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一つひとつこなす日々

2018年02月21日 | 季節のこと
目の前のことを一つひとつこなしていく毎日。仕事は別にして。

 一族の新年会が温泉で開催されて夫と共に出席。お迎えのバスの都合で10時に到着、宴会までが長いわー、と近くにあるチーズ屋さんまで、散歩というか時間つぶしというか、腹ごなしがてらに行くことにしました。

 このチーズ屋さん、エンジニアを脱サラされて開業した是本健介さんの有名なお店。以前そのチーズをいただいて、とっても気になっていたのだけど、わざわざ来るにはちょっと距離があるのです。

 夫が行ったら定休日だったりと、しばらくお預け状態だったのです。

 何人かが一緒に行きたいということで出かけたのだったが、直線距離は短いが、歩くとなると500メートル以上の下り坂です。

 工場を兼ねたお店の販売スペースは、全員が一緒に入れないかわいらしさで、ほとんどをネットで売っているらしいがうなずけます。

 最初に入店した私は、外で待つ人のために、早々とフレッシュと熟成の2種をゲット、その時壁に「吉澤渚さんのチョークアート」が飾ってあるのは見逃しませんでした。

 すばらしい!!  構成もいいし、チョークの色合いというか、チョークでしか出せない味があって、こんなお店にぴったりでした。

 またみんなでテクテクと歩いて帰ります。それでも風がないからなんとか。

 それから入浴。小さいけれど気持ちいい温泉で湯温も高めでうれしい。温まったところで露店風呂で冷たい風にほほをさらしながら、またまたじっくりと温泉を堪能したのでした。少し早いからほぼ貸切状態。

 洗い場の鏡の曇りをはらったら、鱗がなかった、う~ん、合格。

 始まった宴会・・・・出てくる料理の数が半端ではない。「なんか他所の倍位出てくるみたいね」と。最後までたどり着かないのに、最後の白飯が「立科産」ですって言われて・・・・これは食べて見なければと一同がんばったのでした。

 食べきれない方は、おにぎりにしてどうぞ、なんてラップまで持ってきてくださった。ごはん持ち帰るなんて初めてだー、と皆で言いつつ、確かにおいしいお米だとなったのでした。

 来年が我が家のお当番、ハイ即この場所に決定して仮予約を済ませたのでした。もちろんお迎えの時間早すぎないように指定しましたよ。

 料理も良かったけれど、私的にはお風呂の鏡かな。そこがきれいと言うことは・・・・・浴室よく清掃されていました。

 春日温泉の「ゆざわ荘」でした。

 しばらくの間、このチーズでいろいろと楽しんでいます。

                                             依田 美恵子
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天神講が終わりました

2018年02月10日 | 季節のこと
金曜日ちーちゃんは小学生最後のスキー教室でした。学校から歩いていける場所にスキー場があるしあわせ。みんなスキーが普通に滑れます。

 転校してきたちーちゃん、最初の出足が遅れていたけれど、すっかり上手になりました。なんたって裏山がスキー場なんだから、行こうと思えば何時でもいけます。

 このスキー場、高速道路横づけです。


 土曜日天神講でした。地区の道祖神の担当区域の小学生とこの春1年生になる子供たちが対象です。「てんじん・てんまん」は低学年、「天神天満」は高学年が墨で3枚から4枚書きます。

 傍で見ていると・・・・子供たちの性格が書く姿にも字体にも表れて興味深いですね。

 それが終われば、昔からのお約束事の「炊き込みご飯」です。どの時点からそうなったかわかりませんが、5、6年生の保護者が炊いて持ち寄ります。

 半分はお持ち帰りになるかなと思いましたら、子供たちの食欲というか、つられて食べるというかで、びっくりするほどでした。

 子供って面白いわ。

 こうして道祖神のお役目も、今日の天神講で終わりました。

 
 物入れを整理し始めていたら、未完成のアルバムがでてきました。ちーちやんが1年生の時のようです。この後ちーちゃんママが体調をくずして、夫もアルバムを完成させる気力がうせたのかもしれません。

