書くことが即ち生きること
この文章は新潮文庫から刊行の沢木耕太郎著「作家との遭遇」の裏表紙に記載されています。
僕はこの文庫(未読です)が、初めての沢木作品になるのですが、この一文をサッカー選手に当てはめるならば、蹴ることが即ち生きることになりますね。
マラドーナがそうでした。
彼は確かにナポリで隠し子を生ませるなど女性におぼれ、実際コカインを入手し1994年ワールドカップはドーピングで追放し、アルゼンチン代表を事実上解体させてしまいます。
それでもアルゼンチン国内、ナポリの人々はマラドーナへの敬意、尊敬を常に保ち続けています。
どうしてそんな動きができるんだ
どうして魔法使いのようなボールさばきが可能なんだ
と皆が瞠目し、ボールを蹴るマラドーナに夢を託せたわけです。
池波正太郎は常に
「人間は矛盾している」
「良い事をしながら悪いことをし、悪い事をしながら良いことする」
この人間が根本的に抱え、捨てることのできない感情をマラドーナに見たからこそ、人々は彼に対して辛辣になる侮辱されたと思う瞬間があり、その手のひら返しがマラドーナを苦しめた。
というのは言い過ぎでしょうか。
メッシも今後はその名声に押しつぶされければよいのですがね。