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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカーにおける生観戦と映像の両立

2015-09-18 01:22:38 | 日記
 試合前、ゴール裏からはコールリーダーを軸に、選手へのチャントと応援歌が歌われます。

 自分の名前がコールされた選手は、拍手をする、頭を下げる事で

 「声がしっかり届いているよ」

 と言う意思表示で気持ちを返します。

 その彼らの行動で、僕たちは

 「ああ、僕たちの声が今日も先取に届いている」
 「きっと僕たちの声が、選手を鼓舞するに違いない」

 と言う安心感が得られます。

 これらを僕たちは簡単に「臨場感」と語るわけですが、これらはテレビ、動画ではなく、やはり空間を共有する者同士で生まれるわけです。

 僕は映像作品を否定しません。

 ワールドカップがある旅に、放映権料の高さが問題視されますが、テレビを付ければ選手たちが蹴る瞬間を確認できることは、本当にありがたい限りです。

 僕が言いたいのは

 「スタジアムの生観戦と映像で楽しむ事は両立できる」
 「片方が廃れるわけはない」

 と言う事です。

 NFLやMLBでは、座席に腰掛けるだけで手持ちのスマートフォンが反応し、割引チケットや飲食の情報がもたらせると聞きます。

 日本でも、スマートフォンで予約をし、昼食時の混雑を避けて弁当が変えると言うシステムがありますが、今後はJリーグでも同様の試みが行われるでしょう。

 利便性の仲の不便さ

 矛盾していますが、サッカーは屋外競技ですから、気象条件は無視できませんし、どんなに注意を払ってもシャトルバスが渋滞に巻き込まれることもあります。

 この不便さを享受することも、ファンの役割だと感じます。
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