 夫は孫4人のアルバムを丁寧に作ってきました。1人に付何冊もが並んでいます。

 娘がいなくなって、私は有限を感じました。それ以来、写真も熱心に撮ることを止めました。というより焼いてアルバムにすることを止めました。

 自分の昔のアルバムに至っては、アルバムを解体して10分の1にしました。

 自分の写真、今撮られてもうれしくないものね。時たま会合や同級会の写真が送られてくる度に苦笑してしまいますものね。

 その1年生のちーちゃんを見て、ちーちゃんが成長したのが実感できたのでした。

 本当に大きくなったわ・・・・身体だけでなく気持ちがもう本当にお姉ちゃんになって。

 本当に手がかからなくなってきて。

 もうすぐ中学生。制服も間に合って。

 小学校に通うのも、もう20日ばかり、いい思い出がいっぱいできたことでしょう。

 お読みいただきありがとうございました。

                      依田 美恵子
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道祖神に奉納しました

2018年01月24日 | 季節のこと
大寒に入って、この時期が一番寒いのは昔からのこと。寒中休みなるものがあったのは私の子供時代。本当に寒いのは2月15日までと、例年指折り数えるのもこの時期のこと。

 さいわい雪もたいしたことなく、ホッとしている。

 雪に慣れていない関東圏の皆様は大変でしたね。雪かきも持っておられないから・・・・・ね。


 古い着物、私の兄弟が子供の時着た着物を発見してしまったから、それをほどいて洗ってをしている。

 自分のだけにしておこうと思っていたけれど、ついみんなの物にも手を広げた。兄と弟の分はなんたって色目が地味だから、何か作るという発想がうまれてこない。

 ほとんどが綿入れだから、あらためて真綿の使われ方を学習してしまった。私がこれを作ることは絶対ないだろうけれど。

 メリンス地の物が多かったけれど、絹地の1枚は手を通した様子がなかった。

 たぶん日常着が着物だった時代から、洋服になっていった時期の物なのだろう。

 よそいき用に作ったけれど、着せる機会がなかったということなのかなと、当時を思い出してしまう。

 母の縫った物にハサミを入れるというのは、ハードルが高い。

 でもいずれは処分されてしまうものだから・・・・・と決断をしたのだった。

 表地よりも裏地がいい、裏地には絹が使われている、虫食いもなく色あせも少ない。結び紐の絹もうれしい。

 赤系、水色系、緑系と分けて洗う。その頃の物は色落ちするからである。

 アイロンを掛け、裏芯を貼る。

 さて・・・これを何にするか。


 それで道祖神に奉納する飾りを作ることにした。

 あえて、これらの古布を使うことにして、今まで奉納されていた古い品を参考にさせてもらった。

 「さるぼぼ」をメインにして、1つの飾りに20ばかりのパーツを作り、それをお宮の左右に飾り付けるべく2組作った。

 チクチクと縫っている時が楽しい。キッチンに道具を置き、細切れの時間を使って縫い上げた。

 道祖神は子供たちのお祭りだし、お当番の保護者は1年で替わっていく。かつては正月の道祖神は、甘茶を沸したのを、各戸が貰いに来たけれど、今は合理的に、子供たちが配布するようになった。

 それだから・・・・、これが一般の人の目にふれる機会はほとんどないから、奉納しても誰も気に留める人はいないだろうと、奉納するハードルが低くなった。

 上手下手を気にしないでいいから。

 日曜日夕方、ちーちゃんと道祖神の小屋に出かけ、奉納をすませた。

 地域の子供たちの幸せを祈りつつ。

 道祖神のお役目も、あと天神講を残すのみとなった。

 ちーちゃんが小学校に通う日も40日を切ったようだ。新潟の柿崎小学校で入学、そして1年生で2度の転校、そして3年生から平根小学校でお世話になった。

 その6年間がもうすぐ終わる。やっぱり感無量。

 すっかりお姉ちゃんぽくなった。夫も私も背丈を抜かれるのは時間の問題である。大きくなったものである。

 
                                            依田 美恵子
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彩雲にどんどん焼きに・・・・

2018年01月16日 | 季節のこと
先日来の寒波から打って変わって、春がきたような陽気です。正午で8度あります。暖かい地域の方ならね8度で暖かいなんてとお思いでしょうね。

