塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

対等に扱うという基本とその難しさ

2016-03-08 01:00:22 | 日記
 「フェアなんですよ、あくまでも。(中略)なぜなら、温かく守り立ててやるよりも自分と対等にあうかう方が、よほど相手を認めていることになるからです」

 この言葉はアントニオ・シモーネさんという、塩野七生三の息子さんが発した言葉です。

 これは昨年集英社文庫から刊行された「ローマで語る」の245ページから引用したもので、ローリング・ストーンズの映画について考察した点が、こんかいのなでしこに通じる。

 そう考えたのです。

 つまり、佐々木監督は

 「猶本を含む20代前半の選手の前途を案じるために候補から外した」
 「だが、この判断が日本から勢いを削いでしまった」
 「極論だが、対等な扱いでは無かった」

 という形になった気がします。

 僕は大野や川澄の実力がオーストラリアや中国の選手に劣っていたとは思いません。

 ただ一方で

 彼女たちは多くの対外試合で日本を丸裸にしていた
 その丸裸にした選手が、同じ顔触れ、同じ戦術で向かってきた

 言い換えれば

 日本の出方は予想の範疇であり、落選した選手たちがいれば、予想外の動き、戦術で苦戦したかもしれないという仮定の話でしかないのですが。

 アントニオさんは同時に

 ミック・ジャガーという司令塔
 チャーリー・ワッツがグループの中で浮かない理由

 なども塩野さんと語っています。

 日本代表も映像解析の際に、ドキュメントやミュージック・ビデオを見ることも、一考察になる気がしますね。
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息子が父に瓜二つ、という現象

2016-03-08 00:52:16 | 日記
 僕は幼少時から
 
 「お父さんに似ているねえ」
 「ますます似てきたよ」

 と言われ続けてきました。

 学生時代は凄く嫌で、これが自意識過剰の思春期と呼ばれる代償なのでしょうが、当時は自分で眼鏡も服も買えませんでしたから、自分好みのいでたちではなかったのです。

 山梨学院時代のアルバイト先にも兄弟そろってそっくりという人物がいて

 「お前らを見ていると、生物学は必要ないな」
 「俺もそう思うわ」

 と大笑いしたものです。

 このように親子でそっくりが笑い話にならないのがサッカーです。

 例えばマラドーナはナポリ時代に

 脱税問題
 麻薬問題
 現地の女との間に子供ができた

 という道徳的誤りを幾つも犯しました。

 皮肉にも、マラドーナ・ジュニアと勝手に呼ばれた少年は、父の面影が色濃い容姿であり、人々から疎んじられることもしばしばでした。

 ジョルディ・クライフのジョルディの部分はカタルーニャ語であり、名前だけでも

 「バルサとクライフ」
 「オランダ代表か、スペイン代表か」

 と問題視されたものです。

 野球のようにイニング制であれば、ベンチで小休止もできますが、サッカーは先発に名を連ねた際、交代を支持されなければ90分通じて、人々の前に経ち続ける必要があります。

 ジダンの息子、エンソにフランスの取材陣が殺到した際、代表監督にジダンは

 「そっとしておけよ」

 とメディアを叱りました。

 それは我々に分別が必要というわけです。
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