名峰登山と草花

春から秋にかけて、登山と草花探索等を掲載。植物観察、世界歴史遺産巡り、庭園観賞、素人農業にもチャレンジ中。

ロマノフ王朝の建物と庭園_3  - モスクワ・クレムリン -

2020-09-16 10:28:46 | 海外・庭園鑑賞

 1613年にミハイル・ロマノフがモスクワにて皇帝に即位してロマノフ王朝が始まる。
(ロマノフ王朝:1613年~1917年) モスクワには、ロシア正教の総主教庁がおかれ、宗教の
聖地としても栄えた。
 モスクワは1712年ピョートル大帝が首都をサンクトペテルブルクに移すまで、帝政ロシア
(ロマノフ王朝)の首都として発展し、その後も帝政ロシアの副首都、ロシア正教の中心地
として発展した。1917年ロシア革命後、ソビエト共産党は首都をサンクトペテルブルグから
モスクワに戻した。現在1200万人の市民を有する現代都市である。

 さて、私達のモスクワ旅は、クレムリン周辺を巡っただけであったが、空港からモスクワ市内
への車窓、クレムリン周辺の車窓、また現地の見学、観光にて、ロマノフ王朝の残した遺産(
建物、芸術遺産等)に感銘を受けた。クレムリンはロマノフ王朝の歴史遺産であると同時に、
現在も現ロシア政権の中枢機能を有しており、プーチン大統領の執務する大統領府(旧元老院)
等の外観をフムフムと納得しながら、駆け足で見て回った。
 クレムリンの内部は、殆どが旧王朝の建物遺産であり、大会議場のみが現代風の建物で
あった。クレムリンの外側にはレーニン廟のある赤の広場があり、周辺にあるワシリー寺院、
歴史博物館も歴史を感じさせる建物だ。赤の広場の反対側にはグム百貨店がありロシアの
ショウウィンドーといった感じで、西欧風の洒落たデパートだった。

  モスクワでは、クレムリン周辺は自分の足を使い観光したが、その他はバスの中からの車窓
観光となった。意外に観光名所を通ってくれたように思う。走りながらの写真ではあったが、
そこそこの写真を撮ることができた。
 この旅では、ロシア民族の歴史やロシア人の生活ぶり、ロシア民族(白系ロシア人)の様子
などを少し理解できたように思う。

  以上で、「ロマノフ王朝の建物と庭園」/カテゴリーを終了します。庭園という内容までには至り
ませんでしたが、少しでも近づけようとした努力を、汲んでいただければ幸いです。

<モスクワ地図>

 

 

<余談>

 このロマノフ王朝にはアレクサンダーという名前の皇帝がⅢ世まであるが、この王朝は、
嘗てのギリシャのキリスト教、いわゆるギリシャ正教を受け継ぐ国家であり、ロシア正教は
ロマノフ王朝の国教である。それ故、ロシア帝国もまた世界の覇者(マケドニア)であった
アレクサンダー大王の後継者であると意識し、自負しているのだろうか?
 なんでロシアにアレクサンダー皇帝が登場するのか、いままで、違和感があったが、少し
納得できた。

 ついでと言っては失礼だが、ロシア正教について,受け売りで少し紹介します。
 ロシア正教は1589年にギリシャ正教の主要総主教庁(4庁)の承認により、独立した正教会
としてロシア正教が承認された。ロマノフ王朝の発足(1613年)により、王朝の厚い庇護の下に
モスクワを中心にロシア及び周辺国に普及・発展した。(ロシア正教の信徒9千万人/革命前)
 1917年ロシア革命で発足したソビエト政権は無神論者の集団にて、宗教(ロシア正教)を
70年間に渡って弾圧した。この間、宗教弾圧で10万人のロシア人が虐殺された。この宗教
弾圧はゴルバチョフの登場により、回避された。                  以上。

<参考> 関連のリンク先  ロマノフ王朝の歴史遺産  -登録:2015.4.20-
https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/190b559fd17c032b5eea001ddabd7355

 