 風もなくおだやかな日です。

 この頃、お客様訪問で事務所に座っていられませんでしたので、ブログを書いている時間がなくご無沙汰しています。

 11日の3時半頃、西を向いて車を走らせていましたら、彩雲が見えました。彩雲なのか、ちょっと悩む感じもありました。

 太陽と並行した位置ですが、その太陽が隠れるように雲がかかっていたからです。ひょっとして虹の出来損ないなのかなー、なんて。

 前回彩雲を見たのは10数年前でしょうか。知り合いに電話をしまくって、見て、見てと教えたのでした。

 それは本当に見事でした。

 今回もいいことあるかも!!と・・・・・ええー、本当にありましたよ!!

 休日、孫たちのスキーの様子を見たいと思いつつも、針仕事に精を出していました。半月も経つと、家の中を本格的にリセットもしたいしなんて午前中を過ごしてしまうと、午後は母の入浴時間になったりとなって、なかなか出かけていくタイミングになりません。

 そのうちに孫たち含めて10人の宴会の用意です。

 男子3人は朝から、相撲の初稽古にお誘いを受けたとのことで、結構な取組を済ませた後のスキーです。4時近く帰ってくるなり、4キロのランニングに出かけていきました。

 今年の目標にランニングを掲げたちーちゃんに、5年生の男子が「今年になって、何回走ったか」と、突っ込みが入りました。ちーちゃん弟分の男子3人にたいしてメンツがありませんので、一緒に走りにいきました。


 さすがに早々と帰ってきました(笑)

 どんどん焼きが復活したので、稲の花や繭玉を前夜ちーちゃんと作りました。それをどんどん焼きで焼くと、藁のとっても香りのいい団子になるのです。

 でも、持って帰ったのは、煙でいぶした感じで苦いのです。オキになってから、焼くといいのですが、そんな風になっていなかったのでしょう。

 子供たちには不評でした。

 私の子供の頃、母が繭玉をお汁粉にしてくれました。お餅のお汁粉は苦手でしたが、このお汁粉は大好きでした。

 今は自分のために、このお汁粉を作ります。最近甘いものが大好きになりました・・・・かなり危険な領域に踏み入れたのでしょうか(笑)

 この頃私があかちゃん時代に着た着物を2枚ほどきました。

 道祖神に奉納する物に仕上げたりしています。

 あえて大昔とも言える古い布を使うことにしました。1枚はメリンスで、もう1枚は絹のちゃんちゃんこでした。

 それをほどきながら、ちゃんちゃんこの中綿の中の汚れは、まさに私です。洗って、アイロンを掛け、裏芯を張ります。

 記憶にない頃の様でもありながら、どこか懐かしく感じます。

 まだ捨てきれていない、兄と弟の晴れ着もほどいてみようと思うのでした。

 断捨離の一方、こうして増えていく物もあるのですが・・・・・。

 お読みいただきありがとうございました。

 これからお客様訪問に出かけてきます。

                                 依田 美恵子
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年末年始の手仕事

2018年01月10日 | 季節のこと
新年になって、早10日。年末年始のお休みにやりたいことを幾つか計画していたのですが・・・・・全部はできていません。

 何をやっていたかと言えば、年末は料理作りに励み、夜なべで、食卓の座布団をチクチク縫っていました。

 長年仕舞ってあった、実家の母が作ってくれた炬燵の上掛けのリメイクです。30数年前にはなるでしょうか、実家の新宅のおばさんが織った物です。経糸は木綿糸で、横糸は毛糸です。母が頼んで織ってもらったものを母が仕上げたのです。

 きれいな色合いでしたが、大事仕舞いこんでいました。本来の上掛けで使うということもなく、まさに死蔵品になっていました。

 それをほどきました。一番のハードルはそれをほどくという過程でした。縁取りの布は、私のワンピースの余り切れでしたから、まずその思い出と向き合わねばなりませんでした。

