名峰登山と草花

春から秋にかけて、登山と草花探索等を掲載。植物観察、世界歴史遺産巡り、庭園観賞、素人農業にもチャレンジ中。

ベルサイユ宮殿

2016-01-30 11:40:26 | 海外・歴史遺産の旅

 ベルサイユ宮殿は1682年にフランス王ルイ14世(1638~1715、在位1643~1715)が建てた
フランスの宮殿である。パリの南西22キロに位置する。
 その歴史は、最初に1624年にルイ13世が狩猟の館として建て、1661年からルイ14世が宮殿の
増築、セーヌ川から庭園に水を引く造園工事を行わせた。1699年からマンサールによる増築
や鏡の間の増築が行われた。(天井画はル・ブラン作)
 この宮殿では、太陽王ルイ14世がその豪壮な宮殿と庭園を築き上げ、王や諸侯を招待して
「王の中の王」であることを見せつけた。絶対王政の象徴であり、世界でもっとも華麗な宮殿
といわれる。

 また、付随する庭園はアンドレ・ルノートンによって造園された。宮殿も合わせた敷地面積
は1000ヘクタール(東京ドーム220個分以上)で、当時はこの10倍の面積があったそうである。
 末尾に「鏡の間」の解説記事を写真ともに付加した。

以上。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ベルサイユ宮殿の庭園

2016-01-27 20:49:35 | 海外・庭園鑑賞

 フランスのブルボン王朝(1589~1792)が、パリ郊外に造ったベルサイユ宮殿は
ルイ14世の絶対王政の宮殿として豪華を極めた。
 その建物(王宮)、内装、彫刻、壁画、天井画などは見る者を圧倒する。迎賓館とも
いうべき「鏡の間」は有名であり、黄金とクリスタルの輝きの中にある。
 この建物や芸術品の中にあっては、宮殿の庭園はあまり有名ではないが、実に広大な
敷地にスケールの大きな庭園が形作られている。どこまでも続く公園、周囲にちりばめ
られた彫刻、池、大きな生垣、樹木の造形、等が見る者の目を引き付ける。宮殿側から
見る公園の遠景は、無限のような錯覚を覚えさせる。池なのか海なのか、蜃気楼なのだ
ろうか?

 ルイ14世は、民衆が庭園に入るのを許し、民衆に庭園の見方を教える「王の庭園鑑賞法」
というガイドブックまで発行した。それには「ラトナの噴水の手前で一休みして、ラトナ、
周りにある彫刻をみよ。王の散歩道、アポロンの噴水、その向こうの運河を見渡そう」と
書かれているそうである。

 少しの時間ではとても見尽くすことはできなかったが、忙しく歩いた足跡(写真)を
ご覧いただきたい。

 

 

 以下、個別の写真を掲載します。興味のある方は拡大してご覧ください。

    

     

    

      

     

     

  以上。

 

 

 

 

 

 


モン・サン・ミッシェル

2016-01-23 08:59:44 | 海外・歴史遺産の旅

 今、テロの脅威に怯えるパリですが、落ち着いた良い時期(5年ほど前)に
パリやモンサンミッシェル、ベルサイユ宮殿などを見学しきてました。
 モンサンミッシェルにはパリからバスで出かけましたが、途中の素晴らしい
菜の花畑とともに幻想的な遠景から出現しました。当日は天候もよく要塞の
ような建築物が圧巻として迫ってきました。
 モンサンミッシェルは10世紀頃、現在のような形の修道院として改築され、
その後、要塞、監獄等の役割を果たしたのち、1865年から再び修道院として
復活しているとのことです。
 現地は観光客で賑わっておりましたが、安全な良い時期に旅ができてよかった
と思います。

 

以上です。


スペインの歴史遺産を巡る (その3)

2016-01-16 14:29:08 | 海外・歴史遺産の旅

 この旅は、H25年4月にスペイン旅のJTBツアーに参加した時の内容を
再整理したものだ。18名のバス旅中心のツアーであったが、なかなか楽しかった。
今回は、古都トレドと現在の首都のマドリードを巡り、ついで宿泊先のパラドール
(国営ホテル)のあるエナーレスで宿泊した。パラドールは全国で94か所建設
されているようで、エナレスのものは、昔のサント・トマス修道院を改装したものだ
そうだ。内装はすばらしく、快適だった。

 さて、スペイン旅を終了するにあたり、日本とスペインとの関わりについて調べて
見た。1582年長崎からローマへ少年使節が派遣され、また1612年には伊達
政宗がローマ、スペインへ通商使節を派遣している。興味のある方は、末尾の紹介
記事をご覧ください。

   日本とスペインの関わり

 九州のキリシタン大名は名代として4名の少年使節をローマ教皇に派遣した。
 1582年2月に長崎港を出発した少年使節は1584年3月にポルトガルの
リスボンに上陸し、5月にスペイン王に謁見の後、ローマへ向かった。1585年
11月にローマ教皇に謁見した少年使節は大いに歓迎された。その後、1590年
に日本へ帰国したが、既に1587年秀吉による発禁令が公布されており、その成果
は発揮されることなく、悲運に終わった。
 伊達政宗がローマ教皇に送った通商使節(支倉常長)は、1612年日本(石巻)を
出発し、アメリカ大陸を経由して大西洋を横断し、1614年にスペインのセビリア
に上陸した。1615年1月スペイン王に謁見の後、ローマに向かい、、1615年
11月にローマ教皇に謁見した。スペインに戻り、スペイン王と通商交渉を続けたが、
不調に終わった。1620年9月に日本に帰国できたが、日本には既に禁教令が出さ
れており、常長は2年後に失意のうちに死去した。

以上。

 


スペインの歴史遺産を巡る (その2)

