masaring

自己チューの進行形日記でshow。

歌を好きになった理由、其の弐。

2009年08月13日 | 音楽!何でも大好き

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【野牡丹、花の命は数時間。歌謡曲に何故か似ている。】

僕は、昭和30年代後半から40年代に少年時代を過ごした。

僕が初めて歌謡曲と接したのは、小学校高学年だった。
各学年の教壇の上には白黒テレビが鎮座していた。
給食の時間、教室にはテレビが写っていた。
各学年好きな番組を見てよかった。

僕達の学年は女子のチャンネル権が強く歌番組だった。
平日の昼の歌番組は、青春歌謡のオンパレードだった。
舟木一夫・西郷輝彦・三田明・橋幸夫etc.

ある日、ある歌手に釘付けになった。
ハスキーボイスなのに甘い歌声、芸名は、
安達明だった。
「潮風を待つ少女」・「女学生」・「友情」と
次々と新曲を出してヒットした。でも紅白には出ていない。

安達 明さん~僕のカーネーション~

そして、僕はこの歌をテレビで見て歌の虜になった。
「僕のカーネーション」。歌が好きになり
歌を作りを始めた原点の歌でもある。
 
今、彼は大阪でスナックのオーナーをしているという情報を
得ている。もしかしたら今の彼に会うことも可能かも知れない。

でも夢は夢のままの方が人生に価値があるような
気がする歌好きの僕である。

♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪

そして、もう一曲。これも歌詞がなくても歌える歌。
叶修二さんの「素敵なやつ」。
情報によると彼は新潟で、やはりスナックの
オーナーをしているらしい。

叶修二さん「素敵なやつ」

途中、このふたりの職業も様々だったらしいが
歌に関する商売は止められないようだ。
   

青春歌謡流行初期にデビューしていたなら
彼らは今も現役の歌手を続けていたかもしれない。

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【花虎の尾。歌を好きになった理由、其の参に続く。】

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第3の人生。

2009年08月09日 | masaringの内緒話

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【55歳の僕は、まだ第1の人生。しかし彼は、第3の人生に突入。】

Akahana

ある蒸し暑い日曜日、東京・台場の「デックス東京ビーチ」。
海辺の涼を求める人出の中、とあるイベントに
延べ約300人ほどが群がったという。

中心で演じているのは紙芝居師。

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「そこに現れたのは北斗晶~!」。「ももたろう」の
登場人物をプロレスラーに変えた紙芝居で笑いをとる
紙芝居師もいれば、子供を背中にくくったお母さん
紙芝居師も。4人の熱演が終わると、
惜しみない拍手がわいたという。

紙芝居師の集団「S劇団」の旗揚げ公演。

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その主宰者が昭和50年代前半のアイドルグループの
一員I君だと言うからビックリした。


仕事は紙芝居プロデュース。
従来の紙芝居を大事にしながらも、
小道具を使ったり、個性ある語り手を起用したりし、
「エンターテインメント」として紙芝居を全国展開し、
演者が紙芝居師として食べていけるよう
育てるのが目標なんだそうである。

でも、彼のこの仕事は50歳を超えた今年春から。
グループが解散してから彼をテレビで見ることは無かった。

しかし彼はグループ解散後、第2の人生を
売れっ子放送作家として活躍していたらしい。

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紅白歌合戦に出場したアイドルグループ。
人気凋落後の苦労は想像を絶する。
実力社会の放送作家だ。
しかしI君。ここで「元アイドル」がネックになった。

「制作側には『タレント上がりが』という意識があった」。
テレビ局の企画会議に呼ばれない。
名刺を受け取ってもらえない。「帰れ」と言われ、
涙を流しながらテレビ局を後にしたこともあったという。

しかし努力家のI君、「ここでやめたらかっこいい30歳に
なれない。それに、もう行く所もない」
と、がむしゃらに
来る仕事をこなし、週11本のレギュラーをとった。

しかし、
売れっ子放送作家にはなったが「満足感がない」と感じ始め
紙芝居という世界に飛び込んだのだ。

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収入は放送作家時代の5分の1にまで激減したという。

「でも、満足感のない仕事で金をもらうのは耐えられない。
アイドル、放送作家ときて、これから第3の人生。
紙芝居にかけます。」
とI君は結んでいる。

次は「かっこいい71歳」を目指すつもりだと言う。

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僕は今、第1の人生の途上である。

今の職場が今頃になって居心地が良くなってきた。

でも第3の人生ではなく、そろそろ第2の人生を

考える年齢となったのは確かな事実である。

Akahana

さて、I君が所属していたアイドルグループは↓。

歌のタイトルは『みかん色の恋』。さて、グループ名は何?

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Photo

【ジニアプロフュージョン。さてさて、僕の第2の人生の花は?】

Akahana

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生命(いのち)の代表。

2009年08月03日 | masaringの内緒話

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【マリーゴールド。花言葉は、生きる・友情・予言。】

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8月になり、お盆が近くなると毎年思うことがある。
私の生命が今あるのは父母の生命が二つあったから。

そして、祖父母の生命が四つあったから。
曽祖父母の生命が八つ。そしてわずか三代前までで
十六もの生命が必要だったこと。

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これをさらに遡ってみると、十代前までで1,624人。
二十代前で1,048,576人。

四十代前で、なんと1兆995億1,612万7,776人。

気が遠くなるから、この辺で留めることにするが、
ほんとに多くの生命があってこそ
今の私の生命があるのだ。

この気の遠くなる人数が、私の先祖なのだ。
言い換えるなら、今の私はまさしく先祖の代表だ。

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そう、先祖は私の生命の源。
私に尊い生命をくれた方々。

先祖の代表として今を生きる私達が
生命をいただいた感謝と生命を大切にする心が
お盆という風習をはぐくんだのであろう。

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今、世間では核家族化が進み
家庭教育そのもののあり方も変わってきたが

日本の心というべき、お盆という行事を通して
感謝する心、すべてのいのちに対する
思いやりの心を育てたいものだ。

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共感してくれる人もいるはずだ。

生命を正しくリレーすること

それが私の命題でもある。

生命の代表ということを今一度考えてみよう。

お盆が近い。

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【ムクゲ。花言葉は、尊敬・信念・繊細な美しさ・柔和】

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