 そしてさらに母が、私の姑の目を十分に意識しただろうその仕事ぶりでした。

 私の能力ではそれを再現することはできませんから、ほどけば元に戻すことは不可能です。だから最初の鋏を入れる時は、なみなみならぬ決意がいったのでした。

 それをほどきながら亡き母との時間を過ごしたのでした。

 30日にようやく8枚の座椅子の布団ができました。あと2枚必要なのですが、材料が無くなりました。

 経糸と横糸のハーモニーが見事です。赤がアクセントになって、心がホンワカします。

 ただ仕舞っておいても、次世代には想い出がないので、処分されてしまうでしょうから、いい選択だったと思うことにしました。



 正月になって、道祖神の小屋を片付けていて、そこに奉納されていた、吊し雛風の飾り物をみました。いつの時代の物かわかりませんが、劣化して色あせたり、破れて中の綿がはみ出したりしていました。

 太陽の下にさらされることはありませんが、小屋の中の温度環境が劣化を促進しているのかもしれません。

 メリンスの生地の風合いが優しくて、ほのぼのしています。

 これを作った時代が偲ばれます。絹の物がふんだんにあった時代ではなかったのでしょう。だから使われている生地もさまざまです。

 端切れや、ほどいた着物の裏地が使われています。

 私も奉納してみようか・・・・・孫子の成長を願って。

 そんな訳で、毎日いそいそと縫い始めています。あのメリンスのやさしい風合いが気にいりましたので、私の持っているメリンスも使うことにしました。・・・・もう現代でも売っているのでしょうか・・・・それで「さるほぼ」を縫っています。

 飾られていた「さるほぼ」と作り方は違います、私流です。

 薬袋や、間にはさむ、梅の毬みたいな物を時間のある限り、チクチクしています。

 この休み、いっぱい読書して、確定申告の医療費をまとめてなんて思っていたのですか、そちらははかどっていません。

 でも、ノーベル賞作家のイシグロ氏の作品1冊読み終えました。かなり重い内容でした。

 夕食の席でそんな話をしたら、ちーちゃんが「鎌倉ものがたり」を薦めてくれました。そして「鎌倉ものがたり」の他に数冊が届けられました。

 私の読むのを待つ本のタワーがさらに高くなりました(笑)
                                           依田 美恵子
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消えていく文化・・・・・注連飾り

2018年01月09日 | 季節のこと
仕事始めからの3連休です。週間天気予報を見れば、長野に雪マークが続いています。この時期見る天気予報は長野ではなく東京ですが、その東京を見てもあまりいいとは言えません。

