「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

ラストスパート 2

2014-04-26 04:44:03 | 日本文学の革命
当時「反外国主義運動」は桑田佳祐たちが大々的に行っていて、僕がやる必要性はもうどこにもなかった
また当時から「反外国主義運動」は、今は大々的に活躍しているが、しかしこのままではいずれ行き詰まってしまうと予測していた
決定的なものが開けないまま、反対勢力の巻き返しに会って、つぶされてゆくだろう、と
この決定的なものを開く力は日本文学が持っている
ならば僕が今すべき仕事は、今から日本文学の可能性を切り拓いてゆき、日本文学がこの決定的なものを開けるようにその発展を促してゆくことだ
そう思い、今まで進んできたのだった

しかし今思うと、多少後悔している所もある
必要があろうがなかろうが、あのまま「反外国主義運動」を続けているべきじゃなかったろうかと
当時「反外国主義運動」は、社会に衝撃を与え、爆発的な勢いで盛り上がっていたから、その波に乗って更に街頭活動を続け、出版社への働きかけも強めていたら、ブレイクすることも十分に出来たからである
なにしろこの運動を一番最初に始めたのは僕だったし、文学界でこの運動をやっているのも僕しかいなかった(その後もついにひとりも現れなかった)から、その可能性は十分にあったのである

しかし当時の僕は、ピュアで理想に燃える若者だったから、必要もないのに、ただ自分の立身出世のためだけに運動を続けること自体が嫌だった
目の前に「日本文学の新たな発展」という大仕事があるのに、それをうっちゃって街頭活動を続けることに情熱も関心も見い出せなかった
誰もやらないのなら、実際にやったようにたった一人でも街頭に立ってやり抜くが、桑田佳祐たちが大々的にやっている今、なぜ自分がやる必要があるのか
そんなこんなで、「反外国主義運動」が爆発的に大ブレイクしたとき、僕自身はこの運動から身を引いてしまったのである

どっちがよかったかは今も分からない
波に乗ってうまく職業作家になれたとしても、社会的なパフォーマンスに追われ、本質的なものがない作品を生活のために量産するよう強いられたら、生活苦はなくなるだろうが、本来の目的は達成出来なかったかも知れない
ともかく僕が始めたのは、周囲からの無理解や敵意や嘲笑さらには生活苦にさらされながら、地道に粘り強く、「日本文学の新たな発展」という仕事をコツコツと続けてゆくことだった(この間桑田佳祐たちの励ましの歌にどれだけ励まされたかは分からない。彼らとの精神的絆があったからこそ、今まで頑張ってこれたのだ)


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