2016-01-14 20:22:08 | 海外・歴史遺産の旅

アンダルシア地方を巡る

 先に訪問したグラナダと今回のセビリア、コルドバを含めたこのアンダルシア地方
にはイスラム教とキリスト教の文化の融合が色濃く存在する。即ち、キリスト教会とイスラム
教のモスクが融合している。そういう視点でご覧いただけると幸いだ。

スペインとイスラム教の関わりを少し勉強してみました。興味のある方は、ご一読ください。

 タイトル:イベリア半島のイスラム支配とレコンキスタ(キリスト教徒による回復)
 
 イスラム教ではムハンマド(マホメット)が信徒と共にメッカを脱出し、メジナに移住した
622年をイスラム歴・元年としている。632年にマホメットは没し、言行録がコーランとして
まとめられた。彼は630年にはアラビア半島をほぼ制圧した。教団の後継者(カリフ)が信者の
中から選出された。(ムハンマドは、唐の高祖(李淵)、日本の聖徳太子と同年代の人である。)
 イスラムの領土は正統カリフ時代、ウマイア朝(661-750)、アッバース朝(750-1258)(イベリア
半島は、後ウマイヤ朝)へと継承され拡大されて、現在のインドの一部、アフガニスタン、
カザフスタン、イラン、イラク、トルコ、北アフリカ(モロッコまで)、そしてイベリア半島まで
の広大な範囲を領土とした。

 イベリア半島の統治はローマ帝国(~395)の属州統治が約500年間続き、その後西ローマ帝国
(395~476)を経て、ゲルマン系の西ゴート王国(507~711)に統治された。(560年、首都を
トレドへ遷都)
 イスラム勢力のウマイア朝は領土拡大を続け、8世紀初頭にはジブラルタル海峡を越え、イベリア
半島に侵入し、711年には首都をコルドバとした。716年にはほぼイベリア半島を征服した。ウマイア朝
が倒れ、アッバース朝に代わるとウマイア朝の王族の一人ががイベリア半島に逃れ、後ウマイア朝
(756~1031)を起こした。
 後ウマイア朝は1031年に分裂、崩壊し、イベリア半島には30ほどのイスラム系小王国が割拠する
混乱の時代となる。このような中で北部のキリスト教徒が国土回復運動(レコンキスタ:~1492)を
強めていく。この運動は、グラナダを首都としたイスラム系ナスル朝の開城まで続き、1492年に
ポルトガル、スペイン両王国の成立をもって終了する。                以上。

 


スペインの歴史遺産を巡る (その1)

2016-01-13 10:52:41 | 海外・歴史遺産の旅

 先に、草花等の写真を掲載した。
 ここでは、歴史遺産を視点に、3回に分割して掲載することとした。
 最初はバルセロナ、バレンシア、グラナダまでの行程を掲載する。次いで、
ミハス、ロンダ、セビリア、コルドバまでを、最後にトレド、マドリード、
エナーレス(パラドール)までを掲載しようと考えている。
 基本的にバス・ツアーであったが、コルドバからマドリードまでは新幹線
(AVE)で移動した。

 バルセロナのグエル公園とサグラダファミリア(聖家族教会)からご覧下さい。

(1/3 完)


南国に咲く樹木の花 -香港-

2016-01-11 12:09:26 | 海外・植物観察

 正月明けに香港に出かけた。風景とホテル等を先にブログに登録したので、
今回は、香港で見た樹木の花等を掲載することとした。撮影する時間を十分取れ
なかったため、お粗末なできとなってしまいました。それでも、ご覧いただけ
れば幸いです。

以下、個別の写真を再掲します。

      

     

     

       

   

 

 


香港の旅

2016-01-09 23:05:46 | 海外・旅行記

 正月明けに3日間、香港に旅行した。妻のペニンシュラホテル宿泊願望に
合わせて、私は歴史確認のつもりで同行した。
 中国の一国二制度の下、香港特別行政区となっている香港とはどのような
国(所)かと興味をもっていた。行ってみて感じたのは、生活はイギリス統治
下とあまり変わっていないのではないかと想像された。即ち、ホテルやレスト
ランでは英語が通じ、街には40階から100階建てのビルが林立し、チップ
の習慣もそのまま残っているようだ。欧米人も多く、観光立国の国だと思った。
 怖いと思ったのは、地震がないので耐震対策がないのだそうだ。震度4の
地震が来るとほとんどの高層ビルは崩壊するらしい。東京23区の半分の面積
に750万人の人々が暮らすこの国はとにかく狭く感じた。
 ペニンシュラ・ホテルでは記念にアフタヌーンティを味わった。ザ・ロビー
では生演奏が演じられ、リッチな気分となった。22年前に出かけたロンドン
のフォートナムメイソンのアフタヌーンティーを思い出した。

以上です。


リンネソウの咲く山々

2016-01-04 22:14:30 | 高山の花、高山植物

 偉大なる植物学者、スウェーデン人のカールフォンリンネは「植物分類学の父」
と呼ばれ、博物学(植物、動物、鉱物)に通じた優れた学者である。(1707-1778)
 リンネはこの花を発見し、愛好し、自身の名にちなんだ学名を付けたようです。
 私は相棒との百名山登山で、最初にこの花を見たのは北海道の幌尻岳でした。
次いで羊蹄山、そして本州で見たのは白馬大池から白馬岳に向かう途中の小蓮華岳
の登山道です。最初の写真はカメラも旧式で暗くなりかけていたのでややピンボケ
となっています。ご容赦ください。
 小さくて可憐な花をつけるこの花にリンネさんも感動したのでしょうね!

   H26.8.13 撮影               上記の解説の表はインターネット上から引用させていただきました。

 以上