 そんな訳で、休日の暖かい時間ポスティングに歩くことにしました。

 どんなに少なくみても、ポスティングに10日はかかるのです。1月一番寒さが厳しい頃ですから、天気の悪い日や寒い日は出て歩きたくありません。

 そしてもうひとつの密かな楽しみがあるのです。

 注連飾りのウォツチングです。

 30年近く前、子供の道祖神の付き添いで、近所のお宅を回りました。そんな時でなければ、なかなか他所のお宅にお伺いすることはありませんが。

 そこで見たのは、それぞれのお宅の注連飾りでした。

 その頃、既製の物も出回ってきてはいましたが、それでも田舎は手作りが主流でした。

 〆をなえることは、田舎では一人前の証でもあったかもしれません。

 我が家では父がずっとなってきてくれていました。

 父がいなくなり、喪があけた一昨年前、夫はないませんでした。なえなかったのです。手が痛くてです。

 我が家の伝統がひとつ途絶えそうです(笑) 幸いにも父は一代おろのきで息子に教えていたことがありましたから、そちらに期待しています。

 
 ポスティングしていて、毎年楽しみにしているお宅があります。昔からのしきたりどおりの注連飾りです。玄関の両側と玄関の上に飾られています。

 玄関先にいた奥様にお話を伺いました。ご主人と奥様の実家と、娘さんの嫁ぎ先の分と4組作られているのだそうです。

 今年は本当に見られませんとお話しました。昨年まであった注連飾りがご当主がなえなくなると、突然なくなります。

 半分のお宅が紙です。残りの半分が、ごぼう締めに松とおんべを付けています。松の木の大きさはピンからキリまてです。

 その昔、松の木が絶えてしまうというような観点から、紙になったように記憶していますが、それによりひとつの文化が消えつつあることは事実です。

 奥様とお話した後、隣の地区にポスティングしていて、先のお宅と同じ注連飾りのセットをみました。ここが娘さんの嫁ぎ先なんだとわかりました。

 その嫁ぎ先のご主人は良く知っていたのですが、お嫁さんの実家のことは知りませんでしたが、注連飾りで繋がりました

 昨日の信濃毎日新聞の生活雑記の「歳神様」を読んでいましたら、知らないことがいっぱいありました。下高井郡の田口恵さん66歳が書かれた物です。

 少し引用させていただきます。

 12月31日の日没と共に歳神様は山から下りて来られて、松飾りを目印に家の中にお入りになる。鏡餅に宿られた歳神様は、どんどん焼きの煙に乗って山へ帰られる。

 神様が宿られたお餅だから、鏡開きの時には、刃物で切ってはいけない、割る。

 御歳魂はお年玉になり、入れるものも餅からお金になった。

 以上引用終わり

 私の子供の頃は神棚の他に、正月用の棚を作っていた。その棚の左右には松の枝が使われていた。私の祖父がしつらえていた記憶があるから、少なくとも60年前まではあったはずである。今もしつらえている方はおいでなんだろうか。

 いつのまにというか、世につれてというか、消えていくものも多いですね。孫にでも話しておかねば・・・・・。
                                    依田 美恵子
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道祖神と仕事始め

2018年01月06日 | 季節のこと
今日は仕事始めです。
 
 出勤時の外気温マイナス10度でした。今冬一番の冷え込みです。

 ヨーロッパもアメリカもすごい寒波だそうですが、その寒波が日本にも流れ込んできているのですね。

 会社にきて・・・・日本一快適な事務所は、春のような暖かさで・・・私生き返っています(笑)

 この位寒くなると何が起きるかですが、水道が出ないとなるようですが、当社で建てられたお客様にはそれがほとんどありません。

 基本的に水道の配管は地中から直接建物内にはいっていますから。凍結防止帯も要らないから、冬になると、それで電気料が上がるい言うこともありません。

 一部ボイラーを外に設置した場合、凍結防止帯は使いますが。

 今日起きたことは、トラックのエンジンがかからなかったことでした。燃料が凍ったのだそうです。年末年始のお休みで動かしていないのも原因のひとつかもしれません。

 修理工場に電話したら、朝からその電話で大変だったそうです。

 結局ジェットヒーターとドライヤーのお世話になりました。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 冬の道祖神です。

 3日4時に集合して、お宮様(正式名称しりません)を入れる覆いを作ります。

 その頃、強い風が吹いていました。甘茶を沸すために外で火を燃やしてお湯を沸かさねばなりませんが、この風にあおられたらと心配になります。

 引継にあった、新しいお釜を買った方がいいという項目が気になっていました。ちーちゃんパパが暮のうちにお店を歩いたけれど、どこにも在庫がありませんでした。

 たぶん・・・・昔からの金物屋さんにならあるかもと、3日お店が開くのを待っていました。

 一軒目はありませんでしたが、2軒目では、倉庫の奥で眠っていたのを出してくれました。もう過去の遺物になっています。

 このお釜でご飯を炊いた経験は私の年代が最後でしょう。私だって10歳以後は電気釜でしたもの。

 でもちゃんと薪で炊いたんですよ。母が入院してしまったから。まあーそれまでもたまには炊いていたから、できたのでしょうが。

 もう売れませんからと半値でした。

 薪も準備してよく乾かしていたのですが、火を燃やすことは止めました。幸い我が家は道祖神の場所と目と鼻の先です。

 家中の魔法瓶を持ち出しました。それをピストン輸送で運びます。甘茶の甘さの程度・・・・私好みの薄味にしましたが、もしかしたら薄かったかもしれません(笑)

