名峰登山と草花

春から秋にかけて、登山と草花探索等を掲載。植物観察、世界歴史遺産巡り、庭園観賞、素人農業にもチャレンジ中。

ラッキョウを漬けてみる   -2021.4.下-

2021-04-28 20:25:21 | 野菜作りに挑戦

 畑のスペースが足りなくなったので、ラッキョウを一部掘って実り具合を調べてみた。
 ラッキョウの育て方についての先生方のご指導では、5月中下旬から6月頭に、掘り
出して漬けるとあるが、意外にラッキョウの玉が大きかったので、畝の1/4程を掘った。
掘った後には、早速、カボチャを植えた。夏野菜の苗がいろいろ生長してきているの
です。
 ということで、4/25はラッキョウ漬けを行いました。インターネットでレシピを探して、
良さそうなレシピに従って、準備をしました。下準備を完了して計量してみると200g強
の重さがありました。レシピでは皮付きで500gと書かれていたので、私の素材重量は
お手本の半分として、全ての調味料を半分として、準備をしました。

 後は、瓶を熱湯消毒して詰めるだけでしたが、適当な大きさの瓶がなかったので、
2つの瓶に漬けました。3日位から食べられるとレシピに記載されていたので、楽しみ
です。

 

以上です。


世界・歴史遺産を訪ねて  9.ブダペスト(ハンガリー)

2021-04-24 12:25:36 | 海外・歴史遺産 ー国別ー

 中欧の旅で最後に訪ねたのはハンガリーである。ハンガリーは(首都ブダペストも)日本から
は遠くて、なじみの薄い国である。ただ、現在のハンガリーの住人マジャール人という民族は
アジア系で、幼児のお尻には日本人と同じく蒙古斑点があると聞いており、その点親しみを
感じるが、現地で見る顔かたちは西洋人に見える。

 ハンガリーに入ると観光ガイドは、ハンガリーの国名について、5世紀頃にフン族(Hun)が
大移動してきてヨーロッパ(Garia)に建てた国(Hun-Garia)であり、これを英語読みすると
ハンガリーとなり、これが国名ハンガリーの由来であると説明を受け、納得した。
(但し、歴史を調べてみると、なかなかに複雑である。中欧の肥沃な平原に位置するこの国が
昔から重要であったことは理解できた。少し調べて、まとまれば、投稿する)

 ハンガリーの首都、ブダペストはドナウ川の北側の高台のブダ地区(為政者が支配)と、南側の
低い平原のペスト地区(下町)からなり、合わせてブダペストとなっている。 (ブダとは、フン族の
最盛期の王様、アッティラ王(453年没)の兄(ブレダ)の名前に由来するらしい。)
 ドナウ川から見上げるハンガリー王国の王宮は重厚で、威圧感があり、いかにも力強い国で
あった様を伺わせる。
 我々の旅では、王宮周辺、ドナウ川にかかる鎖橋、   等を見学観光した。ドナウ川クルーズ
で見る、宵闇に浮かぶ王宮は、重厚な中にも美しく輝き、なかなかに見応えがあった。

   (お詫び)    R3.5.5
 フン民族の大移動、またハンガリー平原の歴史を調べてみようとしていましたが、思うように調べが
進みませんでした。
 新たにタイトルを「世界歴史遺産を訪ねて 9-2.ハンガリー平原」と題して投稿します。 

<参考>9-2.ハンガリー平原https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/c93b3eff1b2ef4db4468fa4f4d989a27

<参考>10.ギリシャhttps://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/20a6b5006c7943c7bcaa74e5f868f1d1

 

 

 

 


イチゴ畝の整備   -2021.4下-

2021-04-24 08:48:35 | 野菜作りに挑戦

 4月に入るとイチゴの花が咲いたので、Youtubeのイチゴ博士のような先生(宮崎講師/
イチゴ・コンサル)の講座を聴いて、人工授粉のまねごともやってみた。また、1株あたり
芽数を2つ程度に芽欠きをして、株が大きくなりすぎないように剪定した。
 先に誰かさんの農業ブログを見ていたら、イチゴ畝に藁を敷いたと投稿されていた。
そこで、早速まねすることとした。藁はエンドウ豆の育成用に買っておいた藁(300円)が
半分残っていたので、これを半分の長さに切って敷いた。誰かさんのブログには、藁を
敷くとナメクジ防止になると書かれていたので、参考になった。作業が終わったので、
じょうろの水に液肥を解いて水やりをした。今日の作業は完了である。

