masaring

自己チューの進行形日記でshow。

信仰って、、、。

2009年01月18日 | masaringの内緒話

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【西国三十三箇所第三番札所。元旦は初詣で一杯。↑寺の大門】

Sakura

母が入院している病院に行った。一度位顔を出さないと
退院後「親不孝」と罵られるとも思ったからだ。

それと娘から「おばあちゃんへのお見舞いの花、送りました。」
と、我が携帯へメールが来たからだ。花は今夜届くらしい。
奥さんに持って行ってもらいましょう。喜ぶことでしょう。

Kiao

母が入院している町に、冒頭の大門が迎えてくれる寺がある。
折角来たから、信仰心?で久々に参拝しようとしたら
駐車場代金500円を徴収に来た。《昔は閑散期無料だったのに》

12345678_2 母も一昨年までは、妹家族と
毎年、元旦の初詣が行事だった。
いくら名高いとは言え、松の内も
過ぎたのに、商売見え見えの姿に
少々辟易した私だ。

伝承によれば創建は宝亀元年(770年)。歴史の古い寺だ。
休日のせいか参拝者も多い。この寺の由来は諸説ある。

Kiao

1つ目は、山中に不思議な光を発する場所を見つけて、
そこに小さな庵を営んだ。これが始まりとする説。

12345その後のある日、孔子古の家に
一人の童子(童男行者)が訪ねて来て、
一晩泊めてくれと言う。

童子は宿を借りたお礼にと言って、
7日かけて千手観音の像を刻んだ。
8日目の朝、孔子古が見てみると童子の姿はなく、
金色の千手観音の像だけがあった。

孔子古は殺生をやめて観音を信仰するようになったという。

Kiao

2つ目の話は千手観音の霊験説話。
河内国の長者の娘は重い病で明日をも知れぬ命であった。
そこへどこからともなく現れた童行者が
千手千眼陀羅尼を称えて祈祷したところ、娘の病は全快した。

喜んだ長者がお礼にと言って財宝を差し出すが
童行者は受け取らず、娘の提鞘(さげざや、小太刀)と
緋の袴だけを受け取り、「私は紀伊国那賀郡におります」と
言って立ち去った。長者一家が那賀郡を尋ねて行くと、

小さな庵に千手観音像が立ち、観音の手には
娘の提鞘と緋の袴があった。長者一家は、
あの行者が観音の化身であったことを知ってその場で出家し、
孔子古とともに粉河寺の繁栄に尽くしたとのことである。

以上の説話がどこまで史実を反映したものかは定かでないが、
寺は平安時代には朝廷や貴族の保護を得て
栄えたことは確かである。

Kiao

平安時代後期には、この寺は、その頃から始まった
西国三十三箇所観音霊場巡りの札所の1つとして栄えた。

この諸説を皆が知っている訳は無い。
しかし、信仰か観光か?

123456789大勢の参拝者だ。
本堂も有名だが、豪壮な
石組みに植栽を合わせた
座視式の枯山水蓬莱庭園
有名だ。誰の作品?。

しかし、売店と言い本堂と言い沿道と言い「金儲け」丸見えだ。
信仰と商売。考えてしまった。門前町として発展した所以だが。

Sakura

私は、自宅近くの寺に掲示してる「言葉」が好きだ。↓

2009117_008

【頑張っても、焦ってもどうにもならない時、時が解決してくれる。】

Sakura

コメント (4)
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