 息子の時代は、皆さんが甘茶を貰いに来てくれる形式でしたが、いつからか子供たちが小さな魔法瓶で一軒一軒配って歩く方式に変わっています。

 これだと、効率がいいのです、配り終れば終わりに出来ますし、お賽銭もしっかりいただけますから。

 そして4日、5、6年生の家は大きめのおにぎりを6個ずつ持参してもらいます。

 そしておんべを持って「悪魔祓い」に一軒一軒伺います。その際おにぎりを各戸に配ります。

 形骸化していますね。本来おにぎりを配る意味を誰も理解していませんので、ただ配るということになっています。

 皆さんが「悪魔祓い」に行っている間に、夫と道祖神のお道具を入れてある小屋を少し片付けました。お当番は毎年変わりますし、片付けはみんなでその時にバタバタと片付けてお終いにしますので、物がプラスになっていっています。

 古い木のみかん箱・・・もうこわれていますが、何につかっていたのでしょうとか。水を運んだポリ容器ならぬポリ袋などが幾つもでてきました。

 それらを片付けただけで、少し小屋に余裕ができました。

 棚には古いお宮というかお社が今使っているほかに2台ありました。いつの時代の物なのでしょうか。

 あたらしいお社をどなたかが奉納されたからなのでしょうか。見て見たいな・・・と思ったのでした。

 そしてそのお社には、つるし雛のような布の細工物が下がっていました。色あせてたり、劣化して中の綿が飛び出したりしています。吊るしている糸が切れて満足の状態の物はひとつもありませんでした。そこに奉納された方のお名前が見えました。

 なんだかそこに反応してしまった私です。

 細工は「薬袋」と「猿っこ」に小さな毬のようです。

 これなら縫えるかもしれない。

 「悪魔祓い」を終えた子供たちに、お菓子と飲み物とお年玉を配りました。このお年玉、学年ごとに基本金額があり、それに夏と冬の参加日数を乗じた金額で渡します。最高で3.000円ですが、子供たちはとっても楽しみにしています。

 これを楽しみに参加してくれるから、継続できているのかもしれません。

 かっては、中学2年生が頭でやっていた頃は、いただいた金額を全額分配していたようですが、昨今は小学生の行事となり、親の管理下になりましたので、
金額もコントロールされています。

 残った金額は、太鼓の張替などのために備蓄されていきます。

 こうして我が家の道祖神の当番も冬の陣を終えました。

 残りは2月の天神講です。

 お読みいただきありがとうございました。
                                 依田 美恵子
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暮の掃除・・・・道祖神の小屋廻り

2017年12月17日 | 季節のこと
土曜日、いつもの時間に目が覚めましたが、学校もお勤めもお休みの日だと気が付いて、1時間ほど二度寝をしました。

 そうしたら朝の忙しいことと言ったらありません。9時に公民館の掃除当番があります。

 朝家事を終えたら時間です。

 公民館、いつも気になっている玄関戸のガラス磨きをしました。なぜ全面ガラスにしたのでしょうね。そこにいろんな物をテープで貼るので、さの跡がいっぱいなのです。

 この前掃除した時、台所洗剤を塗ってサランラップを貼ったのです。ちょうど1年前ですが、その時完璧に取れなかったのに、そのテープ跡が真白く劣化していて、こすると落ちました。

