きのう金曜夜に配信予定のメールマガジン17号。
特別企画☆木下黄太に訊く! 本音の放談!☆
「反体制派は本当に放射能防御を考えているか」
「放射能懸念を利用する詐欺師に騙されない心得」
「最近首都圏から避難した人が一番、放射能に。。。」
重要情報はメルマガでのみ配信、是非お読み下さい。
====================================================
台湾に避難している福島避難者の方に、台東の近くで、原住民部族の村があり、その少数民族の長になる、おばあさんが、核廃棄物への思いを語ってくれたそうです。
台湾政府や電力会社はその地に核廃棄物を捨てようとしています。
このおばあさんの放射能に対する感覚は、僕らも共有できる話と思います。
========================================================
こんにちは、台湾は梅雨明けに近いかんじで暑さの質がかわってました。
雷ゴロゴロ、すごいです。
台東の南田という場所に台湾政府と台湾電力が核廃棄物の処分場をつくろうとしている計画があり、ここ数年、地元の人達は反対運動をしています。
すぐとなりは、屏東という場所の海岸線で、その処分場の予定地とされている場所があるのですが、その場所の見学と、台東の反核運動団体の方に会って現状を聞き、また日本の福島の現状などをこちらからは話をしというかんじで、大学の先生と一緒にでかけてきました。
その場所はもともと原住民の村がある場所、原住民の土地なのですが、原住民は暮らしの厳しい人も多く、台東という場所は都会からは離れているので、いわゆる貧困な自治体のような扱いで、お金でその場所に核廃棄物の処分場をつくることで、その地域が潤い原住民も仕事ができたりしてよくなるというようなことをいって、つくろうとしているのです。
私が会ったのは、パイワン族の中のひとつの部族の大頭目のおばあさん。代々女の人が頭目を継ぐというようになっているそうで 88歳のおばあさんとその娘さんに会いました。
88才の大頭目は日本語が話せます。逆に中文のほうが得意ではない。普段はパイワン族の言葉で話しているそうですが、日本が統治してた頃に日本語だったから日本語はしっかりおぼえていて、驚く位に日本語の会話がしっかりしていました。
私が日本の福島から来たことを台東の反核団体の人が伝えたので、「あなたは本当によく来てくれました。あんなこわいことがあり、こわい場所から あなたの苦労をおもうと涙が出ます。よく台灣に来てくれました。そしてあなたの苦労の話を私達台灣の人の為にしてくれてありがとう。」といわれ、「私はあんなものがくるのは絶対に反対です。」と核廃棄物のことを言ってました。「東京は(=日本)たいへんなことになりました。とても危険です、怖いことです。」と何度も何度もいってました。
テレビを少し見るくらいで、ネットなど見ないおばあさんですが、「放射能は悪霊」と言ってました。
危ない、危険、近くにいてはいけないと話してくれるのをみて 化学とかネットの情報とかそういうことじゃなく、感性というか人間の本能というか、人間の本質的な賢さというものを見た気がしたのです。
なんだかそう思うと、いまだに 正しく怖がるとか 正しい知識をとかいいながら 危ない場所に住んでいる人達は、なんなのだろう とか思えてしまいました。何をいってもピンとこないひとは、ずっとこないのかもしれない、なんてことを最近さらに思います。
一般的にも、原住民の方は、放射能とか核廃棄物を悪霊といいます。中間貯蔵処分場にされた蘭嶼島の人達も、そう呼んでいます。 お金でどうのこうのとか、そういうことを推し進める人は悪霊にとりつかれた人というように見られるということもあるのかもしれません。
台東のその海岸線の側の山を掘って、横穴式で深くほり、最終貯蔵処分場にしたいと台湾政府は話しているそうですが、原住民の土地なので原住民法でいうと勝手にそういうことは政府はできないのですが、原住民は、元々はそこの土地だったのかと言われると、日本統治時代に日本に原住民は、むりやり引っ越しさせられたという歴史があり、パイワン族もそのひとつです。厳密に言うと、その土地は 原住民の土地じゃないとか言い出す政府関係もいます。どこまでもやり方が汚いと現地の反核団体は話していました。原住民と反核団体やいろんな人と協働して頑張っているのが、よくわかりました。
88歳のおばあさんが、「とにかくこわい、あぶない、土地が汚される 水も汚される、そうならないよう神に祈っている」と話している。
人間の感性とかそういうものが違うのではないかとも。
日本で、今たくさんいる、知識がとか化学がという人達、専門的だけどなんだか違う。
どんなに知識があっても感性がないとなんにもならないというか、中身がないというか。
感性があってはじめて、知識は役立つというか。
なんだか鼻血の問題もそうですが、見ていて、さもわかったように書いている専門家みたいな人をみていると、哀れになってくるようなかんじさえしました。
どんなに専門的な知識があっても感性が鈍いと、そういう危機感とか生きていくのに必要なものはなにかとかわからないのじゃないか、と思ったのです。生きていく上に必要な賢さって、ネットがあるからとか、そういうことじゃないのじゃないかと大頭目のおばあさんと話をして感じました。
「私は絶対にゆるしません」と強くいった88歳のおばあさん、なんだかいろいろなことを考えさせられました。
=========================================================