「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

電子同人雑誌の可能性 102

2016-11-07 04:18:41 | 日本文学の革命
今思うとやはりこのドラマが分水嶺となったのだった。日本のテレビドラマはこれ以後名作と言っていいドラマを生み出せなくなったのである。そして同じころ飛躍的な発展を遂げた韓国ドラマに大きく水を開けられ、ますますダメになってゆき、今日の惨状となってしまったのである。
またこのドラマは木村拓哉にとっても分水嶺となった。このドラマのあとしばらくして、彼はポキリと「折れて」しまったのである。おそらく自分に集中した期待と重圧に耐えきれなくなったのだろう。逃げてしまったのである。反外国主義運動と国民の期待を裏切ったと言ってもいい。
最も致命的になったのは工藤静香と結婚したことである。それは「逃げた」ことの決定的な表現となった。彼の前には松たか子という相手もいたのである。彼をいい形で支え、彼を励まし、さらに前へと進めてくれる筈の女性、そして彼のことを本当に愛している女性、その女性を見捨てて、彼を戦利品としか扱わない女と結婚したのである。

「世の中を明るくする結婚」というものがある。平成天皇と美智子様の結婚がそうであり、この結婚は新しい時代への希望となり国民全体に祝福ムードをもたらした、石原裕次郎とその妻の結婚も、やはり祝福された結婚となり、世の中全体を明るくした。山口百恵と三浦友和の結婚もやはりそうであり、世の中を明るくするものとなった。木村拓哉と松たか子の結婚も、実現していたら「世の中を明るくする結婚」となり、人々に希望の明かりを灯したことだろう。惜しいことである。

ポキリと心が折れて「逃げて」しまったキムタク。
彼はその後、裏切りに裏切りを重ねるようになった。反外国主義運動の潮流と国民の期待がまだ彼を支え続けていたが、もう彼は裏切り者としか振る舞えないようになってしまったのである。そして今回のスマップの解散騒動…。ここでも彼は決定的な裏切りを果たし、その結果国民から愛想をつかされてしまったのである。
そして彼とともに実現するかも知れなかった日本のテレビドラマの大発展も、夢と消えてしまったのである。

さて テレビの「文化性」について考察してきたが、では電子同人雑誌は文化性を発揮できるのだろうか。単に面白いとか、暇つぶしになるとかを超えて、より高い高度な文芸作品を生み出すことができるのだろうか。その答えを求めてこれから「新しい文壇」について考察してゆこう。いままで戦前の同人雑誌のネットワーク―「同人内―同人間―文壇のネットワーク」を現代に電子的に蘇らせようとして、様々に努力を重ね、「同人内」「同人間」と進んで来た。そしていよいよネットワークの最後の輪「文壇」のところまで来た。これができたらついに戦前の日本文学の同人雑誌とそのネットワークを、現代に新しい形で蘇らせることが可能となる。
これから「新しい文壇」とその可能性について考察してゆこう。
(続く)

電子同人雑誌の可能性 101

2016-11-07 04:15:55 | 日本文学の革命
分水嶺となったのが98年の終わりに作られたドラマ『眠れる森』だった。これは単なるラブロマンスではなく、奇怪な殺人事件や心の闇や不可思議な展開が続く、謎が謎を呼ぶようなサスペンスだったのだが、これが放送されると回を追うごとに反響を呼び、多くの人々がこのドラマに夢中になった。僕もその一人でこのドラマに魅了され、「これは何かとてつもないことが起こるぞ」という漠然とした期待に満たされてこのドラマに釘づけになったのだった。
しかしまったく惜しいことに、このドラマは最終回で大失敗してしまい、期待に反するがっかりするような終わり方をしてしまったのである。これはまったく脚本家のせいで、彼が最終回で今まで自分がせっかく積み上げてきたものを自分の手でガラガラと打ち崩してしまったのである。この脚本家―野沢尚はこの数年後に謎の自殺をするのだが、ともかく彼の最後の失敗でこの『眠れる森』というドラマは決定的な名作ドラマ―ある一線を超えるような―となることができないまま終わったのである。

このドラマが終わった直後、僕もこの最終回にまったく納得がゆかず、こうなったら自分で最終回を作り直そうと、ドラマの終了後すぐに『眠れる森』の脚本本が出版されたので(こういうことは珍しいことである。やはりそれだけこのドラマが国民の期待を集めていたのであろう)それを購入して参考にし、最終回の部分を納得のゆく形に書き変えた。また「この失敗は木村拓哉に対してたいへんなダメージを与える筈だ」と危ぶんでいたので、出来上がったばかりの原稿をフジテレビの担当プロデューサー宛てに『眠れる森 最終回 完全版』と題して送り付けた。同封した手紙に「これを是非木村拓哉さんに読ませて下さい」と記した。『眠れる森』がこういうような終わり方―原作とは違い、ハッピーエンドで終わったのである―もできたということを知らせて元気づけようとしたのだが、もちろんこの原稿が読まれたのか読まれもせずに処分されたのかは分からない。

電子同人雑誌の可能性 100

2016-11-07 04:11:28 | 日本文学の革命
この94年から始まった国を二分する大バトルに、当時デビュー間もないスマップたちも参戦したのだが、彼らははっきりと桑田佳祐の側につくと旗幟を鮮明にしたのだった。普通芸能人はこのように旗幟を鮮明にしたりせず、どっちつかずの曖昧な態度に出るものだが、彼らはデビュー間もなくて若々しい情熱にあふれていたこともあり、またもともとジャニーズ事務所からは見捨てられていた存在であり事務所側も捨石的に好きにやらせたのだろう。ところがそうすることによって彼らはこの大きな潮流に見事に乗り、それに押し上げられ、テレビ界で反外国主義運動を代表する存在となったのであった。テレビ界も彼らに様々な機会を与えて彼らを育ててみようとし、彼らもその機会を捕えてて大きく成長し、歌にバラエティーにドラマに司会にと大活躍を開始したのである。

僕も当時はスマップを全面的に応援し、彼らの成長に期待していた一人だった。『スマ×スマ』なども毎週見ていた。歌には別に感心はしなかったが、期待を込めて見ていたのは彼らが出演するドラマだった。とりわけ木村拓哉が出演するドラマにいいものを感じていた。

木村拓哉のデビュー間もない頃に出演した処女作的ドラマ『そのときハートは盗まれた』も見た。内田由紀や一色紗英らと出た東京・国立を舞台とした青春ドラマだったが、実にみずみずしいいいドラマだった。『ロングバケーション』も良かったし、松たか子と共演した『ラブジェネレーション』も素晴らしかった。木村拓哉の出演するドラマは高視聴率が取れるという伝説が生じ出したのもこの頃である。他のスマップのメンバーが出演したドラマも深いテーマ性を抱えた力作が多く、興味深いものだった。彼らのドラマでの活躍は他のドラマにも波及し、スマップのドラマに対抗していいドラマを作ろうという動きが広まり、ドラマ界全体がいい形で伸びていったのだ。この調子で伸びてゆき、何か一線を超えるような優れた名作ドラマが生み出されたなら、日本のテレビドラマ界は爆発的な発展を遂げるかも知れなかったのだ。