ロマノフ王朝の建物と庭園_2 -冬の宮殿、他-

2020-09-02 18:01:57 | 海外・庭園鑑賞

エルミタージュ美術館とその周辺

1.冬の宮殿(冬宮)、現在のエルミタージュ美術館は規模は大きく、1057室の部屋、1945枚
 の窓、117本の階段がある。北側にネヴァ川、南側には宮殿広場がある。

2.宮殿広場: 冬の宮殿(エルミタージュ美術館)の南側の広場をいう。中央には
 対、ナポレオン戦争への戦勝記念に建てられたアレクサンドルの円柱があり、広場の
 南側は旧参謀本部の建物が広場を囲むように建つ。冬宮の西側には旧海軍省の建物
 があり、シンボルタワーの尖塔が建っている。さらに西側にはピョートル大帝の像があり、
さらに西側には巨大なイサク聖堂が聳える。

3.ロシア美術館: アレクサンドルⅢ世がミハイロフスキー宮殿を美術館にする構想を立て、
 皇太子がニコライⅡ世として即位後に、1898年3月にロシア美術館として開館した。
 モスクワのトレチャコフ美術館と共にロシアの2大美術館である。エルミタージュ美術館は
 外国の芸術家達の作品を多く展示しているのに対し、こちらにはロシアの画家達の作品を
 展示している。

 

  サンクトペテルブルグをここで区切り、次はモスクワを別に投稿します。

モスクワ、クレムリン宮殿の建物と庭園  https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/c/776bbb12956393b2b74161895897b3ad

 

 

 


ロマノフ王朝の建物と庭園  - 2015.4 ロシア旅から -

2020-08-20 05:39:36 | 海外・庭園鑑賞

 随分時間がたってしまったが、エルミタージュ美術館を見たくて、数年前にロシアに出かけた。
 旅行記などを旅行直後にブログに載せているが、庭園をテーマにブログ登録を計画したいと、
考えてきたが、まとまらずに時間がたってしまった。
 ロマノフ王朝の首都であったサンクトペテルブルグは、流石に広大なロシアの平原にあって、
王宮は贅を尽くし、長大で、優美で、個々の建築物そのものが美しい。この首都は、広大な
風景の中に、優雅な数々の建築物が存在感を有し、都市王宮庭園ともいうような景観で、首都の
中心部そのものが庭園というような佇まいだ。
 そこで、エカテリーナ宮殿(夏の宮殿)のような庭園の中に存在する王宮庭園をまず手始めとし、
ついで、冬の宮殿(現、エルミタージュ美術館)や宮殿広場、また要塞、海軍省などの数々の
建築物を含む都市庭園(仮称)を庭園と見立てて登録しようと思う。当時の副都心、モスクワの
クレムリンも都市庭園というような雰囲気である。これも上手くまとまれば掲載したい。
 Googleでロシアの庭園を検索すると、「夏の庭園」を始め、いわゆる庭園と言える王宮や庭園が
表示される。いずれも王侯貴族の宮殿とそれを取り囲むような庭園が検索されますが、今回の私の
短い旅では、立ち寄ることはできなかった。私の報告は、タイトル負けする内容ですが、旅行記録と
いうことで、ご容赦下さい。

<雑感> ロシアに旅行したのは5年前(2015年)4月半ばだったので、既に5年が経って
しまってっている。素晴らしい宮殿や眺めが心に染みついて残っている。このロシア旅の後に、
江戸時代にロシアと関わった日本人、高田屋嘉平と大黒屋光太夫について、小説「菜の花の沖」
司馬遼太郎著、「オロシア国酔夢潭」井上靖著、大黒屋光太夫」吉田昭著等を読み、当人達
の苦難の行程や信念に驚嘆し、また共感を味わった。
 また、この旅ではロシア人ガイドの生の声を聞き、街中でロシア人の生活などを垣間見て、
何となく恐れていたロシア人にも親近感を覚えた。残念ながらこの旅は個人企画の旅では無く、
旅行社のツアーに乗っかって出かけた旅だったので自由度が限られていた。が、それなりに
ロシアを感じることができて良かった。

ここで、一旦閉めることにします。興味のある方は、その2、「冬の宮殿(現・エルミタージュ美術館、他)」をご覧下さい。

冬の宮殿  https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/c10e37b267a95c63dc3a1391be0bc57e


 

 


