塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

復刻という物足りなさを補う要素

2017-06-10 01:29:21 | 日記
 男の子がサッカーシャツ、それがロットやアドミラルだとどこか微笑ましく思えます。

 それが彼の感性なのか、両親が買い与えたものなのか、サッカー好きで皆が着ていないブランドをあえて選んだのか、不謹慎だと感じますがついつい想像してしまいます。

 スニーカーもそうで、ナイキやコンバースではなく、ヒュンメルやポニーなどを愛用している方は、どこか通好み、という印象を受けます。

 これは絶対数が少ないという観点ではなく、通常ファッションとかスタイルというものは

 「他人との差別化」
 「流行りを意識せずに、自分が着心地の良い服を選ぶ」

 点が根っこにあるためです。

 ナイキやプーマのデザインは確かに秀でていると思います。

 一方でデザインが秀逸で、サッカーに限らず多くの有名選手を顧客に抱えているため、今お話しした

 「他者との差別化が困難である」
 「どこにいっても売られている」

 点で物足りなく感じる方がいるはずです。

 アンブロやリーボックが過去のデザインを再利用することは、こうした物足りなさを補うために最適の要素であり、新しいファンを得られる可能性が高いためです。

 それは日本代表がシリア戦で着用した、炎ジャージにも言えると思います。

 アンダーアーマーやマクロンの勢いが絶えないのは、彼らがブランドとしての歴史が短く、従って過去の歴史に縛られることなく前を向ける推進力があるためではないでしょうか。
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