今思うとやはりこのドラマが分水嶺となったのだった。日本のテレビドラマはこれ以後名作と言っていいドラマを生み出せなくなったのである。そして同じころ飛躍的な発展を遂げた韓国ドラマに大きく水を開けられ、ますますダメになってゆき、今日の惨状となってしまったのである。
またこのドラマは木村拓哉にとっても分水嶺となった。このドラマのあとしばらくして、彼はポキリと「折れて」しまったのである。おそらく自分に集中した期待と重圧に耐えきれなくなったのだろう。逃げてしまったのである。反外国主義運動と国民の期待を裏切ったと言ってもいい。
最も致命的になったのは工藤静香と結婚したことである。それは「逃げた」ことの決定的な表現となった。彼の前には松たか子という相手もいたのである。彼をいい形で支え、彼を励まし、さらに前へと進めてくれる筈の女性、そして彼のことを本当に愛している女性、その女性を見捨てて、彼を戦利品としか扱わない女と結婚したのである。
「世の中を明るくする結婚」というものがある。平成天皇と美智子様の結婚がそうであり、この結婚は新しい時代への希望となり国民全体に祝福ムードをもたらした、石原裕次郎とその妻の結婚も、やはり祝福された結婚となり、世の中全体を明るくした。山口百恵と三浦友和の結婚もやはりそうであり、世の中を明るくするものとなった。木村拓哉と松たか子の結婚も、実現していたら「世の中を明るくする結婚」となり、人々に希望の明かりを灯したことだろう。惜しいことである。
ポキリと心が折れて「逃げて」しまったキムタク。
彼はその後、裏切りに裏切りを重ねるようになった。反外国主義運動の潮流と国民の期待がまだ彼を支え続けていたが、もう彼は裏切り者としか振る舞えないようになってしまったのである。そして今回のスマップの解散騒動…。ここでも彼は決定的な裏切りを果たし、その結果国民から愛想をつかされてしまったのである。
そして彼とともに実現するかも知れなかった日本のテレビドラマの大発展も、夢と消えてしまったのである。
さて テレビの「文化性」について考察してきたが、では電子同人雑誌は文化性を発揮できるのだろうか。単に面白いとか、暇つぶしになるとかを超えて、より高い高度な文芸作品を生み出すことができるのだろうか。その答えを求めてこれから「新しい文壇」について考察してゆこう。いままで戦前の同人雑誌のネットワーク―「同人内―同人間―文壇のネットワーク」を現代に電子的に蘇らせようとして、様々に努力を重ね、「同人内」「同人間」と進んで来た。そしていよいよネットワークの最後の輪「文壇」のところまで来た。これができたらついに戦前の日本文学の同人雑誌とそのネットワークを、現代に新しい形で蘇らせることが可能となる。
これから「新しい文壇」とその可能性について考察してゆこう。
(続く)
またこのドラマは木村拓哉にとっても分水嶺となった。このドラマのあとしばらくして、彼はポキリと「折れて」しまったのである。おそらく自分に集中した期待と重圧に耐えきれなくなったのだろう。逃げてしまったのである。反外国主義運動と国民の期待を裏切ったと言ってもいい。
最も致命的になったのは工藤静香と結婚したことである。それは「逃げた」ことの決定的な表現となった。彼の前には松たか子という相手もいたのである。彼をいい形で支え、彼を励まし、さらに前へと進めてくれる筈の女性、そして彼のことを本当に愛している女性、その女性を見捨てて、彼を戦利品としか扱わない女と結婚したのである。
「世の中を明るくする結婚」というものがある。平成天皇と美智子様の結婚がそうであり、この結婚は新しい時代への希望となり国民全体に祝福ムードをもたらした、石原裕次郎とその妻の結婚も、やはり祝福された結婚となり、世の中全体を明るくした。山口百恵と三浦友和の結婚もやはりそうであり、世の中を明るくするものとなった。木村拓哉と松たか子の結婚も、実現していたら「世の中を明るくする結婚」となり、人々に希望の明かりを灯したことだろう。惜しいことである。
ポキリと心が折れて「逃げて」しまったキムタク。
彼はその後、裏切りに裏切りを重ねるようになった。反外国主義運動の潮流と国民の期待がまだ彼を支え続けていたが、もう彼は裏切り者としか振る舞えないようになってしまったのである。そして今回のスマップの解散騒動…。ここでも彼は決定的な裏切りを果たし、その結果国民から愛想をつかされてしまったのである。
そして彼とともに実現するかも知れなかった日本のテレビドラマの大発展も、夢と消えてしまったのである。
さて テレビの「文化性」について考察してきたが、では電子同人雑誌は文化性を発揮できるのだろうか。単に面白いとか、暇つぶしになるとかを超えて、より高い高度な文芸作品を生み出すことができるのだろうか。その答えを求めてこれから「新しい文壇」について考察してゆこう。いままで戦前の同人雑誌のネットワーク―「同人内―同人間―文壇のネットワーク」を現代に電子的に蘇らせようとして、様々に努力を重ね、「同人内」「同人間」と進んで来た。そしていよいよネットワークの最後の輪「文壇」のところまで来た。これができたらついに戦前の日本文学の同人雑誌とそのネットワークを、現代に新しい形で蘇らせることが可能となる。
これから「新しい文壇」とその可能性について考察してゆこう。
(続く)