インドの史跡と庭園   - 2014.3 旅の記録から -

2020-06-19 22:03:22 | 海外・庭園鑑賞

 コロナ感染騒ぎで、海外旅行はしばらくお預けになってしまった。
 ・・が、ブログを整理していて、インドとロシアについては庭園の記事を書いて
いないことに気づいた。これらの国では、所謂、西欧や東洋、また日本に見る庭園
のように、区画された場所に作られた庭園に気づかなかったためだ。城郭や廟に
併設された庭や風景はこれらの国の庭園と言っても良いだろうという心境に至り、
史跡を中心とした風景や庭を掲載することとした。

 インド観光の目玉はやはりタージマハル霊廟だろう。正面から入場すると、タージ
マハル廟では、廟の前面に庭園が広がっている。建物も庭も幾何学的で正に
インド的芸術作品といえる。タージマハル廟は1632年に着工し22年かけて1653年
に竣工した。建設に使った大理石は千頭の象で運び、建設に携わった職人2万人は
世界中(ペルシャ、アラブ、西欧)から招聘したそうだ。また、優秀な設計士、工匠、
細工士が同様に世界中から集められたようだ。(ここの十字型の庭はペルシャの
チャハルバーグ様式という様式だそうだ。)

 その他、アンベール城の城郭、中庭、周囲の風景は、全体が大きな庭と言っても良い
だろう。

 アンベール城はアンベール王国の首都として建設された。ムガール帝国第3代皇帝
アクバルの時代(1562年)に、アンベール王の娘と結婚して、アンベール王国を傘下に
収めた。築城は1592年から大規模な修復&築城が続けられたが、1727年にアンベール
王はジャイプールへ新たに遷都した。

 ファテープル・シクリは第3代皇帝アクバルが息子の誕生に感謝して、1574(~1588)に
アグラから遷都した王城である。

 フマユーン廟、アグラ城、なども周囲の風景と調和し、広い意味で庭園と考えて
もよいであろう。アグラ城から眺めるタージマハル廟は周りの風景を背景として、
巨大な幻想的雰囲気の庭園とも言える。
  また、霊廟であるフマユーン廟、タージマハル廟はペルシャの四分庭園(チャハル
バーグ)様式や二層様式の霊廟建築がとられ、ペルシャのイスラム建築の影響を色
濃く受けている。

<参考> ムガール帝国の歴史と皇帝 (1526~1858)

 1526年にモンゴル系のバーブル(チムールの5代孫)がロディー朝を破って、デリー
に建国した。イスラム教スンニ派を奉じる王朝である。2代皇帝フマユーンの代に
デリーを追われたが、1555年にデリーを奪還してムガール帝国を再建した。
 3代皇帝アクバルの時代に領土を拡張し、北インド、アフガニスタン、パキスタン、
バングラディシュを含む領域を支配し、首都を新たにアグラに置いた。
 続く第4代ジャハンギール、第5代シャー・ジャハンの前半までが全盛期となる。
 5代皇帝までは圧倒的に多いヒンドゥー教徒との融和策をとってきたが、第6代皇帝
アウラングゼーブの代になるとイスラム教への回帰(1679年)を明確にし、ヒンズー
教徒の弾圧を始めたため、様々な問題が発生した。
 17世紀に入ると、イギリス、フランスが東インド会社(商館)をインドに設立し、経済的
進出を始める。

 皇帝一覧
    初代 バーブル 1526~1530     6代アウラングゼーブ  1658~1707
    2代  フマユーン 1530~1556         
    3代 アクバル  1556~1605     終代バハードゥル・シャー 1837~1858
    4代 ジャハンギール  1605~1628
    5代 シャー・ジャハン 1628~1658


