塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

棟梁が変われば何かが変わるは幻想か

2017-06-10 01:13:20 | 日記
 2009年に民主党が政権与党になったことが、遥か昔のように感じます。

 このとき、僕を含めたほぼすべての日本人は

 「政権交代で何かが変化する」

 と思ったのですが、それは単なる幻でした。

 政党政治に限らず、サッカー監督、職場の上司、店長や委員長などその業務の責任者にも、転勤、定年、配置転換など変化するときがあります。

 その際僕たちは

 「これで何かが変わるのだろうか」
 「いいや、変わることは無いだろう」

 と様々な観点から煩悶します。

 それは責任者がしっかりと責任を背負うのか、自分に対してのまなざしはどうなのか、など気にかかることが多いためですね。

 まず変わることその物が無いと言っていいいと思いますが、ブラジル代表はアルゼンチン代表にように

 「頭が変わればすべてが変わる」

 場面もあるのです。

 少なくともチッチ監督で息を吹き返したセレソンを見れば、棟梁の器量がどれだけ周囲に与える影響が大きい者かが伺えます。

 セレソンというワールドカップ5度の優勝をもってしても

 心身ともに疲れ果てた状態で戦うこと
 あのドイツ戦以降、選手たちが自信を失い、情熱、やる気をもてないでいた

 この2点をチッチが挽回し、国民の信頼を再度得られるようになりました。

 彼はコリンチャンスで世界一になったあとも、欧州各国を行脚して戦術、練習内容を観察して回ったと聞きました。

 棟梁のやる気や細やかな気配りが感じられるようになれば、選手にも好影響なのは間違いありません。
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