塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカーにおけるディティールの差

2010-02-10 18:44:38 | 日記
 僕は普段ジーパンを履く事が好きですが、同じようにスーツやブレザーを着る事も好きで、暇ができた時はお店を周ってウインドウショッピングを楽しんでいます。
 一見流行とは無関係のように見えるスーツですが、実は流行の影響を受けているんです。でも一見ではわからない、ミリ単位での差異なのでわかりにくいんですね。よくスーツ好きの方々が、「スーツのディティールはミリ単位で変化する。」とコメントするのはその為です。

 でもこの「ディティールの差」は、サッカーの世界でも現れていますね。

 アルバロ・レコバがウルグアイ代表の主力だった頃、彼はウルグアイのファンから非難される事が多かったんです。
 「1930年と50年のワールドカップを制覇したときの選手達は本当によく走った。汗を流す事の大切さを教えてくれた。でもレコバを見ると彼は走りもせず歩いてばかりいる。彼は怠けている。」
 おおまかではありますが、ウルグアイのファンの多くは、レコバの「試合中の態度」に不満を感じ、怠けていると感じていたんです。

 一方のレコバの主張はこうでした。
 「僕はイタリアに渡って、試合にはメリハリが必要なことがわかった。90分がガムシャラに汗を流しても意味は無い。時には試合中でも体力を温存して、最大のチャンスが訪れるまで、息を潜んで待っているんだ。」

 ファンにはファンなりの、レコバにはレコバの「ディティール」が存在したんですね。でもお互いの主張はかみ合うことは無く、2002年のワールドカップにおいて、ウルグアイで最も評価が高かった選手はFWのディエゴ・フォルランでした。

 ディティールの差をもう少し注意して見ていくと、フィールドプレイヤー10人が、常に自分が最適なポジションに位置しているかを考え、自分の立ち位置を修正することにあると思います。
 この立ち位置を修正する事で、届かなかった脚がボールに届くようになる、相手ファウルでないタックルを仕掛けることができたなど、いい意味での効果がすぐに現れると思います。
 
 言い換えればそれだけ「ポジショニング」を考える事は大事であるということです。

 何より過密日程が叫ばれる中、適切なポジションで90分過ごせたならば、余計な体力を消費しませんし、フリーランニングが必要な時に、いくらでも仕掛けられると思うのです。

 スーツでのディティールの差はミリ単位ですが、サッカーの世界では想像以上に大きな意味を持つと思います。
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