「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

電子同人雑誌の可能性 94

2016-11-05 13:48:27 | 日本文学の革命
テレビとの関連でもう一つ言うと、今テレビ業界でテレビ番組を作っている様々な担い手たちが、電子同人雑誌がメディアとして成長してくるとそこに舞い降りて来る可能性があるのだ。
たとえばテレビや新聞などの報道は、報道のプロやジャーナリストたちや様々な専門家や事情通たちによって作られているが、彼らプロ集団はもちろん今は大手メディア内で仕事をしているが、電子同人雑誌がメディアとして成長し、市場として拡大し、十分な活躍の場・十分な収入の場として彼らが認識したら、彼らが副業的あるいは本業的に電子同人雑誌の世界にやって来てもおかしくないのである。
電子同人雑誌の同人とは、別に素人の市民や創作家の卵だけである必要はなく、彼らのようなプロ同士が同人となって同人雑誌を結成してもいいのである。プロの報道記者やフリージャーナリストたちが同人的チームを結成し、それぞれが築いてきた取材源や取材方法を駆使して様々な現代の問題を取材してゆき、雑誌作りも自分たちで行い、電子同人雑誌的にそれぞれの素顔や人間性も表に出し、購読者たちと人間的な交流もし、電子同人雑誌を発行してゆくのである。数万部も売れたら彼らプロも納得のゆくほどの収入も得られるだろう。なによりいいのは自由にできることである。大手メディアによってガチガチに縛られることなく、自由に独自取材ができ、ジャーナリストの原点に還ったようなワクワクするような仕事ができるのである。

また各種制作会社やプロダクションも降りて来る可能性が考えられる。彼らは今は他に番組を流せる場所がないので、テレビ局に下請けとして酷使されているのだが、電子同人雑誌が一つのメディア市場として機能し、ここでも利益を出すことができると分かったら、やはり喜んでやって来るだろう。ただ会社組織だとなかなか利益を出すことが難しいので、様々な工夫をする必要があるだろうが。たとえばギャラの高い芸能人は使わずに親しみのわきそうな素人を使うとか、素人の集団に彼らが豊富に持っている映像技術や番組制作のノウハウを伝授して彼らに番組を作ってもらうとか、いろいろ考えることができるだろう。

ジャーナリストや制作プロダクションなど今は大手メディアに仕えているプロ集団が、電子同人雑誌という新たに開けたメディア市場にやって来る可能性は十分に考えられるのである。

電子同人雑誌の可能性 93

2016-11-05 13:45:23 | 日本文学の革命
しかしメディアとしての電子同人雑誌には大きな弱点もある。それは情報がどうしても偏ってしまうという「情報性」の問題である。電子同人雑誌の購入の際何を購読するかは、どうしても自分の趣味や関心に偏ってしまう。自分の関心やマニアックな趣味に閉じこもってしまう傾向があり、より広い社会的公共的関心が失われてしまうのである。昔の町や村やご近所はそれ自体がメディアのような機能を果たしていたが、同時にそれは極めて狭い局地的なコミュニティであり、広い社会的関心を失いがちだったのだが、それに似ているのである。

テレビのニュース番組では様々なラインアップのニュースが流されていて、中には自分には関心のないようなニュースも見せられるだろう。しかし自分には関心がなくても、それは社会的には重要なニュースなのであり、それを強制的に見せられることによって広い社会的視野を得ることもできるのである。メディアというものは人々の視野にとって非常に重要な役割を果たしていて、それを見ないでいるとあるいは知らないでいると、その部分にポッカリ空洞があいてしまうこともあるのだ。もうずいぶん前の話だが、僕は二か月ほどインドを一人旅したことがある。ツアーとかではなく全くの一人旅で、実に冒険的で楽しみに満ちた旅だったが、その間片言の英語しか使わなかったし、また現地のメディアにも全く触れなかったし、メディアというものから全く閉ざされていたのである。その間世界ではベルリンの壁崩壊という一大ニュースが席巻し、世界を震撼させていたのであった。だが僕はそんなことは知るよしもなく、インドの大地を楽しく自由に朗らかに旅して、旅行生活とインドの人々との交流を満喫していたのであった。おかげでベルリンの壁崩壊というニュースが今でも僕にはなんだか現実感のしないものに感じられて、そこだけポッカリ空洞があいているように感じられるのである。