 以上です。 


プーピン離宮の庭園

2020-02-15 21:14:00 | 海外・庭園鑑賞

 写真の整理をプーピン離宮から始めたが、なかなか自分の考えがまとまら
ない。そこで、「プーピン離宮」で見た庭園や観察した植物をまず登録する
こととした。先に旅行記「チェンマイの旅」に一部掲載済みだが、ご容赦願い
たい。
 プーピン離宮はチェンマイにある現在のタイ王朝の夏の離宮である。王族が
時々避暑に来て滞在されるため、その時は一般者の入園は休止になるそうだ。
 この離宮は南国ということもあり、いつも綺麗な花が咲いているようだ。庭園の
バラ園、側道の花壇、温室の花、また自然散策路に咲く自然の草花、樹木の
花、また離宮(王様)の建物等をご覧下さい。
 また、プーピン離宮へ至る高地の沿道脇にはヒマラヤ桜が咲き、私達を歓迎
してくれた。ご当地でも花見の習慣があるようで、桜の咲いた沿道には花見客
散見された。
 写真に撮った花の名前を調べていないが、いずれ判明した時は追加修正
するので、ご容赦を願いたい。

以上


ギリシャの庭園は・・・・・。  -2019.6-

2019-07-19 09:49:32 | 海外・庭園鑑賞

 ギリシャの旅をして、遺跡や植物の報告をした。次に、庭園について記事を書こうとして ハタと困った。国立庭園や遺跡の風景は素晴らしかったが、所謂、西洋や東洋でいう庭園 というような区画された場所に作られた庭園は目につかなかった。  これは、ギリシャの歴史からくるものだという思いに至った。紀元前の古代ギリシャ全盛の時代 は都市国家が形成され、ポリス自体が美しい風景の中に形成されている。その後、ローマの 属州となり、東ローマ帝国の時代はコンスタンチノープルを中心とした中央集権国家の一 地方となり、15世紀からはオスマントルコ帝国による支配を受けた。即ち、中世や近代に おいてアテネなどのギリシャの都市を首都とする王国が築かれたことはなかった。  一方、西洋や東洋、日本のように王様や貴族による支配が近世まで続いた国々では、 権力者達が寛ぎや美の観賞を楽しみ、また自らの力を誇示(近隣や他国に見せつける) するため、築城や庭園造りを行ったが、ギリシャではこのような時代を経ていない。  都市国家が自らのポリスや神殿を風光明媚な自然の中に建設した。この街全体の風景や 神殿の風景を庭園と言っても良いように思える。現代のアテネ市内には広大な国立庭園が あり、市民の憩いの場となっている。ジャガランダを始めとして色々な樹木に覆われた庭園は、 アクロポリスなどと同じようにスケールの大きな、いかにもギリシャ的な感じだ。  というわけで、再掲になる部分もあるが、スケールの大きなポリス庭園、遺跡庭園を掲載して、 ギリシャの旅シリーズを終わりとしたい。

ギリシャ旅にお付き合い下さり、ありがとうございました。

 

<参考> ギリシャ旅/旅行記の記事を

見るには、こちらへ

https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/d628f5b488fffe38e560fc2ec58512d0

 


バーンパイン離宮の庭園  -2019 タイ国-

2019-01-29 19:10:22 | 海外・庭園鑑賞

 バーンパイン離宮は夏の離宮として使われていた王宮だ。
 アユタヤ王朝の離宮として1600年中頃に建設され、現在の建物はバンコク王朝の
ラーマ5世が1800年代後半に建てたものが多いようだ。
 この離宮はチャオプラヤー川の中州に作られており、池をふんだんにアレンジした庭と
カラフルなタイ式の建物、また白亜の建物などが調和して、素晴らしい景色の宮殿となって
いた。庭園としても素晴らしいの一語に尽きる。

以上です。


離宮・頤和園の庭園 -中国 2017.4-

2018-07-15 15:13:49 | 海外・庭園鑑賞

 浅田次郎の小説「天子蒙塵」の第3巻が発刊された。昨年、第1巻と2巻を読み
天津の日本租界をも見学する中国(北京、天津)ツアーに参加した。中国では、
1911年に辛亥革命が起きて皇帝溥儀は廃帝となり、第3巻では日本を後ろ盾
として満州国の皇帝に着く筋書きのようだ。
 第3巻は図書館で借りて読むことにしているが、実質的な清朝最後の皇帝とも
いえる西太后が愛し、暮らした頤和園は中国を代表する広大な庭園の中にあるとの
思いに至った。西洋を代表する広大な庭園を有するベルサイユ宮殿に対して、
頤和園は東洋を代表する広大な庭園、宮殿と思うにいたり、手元の写真を整理して
カテゴリー「海外・庭園観賞」に追記することとした。
 何分、私の参加したツアーは駆け足のため、じっくり写真を撮れていない。興味
のある方は、頤和園をじっくり散策した方の詳しい記事をインターネットで調べて
ご覧下さい。