 なるほどと思いましたが、今回は洗剤を塗る時間はありませんでしたので、パスしました。

 このテープ跡を掃除した経験があると、ガラスに必要以上にたくさんのテープを使うことに躊躇するものです。会社の窓もそうなんです。

 大勢での掃除はアッと言う間に終わりました。

 先日ポスティングをしていたら、障子貼りをしたらしいお宅がありました。真っ白ですがすがしい感じがしました。

 和室が減っている時代です。暮の障子貼りも死語でしょうか。そのお宅の玄関には、もう門松がご用意されていました。なかなか手回しがいい方なのだと感心いたしました。

 帰宅してから、この頃気になっていた道祖神のお道具を入れてある小屋の周囲の草刈りです。夫に声を掛けようと思いましたら、もうお出かけしていました。
 
 提案して仕事を振るという訳にはいかないので、ひとりでやることにしました。

 もう枯れていますが、草丈はかなりです。植えてあるつつじとモミジでしょうか。伸び放題です。こちらも剪定ばさみを持ち出し剪定です。

 方法なんてしりません、お花の要領で込み合ったところや、伸びすぎたところをカットです。

 風で舞い込むのでしょうか、道下ですのでゴミもあります。

 小1時間やっても終わりません。もうひとりでは限界ですので、切り上げました。

 道祖神の小屋の隣には、19夜様の時にお線香をあげる仏像(?)があります。お当番になると、若手がここにお線香をあげにきていたのですが、どう言う訳か、私1度も来たことがありませんでした。

 その仏像がつつじに埋もれているのです。毎年お線香を上げるのに、大変だったことでしょう。

 といいつつ、昨日その仏像なるもののお姿をじっくり見てきませんでした。もう何年生きてきているのだか。

 公民館掃除の折、皆さんと来年の19夜様の日程を決めました。

 3年前から、お当番だけでするようになったのです。自分たちの代でやめる訳にはいかないという、悲痛な思いからきていますが。

 もうお念仏の節回しをよく知る方もいなくなっています。テープにとってはあるのですが、すべてが時間の問題なのかもしれません。

 午後は、切干大根と、ヘソ大根作りに励んだのでした。


                                  依田 美恵子
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先祖祭りと埋蔵文化財

2017年09月25日 | 季節のこと
佐久が一番温度差を感じるのは9月初めと終わりの最低温度です。今年はまだ高めで推移していますが、まもなく10度割れになります。

 明日お江戸に行くのに、何を着て行ったらいいのか迷う私です。ハイ早々と衣替えしてしまいましたが、お江戸は30度の残暑らしい様子ですね。

 
 土日の2日間どう言う訳か、キッチンから離れられませんでした。作って作って・・・・です。

 冷凍庫は満杯なので、いただき物をしてあったお宅にお届けに行きます。

 土曜日先祖祭りでした。

 和尚さんのお経の前に、女性たちで大数珠を回します。以前は夜女性たちだけで集まって回していたのですが、最近は男性と女性の集まりを合体させたのです。

 今年は男性たちも誘って回します。数玉の数を数えたらおおよそ1000個弱でした。その中に大きな球がひとつあります。それが自分の所に来た時に、痛いところや、持病の当りに当てて、よくなることをお願いするのです。

 皆さんの数玉を当てるところを見ていたら、圧倒的に膝と頭が多かったです。頭はきっと認知症にならないようになんでしょうね(笑)

 和尚さんのお経をお聞きしながら、何十年もお聞きしているのにお経の意味もわからないのですから、お経の言葉の漢字をあてがいながらお聞きしていました。

 それでもずっとは続きません(笑)

 それではと、私が嫁入りしてから、見送った一族の人たち一人ひとりを思い出しまし、24人まで数えることができました。、

 いろんな場面が思い浮かび、私としてはとてもいい供養ができました。


 本日は分譲を計画している土地の宅地部分700㎡弱の埋蔵文化財の試掘でした。

 ハラハラドキドキしながら立ち会っていました。

 幸い土器などは出ませんでしたが、人がかっていたのではないかなーとかすかに感じさせました。

 あちらの畑の方が確率が高そうですね、とは担当の方の観測です・・・・・そちらは農転の許可が下りないうちは試掘ができません・・・・・私のキモメはまだ1ケ月も続きそうです(泣)

