ただ・・・寒い。振り返ってみれば昇降口の下から冷たい風がどんどん。来賓席は一番寒い場所なんですねえ・・・・。

 この後PТA会長さんの祝辞もすごかったー。
続きはまた。
               依田美恵子

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守るべき行事

2012年02月13日 | 季節のこと
立春も過ぎましたが、私の周囲では「新年会」の時期です。土曜日は常会(隣組)の女性の新年会で小諸市の布引温泉へ。

 ご近所といっても、本当に年に何回も顔を合わせることがないのです。公民館の掃除と運動会ぐらいかな・・・・。

 人の名前が覚えられない特技を持つ私・・・・困るんだなー、姓なら分かるけど、ここではお名前だから(笑)

 嫁いで30数年にもなれば、かっての近所姑は引退されて、まさしくわが年代が近所姑に化していました(笑)

 しばらく前「もうここには住めない」と嘆かれていたお嫁さんの住む地は、地域がもっと密なのでしょう。お子さんの齢から想像するに、嫁がれて10年にはならないのでしょう。「大丈夫ですよ、年月が解決してくれますから・・・」とお伝えしたかったなあー。

 来週は一族の新年会小諸市の中棚荘です。田舎といえども、なかなか親交を深める機会は多くはありませんので、貴重な催しなのです。

 最近言われる「絆」の確認みたいです。

 そして一月後には「十九夜様」があります。今年から3年がお当番。その準備が始まります。若いうちはこの「十九夜様」は苦手でした。でも世の中の事情が変わっていく中で、この伝統だけは残さなければならないけど、お当番の仕事は変えてきました。早く言えば簡素化です。

 ほとんどが仕事を持つ身であったり、核家族化で世代交代ができないために、当番が負担になってきているのです。

 でも今年「念仏謡える方が出席してくださるかしら?」が一番問題かな・・・・。

 「テープとったのあるかしら?」・・・・なかなか伝統を守って行くのも大変です。

 実を言えば一族の先祖祭りの際に大数珠を廻すのですが、たぶん昔はお念仏があっただろうと思うのですが、どこかで途絶えてしまって継承されていません。

 何もかも面倒なことは嫌というのは簡単ですが、1度途絶えてしまった物を復活することは大変です。守り続けなければならないものはあるのです。

 それにしても多忙な日々が続きます。

                 依田美恵子

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