 頤和園は、蘇州を真似て人工的に作った昆明湖、出た土で作った山(万寿山、
玉泉山)とそこに建てられた寺院(仏香閣、智慧海、玉峰塔など)、居住空間と
寺院を結ぶ回廊が庭園のベ-スとなっていると感じた。
 広大な点では共通するが、幾何学的な形体の西洋の宮殿、庭園(ベルサイユの
庭園など)と曲線的で広大な東洋の庭園の対比を見る感じがする。
 頤和園は最初は金の時代に着手され、明の時代に拡張され、清の乾隆帝と西太后
が現在の庭園の形を造ったと言われている。首都北京から近く、引退後の西太后の
隠居所として、光緒帝が充実を図ったようだ。
 一昨年、上海で明の時代に作られた庭園、豫園を見学したが、これはゴテゴテと
手の混んだ造作で、これも東洋の代表的遺産と感じていた。

 数少ない写真しかないが、庭園の概観をご覧いただければ幸いである。

以上。

<追記> 上海の名庭園 ― 豫園 ―
https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/32c8a40fd549cc5c62c063f085e08141


ハンプトンコート宮殿と庭園

2017-07-09 15:03:42 | 海外・庭園鑑賞

 6月20日、英国滞在4日目にハンプトンコート宮殿に出かけた。ガイドブックを
見ると立派な庭園が目につく宮殿だ。ロンドン中心部のウォータールー駅から電車で
約35分を要するが、現在、テニス行われているウィンブルドンを通過すると間もなく
ハンプトンコート駅に到着する。
 この地は1236年以降荘園として開設され、16世紀に入って宮殿&庭園として
充実強化されてきた。当初は民間の宮殿であったが、ヘンリーⅧ世が嫉妬したため、
王に宮殿が寄進された。ヘンリーⅧ世(王位1509.4~1547.1)はここに居住し、宮殿の
充実を図った。その後、ウィリアムⅢ世により17世紀末に大幅に改築された。18
世紀中頃から宮殿はロンドンに移り王宮としての使命は終了した。1838年、ビクトリア
女王の時代に一般開放され、火災事故等に遭遇するも復旧され、現在に至っている。
 敷地内には宮殿を取り囲むように、いろいろな庭園がある。ガーデン(庭園)と名の
つくものには、キッチン庭園、ローズ庭園、野生庭園、マジック庭園、大泉庭園、
プリヴィ庭園、ポンド庭園、ノット庭園、その他、ブドウの巨木、迷路園、テニスコート
20世紀庭園等がある。
 丁度、花の咲く時期でもあり、庭園には花が咲き乱れ、いかにもイギリス風の庭園を
満喫することができた。特にポンド庭園は彩り豊かであり、素晴らしかった。
 ティルトヤードで昼食を取ったが、オードブルのような野菜のサラダが美味しかった。

以下個別の写真を掲載します。

    

    

    

      

     

    

     

    

    

   

以上です。

 

 


コッツウォルズ散策 (続き)

2017-07-02 15:04:53 | 海外・庭園鑑賞

コッツウォルズ、オープンガーデン見学 ④チッピング・カムデン

 4番目に北コッツウォルズ地方のチッピング・カムデンを訪問した。散策の見所は街並見学、
茅葺きの家の見学であったが、私達は途中で見つけた「オープンガーデン」の張り紙を頼りに
3軒のオープンガーデンのお宅を訪問した。NHKの番組では、英国のイエローブックに登録
された素晴らしい個人庭園が紹介されているが、ここのオープンガーデンは街が主催している
もののように見受けた。時間の余裕が少なく⑧、⑦、⑥のお宅を見せていただいた。張り紙は
20まで見受けたので、20軒位が参加していたのだと思う。
 オープンガーデンを拝見できたので、満足して一日観光(バスツアー)を終えることができた。

 

 

 以上

<参考> コッツウォルズ_1

コッツウォルズ散策 - 名峰登山と草花 (goo.ne.jp)