goo blog サービス終了のお知らせ 

塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

僕が想像するロット、ナイキ、アディダスの胸の内

2014-07-10 23:13:47 | 日記
 ロットはほくほく、ナイキはガーン、そしてアディダスは大笑い。


 これ何を意味しているかと言いますと、ブラジル・ワールドカップでレプリカ・ジャージの売り上げと露出の比較を、僕なりに各ブランドがこう思い描いているはずだ。

 という物を現してみたのです。

 少なくともコスタリカの躍進と清々しさを戦前に予想する声はくなく、だからこそロットは大慌てで増産に踏み切ったわけですが、イタリアの老舗の面目躍如と言う形になりました。

 そしてナイキは

 1・ネイマールの負傷とロナウドの不調
 2・ブラジルの惨敗、オランダの4強敗戦

 という形で、肩を落としているように思います。

 そしてアディダスは8強に進んだコロンビアの素晴らしさ、そして決勝を戦うアルゼンチンとドイツを支援していること、そしてブラズーカがジャブラニのような低評価ではなかった。

 この観点から見ても

 「素晴らしい大会」

 だったに違いありません。

 ちなみにコロンビアが自国開催で優勝したコパ・アメリカ2001.

 この時はロットがスポンサーだったのですが、もしロットが今現在まで支援していれば、コスタリカと共に大会を盛り上げた2か国を支援する形になりましたが。

 ロットとすれば、今から思えば

 「逃した魚は大きい」

 と感じているかもしれません。

 でも、2000年代のコロンビアは低空飛行でしたから、支援する旨味が無かったのでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昔のジャージを見てその風景を懐かしむ

2014-07-10 01:02:39 | 日記
 「ヴィンテージ・スポーツ」を度々閲覧しますと、各クラブの旧作だけでなく、当時のテクニカル・スポンサー、胸スポンサーを改めて知る、良い機会だと思います。

 インテルのように15年以上に渡り胸スポンサーが変わらない(ピレリですね)事例は、やはり稀ですね。

 新シーズン、例えばユナイテッドはシボレーが胸スポンサーに変更しましたが、ユナイテッドのような人気クラブは、放っておいても向こうから、スポンサーに名乗り出る物なのでしょう。

 リバプールがカールスバーグを胸スポンサーに、アディダスとリーボックから支援を受けていたとき
 ミランがオペルを胸スポンサーに、ロットから支援を受けていたとき

 単純に懐かしいと思いますし、最近欧州サッカーを贔屓にするようになった方には、非常に興味深いでしょうね。

 例えばローマは今季よりナイキになり、画像の公開されていますが、オールドファンならコンティ、ファルカンが着用したパトリック、2001年優勝時のカッパを連想するでしょう。

 また、アーセナルもナイキからプーマに契約変更しますから、ナイキ製を追い求める方は今がチャンスと言えます。

 最近はデザインが過剰になり過ぎ、インテルにしてもミランにしても、かつてような幅のあるストライプではなく、狭い形でのストライプとなっています。

 それだけ
 
 「新しいデザイン」

 を企画するのは大変なのですね。

 ですから昔ながらのジャージを希望するファンは、復刻を願うか、ヴィンテージ・スポーツに代表される、中古店に注目する形となります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サッカーとマイルド・ヤンキー、その共通点は

2014-07-10 00:54:22 | 日記
 先程放送されたテレビ朝日の「怒り新党」の中でも紹介されたマイルド・ヤンキーという言葉。

 集団で行動し、常に地元を大切にし、根っこを張る彼らの存在が今注目を集めているようですが、地元、言い換えれば地域を大切にするという概念は、Jリーグと合致します。

 このマイルド・ヤンキーと呼ばれる皆さんを巧くファンにできたならば、各クラブは

 1・定期的な観客動員
 2・シーズン・チケットの売り上げ確保

 に繋がるのかもしれません。

 僕はおよそ20年、飽きもせずサッカーと付き合ってきましたが、その理由は好き、関心があるからとしか言いようがありませんし、サッカーを媒体に様々な出来事を学んできました。

 それは

 地元、千曲市、長野市周辺への意識とパルセイロとの折り合い
 ナイキを軸にブランドが描く環境への配慮とスポンサー・シップ
 サッカーが社会貢献するならば、僕も同様の事をすべきという考え

 など幾つもあります。

 地域を大切にするという意味では、マイルド・ヤンキーの皆さんも同じように思えます。

 誰だって改造した車、金髪や夜な夜な遊び歩いているで「あろう」人間には、そこか近寄りがたさを感じます。

 一方で彼らように、地域を軸に活動する人間が、今後地域を守護するのも確かですしね。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする