塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

かつてJリーグが年金リーグと呼ばれたころ

2022-12-27 19:11:12 | 日記

 1992年、名古屋グランパスエイトはイングランド代表のギャリー・リネカーの獲得を発表し、1994年ジュビロ磐田にはイタリア代表のサルバトーレ・スキラッチが加入します。

 

 当時は僕を含めてワールドカップ得点王の来日に大興奮でしたが、欧州メディアは

 

 日本で年金をもらうだけの生活だ

 日本のレベルを考えたら、活躍できて当然

 

 という冷ややかな形でした。

 

 ただリネカーの場合は息子さんが病気でして、その治療費や医療施設を考慮した際に、古巣であるスパーズよりも名古屋へ移籍したほうが良い、という判断があったこともありますよ。

 

 1994年開幕の米国MLSもそうですが、当時の新興リーグに移籍することは、都落ちだとかロートルと言われることを外国籍選手は受け止めなくてはなりませんでした。

 

 確かに1996年、清水エスパルスに在籍するイタリア代表のダニエレ・マッサーロ。1998年横浜フリューゲルスと契約するポルトガル代表のパウロ・フットレ。

 

 彼らは来日時、往年の輝きはなかったかもしれませんが、来日する、アジアでの環境は未知数、それでも移籍を決断したことはすごい事ですよね。

 

 今では日本に移籍することを、頭から否定する事はなくなりつつありますが、それでもUEFAチャンピオンズ・リーグを軸に欧州リーグはアジアにはない競争力を持ちます。

 

 ですからAFCがチャンピオンズ・リーグをより高める改革案を提示したことは、ある意味決意の表れですし、日本もアジャストする必要がありますが。

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