「日本文学の革命」の日々

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『宮崎駿のドキュメンタリー』再放送禁止事件 4

2023-12-29 11:27:08 | 日本文学の革命
こう見てゆくと宮崎駿は『コナン』や『カリオストロ』の頃から、ちょっと譲っても『ナウシカ』の頃にはすでに、高畑勲を完全に乗り越えているのである。『赤毛のアン』と『コナン』や『カリオストロ』あるいは『ナウシカ』を比べたら、誰が見ても(あっちはあっちで面白いし心温まる名作ではあるが)宮崎駿のアニメの方が圧倒的に優れていると感じる筈である。『ナウシカ』から数えると40年も前のことであり、宮崎駿がその後も「高畑コンプレックス」を持ち続けたなどということはあり得ないことなのだ。たしかに高畑は宮崎にとって恩義のある先輩であり、また自分とは異なる映画スタイルを追求している人物として敬意を抱いてはいたであろう。しかしこの番組で主張されているような深刻なコンプレックスなど持っているはずがないのである

逆に高畑の方が宮崎駿に対してコンプレックスを持っていたはずである。自分より五つも下の後輩が『カリオストロ』や『ナウシカ』のような自分を圧倒するような作品を作り始めたのである。先輩でありまたプライドの高い高畑からすれば屈辱的なことだったろう。高畑は宮崎の『ナウシカ』を採点して「30点」と言い、「彼がこれからもっといい作品を作れるように期待を込めて30点と言ったんだよ」と述べているが(それこそ先輩面したもの言いである)、これにも高畑の屈折したコンプレックスがうかがえる(この「30点」発言を雑誌で見た宮崎駿は「だからくだらないものしか作れないんだ!」と雑誌を引きちぎったそうだ)

宮崎に追いつき追い越そうとしていたのも高畑である。『隣りのトトロ』と競作するように『火垂るの墓』を作ったり、宮崎アニメとは対照的に日常生活を静的で透き通ったタッチで描いた『おもひでぽろぽろ』を作ったりした。この『おもひでぽろぽろ』の予告編を見たときは「これはすごいアニメが現れたのかも知れない!」と思いいそいそと劇場に見に行ったが、実際見てみたらひどくつまらなく、ガッカリしたのを覚えている。『平成狸合戦ぽんぽこ』もつまらないもので、当時『ターミネーター』でCGを駆使した変身シーンが話題になっていたが、それをアニメでやろうとしたのか、アニメならできて当たり前じゃないか、と浅薄さすら感じた。『ホーホケキョ となりの山田君』や『かぐや姫の物語』になると劇場に足を運ぶのも面倒だし高い金を払ってDVDを買うのも嫌だしで、いまだに見ていない。同じ頃偉大な作品を次々と生み出していた宮崎駿が、この高畑に対して深刻なコンプレックスを抱いていたなど、どうにも納得できないのである

あるいはこれはあの番組ディレクターの「コンプレックス」の表れなのかも知れない。彼は長年に渡って宮崎駿の密着ドキュメンタリーを作っていたのだが、いつも宮崎から「書生」扱いされているし、怒鳴られてばかりいるし、その宮崎に対して追いつくことも追い越すことも到底できないしで、宮崎駿に対して「深刻なコンプレックス」を抱いてもおかしくないのである。その宮崎がより大きな存在としての高畑勲にコンプレックスを持ち続けていた、深刻で鬱屈したコンプレックスに苦しみ続けていたとしたら、これは彼にとって痛快なことだろう。頭のあがらない相手に一発かませたような爽快感もあるだろう。彼があの番組でこのような主張を繰り返したのは、彼自身が抱いていたコンプレックスの反映なのかも知れない

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