「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

日本最高最重要の仕事 2

2016-11-11 04:45:38 | 日本文学の革命
『電子同人雑誌の可能性』を書き上げたあと、ただちに本丸に取りかかってゆこう。『電子同人雑誌の可能性』と同じようなブログやフェイスブックでの連載スタイルで書いてゆくつもりである。ただ数週間ぐらい休むかも知れないが。さすがに疲れたし、またデータ入力の仕事を首になったので、新しい仕事を探す必要も生じたからだ。

『「こころ」と太平洋戦争』も大作であり、400ページぐらいのものを書くことになるかも知れない。「新しい文学」の方は量は書く必要がないのだが、すべてはアイデアが閃くかどうかにかかっているので、ある意味一番難しいかも知れない。だがまあ『電子同人雑誌の可能性』をこれだけの勢いで書けたのだから、十分自信を持ってやってゆける。

この本丸を攻め落とせたら、社会的にもブレイクできるかも知れない。そうなったら確かに有難い。いまさら富や名声など欲しいとは思わないが、社会的にブレイクしたら、もう経済的仕事のために時間を奪われることもなくなり、この自分の仕事に全力投球できる。また今の生活では、病気とか事故とか何かあっただけで、即破滅に追い込まれる。社会的にブレイクして十分富を貯えたら、そういう破滅を回避することができので、社会的なサポートとして是非必要なのである。
“奇跡のドア”を押し開けたといっても、それで終わりではなく、これからも前へ前へと進んでゆかなければならない。『「道草」と私小説』『「明暗」と則天去私』『「文学論」と西洋文明と東洋文明の融合』とシリーズ的に漱石を書いてゆかなければならないし、「新しい文学」も具体的な文芸作品にしてゆかなければならない。電子同人雑誌も新しいメディアとして現実的に築いてゆきたい。まだまだ長期に渡って戦いは続くのである。今までは若かったから限界状況にも耐えられたが、これからは社会的サポートがなければ進んでゆくことは難しいのである。

富や名声にはたいして関心はないが、結婚はしたい。父が死に、母も亡くなり、兄も重病にかかってと、今や僕も天涯孤独の身になろうとしている。そんなときやはり家族が欲しくなる。自分の子孫も残したくなる。別に誰に産ませる宛てもないのだが、娘が生まれたら「サヤコ」(どういう字にするかはまだ考えていない)と名付けようとおもっている。「サヤ」という爽やかな響きがいいし、また「コ」はかわいらしいが伝統的風格も感じられていい。漱石の『明暗』の最後で主人公が向かってゆく女性の名が「清子」といい、無理して読めば「サヤコ」にもなるので、そこもいい。社会的にブレイクしたら、結婚もできるだろう。そういう意味でも社会的ブレイクは目指さなければならない。

挫けそうなとき、自分のやっていることが価値のないように思えてくるとき、そんなとき自分を励まし再び前へ進めようとして、よく使っている言葉がある。それは自分は今「日本最高最重要の仕事」の一つに取り組んでいるんだ、しかも自分しかできないものであり、自分がつぶれたらこの仕事もつぶれてしまうのである、だから何としても前へ進め!というものである。

なんだか高慢な言葉のようだが、これは落ち込んだり、人をバカにしたようなひどい扱いを受けたり、どうしようもないほど苦しい目に遭ったり、そんなときに自分を奮い立たせるために(もちろん心の中で)言っているものなので、高慢とはむしろ逆なものであろう。
自分を励まし、前へ前へと駆り立ててゆく言葉なのである。

実際この仕事―日本文学を復活させることも、反外国主義運動を開花させることも、非常に重要な仕事なのである。これができたら日本の前に一つの大きな可能性が開けるのである。
まさに桑田佳祐の『明日晴れるかな』にあるような、晴れ渡った晴天が開けるのである。
(“奇跡のドア”という言葉はこの歌の歌詞にある言葉である)

『電子同人雑誌の可能性』を完成させたら、ただちに『「こころ」と太平洋戦争』と「新しい文学」にガップリ四つに取り組もう。そしてこれをグングン成し遂げてゆき“奇跡のドア”を押し開けてしまおう。

達成は目前にある!

日本最高最重要の仕事 1

2016-11-11 04:40:44 | 日本文学の革命
『電子同人雑誌の可能性』もようやくラストが見えてきた。うまく行ったら11月中にも完成できるかも知れない。遅くとも12月の前半にはできるだろう。自分でもよく頑張ったと思う。わずか4か月かそこらで300ページの本(「賞取りシステム」の所は書いてないが。しかしこれも草稿は仕上げてしまい、いつでも書けるように準備を整えておこう)を書き上げてしまったのである。しかも週5日8時間データ入力の仕事をして働きながら!
しかも当初は電子同人雑誌のことなどほとんど考えていず、ノートにわずか数枚程度のことしか考察していなかったのである。全くのゼロからここまで書いて来たと言っていい。自分でも不思議なくらいの勢いで書いて来てしまった。いつ夏が来ていつ過ぎて行ったのかも覚えていないほどである。これも応援したり煽ったりしてくれた皆様のおかげかも知れない。

この後いよいよ本丸に取り掛かる。『「こころ」と太平洋戦争』を書き上げてゆき、同時に「新しい文学」も生み出してしまうのである。この二つは同時に進めてゆき、同時に成し遂げてしまうつもりである。これができた時点で“奇跡のドア”がついに開かれる!!
『電子同人雑誌の可能性』と『「こころ」と太平洋戦争』そして「新しい文学」が生み出せたら、まさに日本文学が復活し、ふたたび前へと前進してゆくことになり、その巨大なパワーで“奇跡のドア”を一挙に押し開けることができるのである。まさに「日本文学の復活」の達成である。
またこれによって反外国主義運動もその可能性を開花させることができる。桑田佳祐たちはこの運動を実に24年間も(!)続けてきて、これは90年代から現在に至るまでの日本で最も重要な文化運動となったが、この運動を無駄に終わらせることなく、その中に蔵されている大きな可能性を未来に向けて開花させることができるのである。

もともと反外国主義運動をしていたのは夏目漱石たち昔の日本文学者たちだったのである。彼らにとって明治の文明開化に代表される外国主義を乗り越え、新しい日本の文化を築きあげることは、最も重要なテーマの一つであった。
外国主義の本質は京都文化なのである。明治以前を代表する文化であるこの京都文化の、極めて重要な一翼を担ってきたのが外国主義なのである。それは他の世界から実質的に隔絶されていた島国時代の日本では、見事に機能し、日本の古典文明を築く上で大きな役割を果たした。しかし明治以降本質的に「開国された」日本、他の世界と直に結びつき交流や衝突を重ねるようになった現在の日本では、うまく機能しなくなったのである。いや、機能しないどころではない。この文化構造こそが戦前の日本を破滅に追いやったのである。(いずれ『「こころ」と太平洋戦争』で詳しく書くことになるが)
この外国主義と京都文化を乗り越えて、新しい日本の文化、東京が中心となって形成されてゆく新時代の日本の文化を築いてゆくことこそ、日本文学に託された使命であり、日本文学の本質なのである。