 夏の最後のような暑い日差しと青空も下、平安時代に心をはせてもいたのでした。

 黄色土は1万年前の浅間山が噴火をしつつ山を形成していた時代の物らしいです。ふ~んなんか一つ知識が豊富になりましたよ。

 もうすぐ今年度も半分終わります。しばらく忙しい日が続きそうです。 


 今週もよろしくお願いいたします。

依田 美恵子
    軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家


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紅白幕の補修

2017年09月04日 | 季節のこと
お盆の16日の朝、道祖神の「どっこい・どっこい」の片付けをしました。ちーちゃんパパはお仕事でしたから、夫が代役です。
 
 道祖神は私がちーちやんパパが出席できない会議で受けてきた役目です。

 この朝、小雨というか霧ぶったようないい天気ではありませんでした。

 山車を保護者が解体して、子供たちも一緒に道具類を保管用の倉庫に運びます。

 紅白幕と提灯が茶箱に入れられました。ここに入れて倉庫に入れたら来年まで開けられることはありません。この湿気を含んだまま仕舞うには心が痛みました。

 乾燥させてから仕舞いましょうと夫に提案して、自宅に持ち帰りました。

 8月は天候不順で休日と晴れが重ならないままに、9月になってしまいました。

 紅白幕干してと思いましたが、埃っぽくみえます。色落ちするか確認しましたら、それはなさそうですが、洗濯機で洗うほどの強度はなさそうですから、手洗いしました。

 そしてしみじみと眺めると・・・・・痛んでいます。提灯にロウソクを使っていた時代の名残でしょうか、焼けていたり、かぎ裂きだったり、欠けてぬけている場所も何か所もあります。

 何時つくられたものなのでしょう。30年前の息子の時代も使っていたから、さらに年季が入っているのでしょう。さらに倉庫の中の高温で布が劣化しているのかもしれません。

 例年準備の日に取りだして、傷んだところはガムテープで補修したりして、取り付けていたようです。

 そして終われば即茶箱に入れてを繰り返してきたのでしょうね。

 この作業はお父さんたちの分担だったから、息子の時代にも私も手に取ってみることはありませんでした。

 しかし、こうして目にしてしまうと、このまま茶箱に戻すわけにはいきません。

 タンスの中に仕舞ってあった、ちーちゃんママの岩田帯の紅白の布を出して、補修を始めました。

 切ったり貼ったりです。

 衣類に継ぎを当てた物を最近は見たことありません。私だって継ぎの当ったズボンをはいていた同級生を見たのは中学性の時が最後でしたもの。

 それを見た時、彼のお母さんはえらいなあーと感心しました。

 あーあ、そんなことありません。我が家の息子、野球部でしたから、ユニホームのズボンの膝補強したこと思い出しました。

 そうなんですよ、継ぎの経験がないのです。家庭科で習ったかもしれません・・・・。

 まあそうなのですが、見ていたのですね母の手仕事を。別に注目して見ていたわけではありませんが、知らず知らずのうちになんでしょうね。

 母は雑巾を毎日縫うのが日課で、それも新しい生地ではなく、いろんな物をはいだり継いだりして縫うのが好きでした。

 自分の物をすべて処分しきってと言う訳ではなかったけれど、ひたすら針を持つのが好きだったのでしょう。

 今の私なら、その気持ちが分かるような気がします。

 キルトでも勧めたら嬉々として縫っていただろうな・・・・あの頃の私は気が付きませんでした。

 見よう見まねとはよく言ったものです。

 夫が「紅白幕の幅が広すぎる」と言います。たぶん既成サイズそのままなのでしょう。それならば少し巾をカットできる余裕がありそうなので、まさに二つに裂けようとしている所をカットしてつないだりもしました。

 結局修復は20ケ所近くとなり、ありとあらゆる方法を使い、休日の1日をこの作業に費やしたのでした。

 「誰に見られても恥ずかしくない仕事」の言葉が度々脳裏を横切りますが、所詮は私の針の腕では無理なことです。。

 こうして針を持っていると、亡き母に向かい合う時間を過ごすこととなります。

 見れば見るほど手をかけたくなる。ひょっとして私にも母の「継いだり接いだりが好き」のDNAが受け繋がれているのかもしれないと思えるのでした。

 つまり私も針を持って、ここをどう仕上げようかと工夫するのが楽しいのです。

 これからも、当番がその日に蓋を開けて出し、終わればその日に仕舞われるでしょうから、そんなに私の仕事の出来を見る人はいないはずです。

 だから安心して・・・・楽しんでしまったのでした。

 次年度への申し送りに「紅白幕はそろそろ新調したほうがいい」と書いてもらうことにしました。

                                            依田 美恵子
    軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家


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