しかしこの電子同人雑誌の弱点を補って余りあるものがある。それは本来のインターネットそれ自体である。情報のメディア・インターネットにはそれこそ世界中のありとあらゆる情報が溢れている。もちろん政治情勢や経済情勢や世界の動向など広い普遍的な情報も常に流されている。まさに電子同人雑誌のマニアックな、局所的局人的情報を補って余りある存在である。
もともと電子同人雑誌はインターネットと不可分に結びついていて、インターネットを地盤としてはじめて成長できるメディアなのである。電子同人雑誌はコンピュータ・テクノロジーを存分に利用でき、またインターネットのネットワークをフル稼働させ、その上に自己を作り上げているのである。インターネットの一部であり、その一つの特殊な現われと言ってもいいのである。インターネットそれ自体はいまだ独自の文化を生成していない。そこにはまともな「読み物」すらいまだない。それを補い、インターネット上に一つの文化を生み出そうというのが電子同人雑誌なのである。インターネットが広大な情報とテクノロジーを与え、その上に立って電子同人雑誌がネットならではの独自の文化を作り出す、そういう補完関係が生じ得るのである。インターネットと結びつくことによって電子同人雑誌は、一つの完全なメディアに成り得るのである。

電子同人雑誌の可能性 92

2016-11-05 13:42:52 | 日本文学の革命
電子同人雑誌はテレビに匹敵するほど豊かで多彩で面白いものに成り得る。たとえば先に述べた5人の購読者にテレビを見るのと自分が購読している電子同人雑誌を読むのとどちらが面白いかと尋ねたら、まず間違いなく電子同人雑誌だと答えるだろう。もし彼らが自分でも電子同人雑誌の制作や活動に関わったら、その面白さはさらに何倍にもなるだろう。

電子同人雑誌という構想やヴィジョンが築かれ、その具体的な制作方法やノウハウも提供され、さらに電子同人雑誌が活躍できる舞台(具体的には雑誌のアップロードができ課金システムも整った総合サイトの存在である)も整ったら、数多くの電子同人雑誌が続々と作られてゆくだろう。特に電子同人雑誌の中でいくつか社会的に成功を収めるような雑誌が現われて来たら、それこそ我も我もと雨後の竹の子のような勢いで電子同人雑誌が生み出されて来るだろう。またたく間に数万、数十万を超える電子同人雑誌が創刊されてもおかしくない。前に述べたように電子同人雑誌の創刊には特別の資金や資本の出し手など必要ではなく、数名の人間の手弁当で十分運営できるので、ヴィジョンとノウハウと舞台が用意され、またそこに雑誌制作者のやる気とアイデアが加われば、いとも簡単に電子同人雑誌が創刊されるのである。
一番難しいのは同人集めだろうが、しかしそれはその雑誌が本当に発行されるほどの価値を持っているのかどうか、人々の心や魂に訴えかけられるものを持っているのかどうか、かつてのホームページのような下らない垂れ流しで終わるものではなく真の社会的なメディアになれるのかどうか、それを計るための試金石でもあるのである。同人を集められるということはその雑誌がある程度のクオリティーにまで精錬されたことを意味するのであり、個人の無責任な垂れ流しを超えた段階に達したことを保証するのである。また創刊当初なら個人でもいいのであり、そこから徐々に同人を獲得していってもいいのである。

数万数十万を超える電子同人雑誌が発行されたとしても、社会的話題になったりマスコミ的トップに立ったりするのはごく少数だろう。だがそれでいいのである。電子同人雑誌は身近な人々との交流(それは実際に身近である人々に限らず、心や魂が近く感じられる人々・心の交流ができる人々も含んでいる。むしろこちらの方が多いであろう)のメディアであり、そのようなものとして生活の一部を形成するメディアなのである。
それは買い物をする店の人々との交流であり、趣味を共有する同好会の人々との交流であり、何かを共に目指し実現するための社会的な交流でもあり、またご近所付き合いの延長的な交際であり、身近なもの同士の助け合いでもあり、そして広い意味での人間的な魂の交流のメディアなのである。
マスコミのトップに立ち社会全体の大意識に影響を与えることは、たしかに価値のある行為だろう。しかし身近な人々と交流し互いに人間的な心の共感をすることは、一人の人間としての個人にとって、同程度に重要であり、価値ある行為なのである。マスコミ的に見ればそれは底辺の末梢的な活動に見え、また何の影響力も発揮し得ない活動に見えるだろう。しかしそれは同じ人間同士の豊かで現実的な交流であり、魂の交流にも発展できるものであり、またその当事者である人々同士にお互い深い人間的な影響を与え合うのである。(マスコミ的影響力に関して言えるのは、それは確かに広い影響を及ぼすが、同時に薄いものなのである。それが現象として表れるのが、マスコミの内容がすぐに「忘れられる」というものである。昔の超人気番組『世界まるごとハウマッチ』だとか『兼高かおる世界の旅』とか言ってもほとんどの人間が名前すら忘れようとしている。芸能人の忘れられ方も激しく、かつては華やかに輝いていたのだが、テレビ画面から消えるようになるとすぐに「あの人誰だっけ?」と忘却の淵に沈むことになる)