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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

過去の珍品を見つけた際に

2019-11-10 01:15:02 | 日記
 1990年代、リーボックはバスケットシューズに最先端機能「ポンプ」を搭載することで、爆発的な人気を得ました。

 このポンプはナイキも手掛けたものの、完成度ではリーボックに及ぶことなく撤退しました。

 一方でコンバースは衝撃吸収材のリアクトを開発しますが、フィッティングが従来のベルクロで行うことが多かったんですね。

 マニア向けな話になりますが、このポンプは完成度ではリーボックの完勝でしたが、ナイキ以外でも採用していたブランドがあります。

 ひとつはNBA選手をサポートしていたLAギア
 もうひとつは日本のブランド「テンフィート」

 になるのです。

 1990年代の月間バスケットボールでは、日本全国のスポーツ店がこぞって通信販売の広告を掲載していました。

 そこにはコンバース、ナイキ、アディダスにリーボックと最新のバスケットシューズが大々的に売られており、アシックスとミズノの姿も確認できました。

 僕はテンフィートをこれまで履いたことはなかったのですが、先日行きつけのリサイクルショップでテンフィートを発見し、

 「ああ、懐かしいなあ」
 「今、熱心なバスケットファンでも知らないだろうな」

 と感慨深い気持ちになったのです。

 今は無きハイテックやクロノスなどのサッカー・スパイクをもし見つけたならば、やはり懐かしい気持ちでいっぱいになるでしょうね。

 フィラが限定的にファッシノを復刻しましたが、90年代のスパイクを復刻する流れには至っていません。

 アディダスが例外的にプレデターを復刻しているのは

 1・アディダスが世界的なブランドであること、つまり復刻すれば需要がある
 2・アディダスが高い技術を備えていることは明らか

 という2点にあります。

 今はメルカリやヤフー・オークションが盛んですが、店頭で珍品を見つけた際の興奮には及ばないのではないでしょうか。
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卑屈な態度は謙虚さではないですよね

2019-11-10 00:54:26 | 日記
 諸外国から僕たちを見た際、謙虚や丁寧さは多くの場で感じるようです。

 ただ謙虚という控えめな態度は欧州でも見られます。

 英国式の服飾が派手な色使いを多く用いないことは、フランス、イタリアと比較した際

 1・曇天の日が多く、グレイや紺の方が見栄えが良い
 2・色使いを抑制することが、他者への配慮に繋がる

 と感じてるいるためでしょうか。

 ただ、ここで留意すべきことは、謙虚と「卑屈」は表裏一体ということです。

 「いや、僕はミスしてしまいますから」
 「私には到底、そんな事はできませんよ」

 という態度は、へりくだっているつもりでも、自信の無さ、卑屈さを強調してしまいます。

 日本人はこの卑屈さを

 「自虐的な笑い」

 で昇華し、消化しています。

 「いやあ、43の今でも独身は恥ずかしいですなあ」

 と、自分が独り立ちできていないことを会話の糸口にしている、僕だってそうですからね。

 ただ、諸外国から見ると僕たちのこの態度や、自信の無さ、曖昧さはよくわからないに違いありません。

 逆にどこかの国の大統領のような不遜な態度も、僕らには実に奇妙に見えます。

 サッカーにおいて日本人選手が代理人を選ぶ際、諸外国の方と日本人どちらにするかで迷うと思います。

 ライオラのように、徹底した強い態度で臨む代理人は、当然クラブの受けが悪いですし、日本人ならば言葉の問題が気にならず、きめ細かい配慮が期待できます。

 その際に

 「僕の長所、素晴らしい点を伝えてくださいね」
 「あなたを信頼しています」

 とへりくだるのではなく、強い心で伝えることが、移籍の第一段階のように思えます。

 ラグビー日本代表の選手たちのように、自信にあふれた選手は気持ちの良いくらい、爽やかさを豪胆さを兼ね備えていますから。
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