 さて、私の農業は5年目に入り、イチゴ栽培は4回目である。昨年もこの辺りまではほぼ
同様にできていたと思うが、ここからが問題である。イチゴが色づき始めると、獣に食べ
られてしまい。私の口に入らない。朝、イチゴ畝を見に行くと赤い苺は何もない。水桶に
イチゴが2,3浮いていることが間々ある。
 80Lの水桶に半分水が入っていた時に、イタチが溺れて死んでいたことがある。いつも
の調子で水を飲もうとして桶に落ち、出ようとしても手が上に届かず、足は下に届かず、
桶はプラスチックで爪はたたず、泳ぎ疲れて溺れて死んだと思われる。ハクビシンも見かけ
た人がいるので怪しい。
 イチゴ畝を板で囲って、防御しようか思案中である。緑色の防獣ネットだけでは、昨年まで
と同じように獣に食べられてしまうだろうか? 難問山積みである。


早生玉葱の収穫       -2021..4.21-

2021-04-23 22:07:49 | 野菜作りに挑戦

 早生玉葱の茎が倒れ始めてきたので、早生玉葱を収穫することとした。
 この1週間に、試し堀りにて数個を掘って試食しており、残りは30個位だ。
試食の味はアッサリして甘みがあり、好評である。
 掘り出しのために、まず黒マルチを剥がし、それから1本ずつ引き抜いた。
箕(み)の中に入れると、茎や葉っぱが付随しているので、ほぼ一杯だ。この
早生玉葱は1、2週間で食べ尽くすことになるので、葉のついたまま保存して
置くこととする。これから、中晩生と赤玉で200本近くあるので、収穫が楽しみ
だ。昨年は玉葱の茎をカットして保存したが秋に入ると、軸から細菌が入った
らしく傷んできた。今年は保存する時は、乾燥してから茎をカットすることに
したい。上手くいくだろうか?

以上

 

 


街路樹、ハナミズキが満開に  -2021.4.18 東山通り-

2021-04-21 07:56:00 | 自然観察_公園・街路

 先週辺りから,街路樹のハナミズキが綺麗に咲き出した。今日、4月18日に千種
図書館に出かけると、東山通りの東側のハナミズキは満開状態だ。早速、道路脇に
車を駐めて、歩道から幾つか写真に撮った。
平和公園などの低木、ヒラドツツジもそろそろ綺麗に咲く頃かなーと思いながら・・。

<ハナミズキ写真一覧>

   

    

       

      

<クリックすると拡大します>


世界・歴史遺産を訪ねて  8.ウィーン (オーストリア)

2021-04-17 19:15:54 | 海外・歴史遺産 ー国別ー

 2014年4月23日、ウィーンにある史跡、街の中心街を見学、観光した。街の名所の
一番はオペラ座と周辺のようだ。時間がないので、オペラは見られなくて外から見る
だけに終わった。目抜き通りにはテラスが並び街を散策する人々や寛ぐ人々で賑わって
いた。

 散策しているとモーツアルト像が現れた。ここは王立庭園だそうだ。少し歩いていると
双頭の鷲(ハプスブルグ家の紋章)を屋根にいただいた風格のある長大な建物が
現れた。これは、王宮(新王宮)で、現在は図書館や博物館として使われているようだ。

 この後、車窓観光を楽しみながら、シェーンブルン宮殿へと向かった。広大な敷地の
中に建てられた宮殿は、ベルサイユ宮殿を思わせる立派な宮殿だったが、残念ながら
写真撮影が禁止で、建物内部や芸術作品の写真が撮れなかったのは残念である。
宮殿の背後にある庭園は遠近画法を思わせる奥行きの深い庭園で、大きな樹木や彫像
がさりげなく配置された雄大な庭園であった。

<参考>シェーンブルン宮殿の庭園は、先にブログ登録をしているので、興味のある方
      は下記を参照下さい。

シェーンブルン宮殿の庭園  登録: 2017.2.26 https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/965515bcf76dd22a31cddb5658d5ad88

<参考> 個別写真

     

    

      

     

     

    

    

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<参考> ハプスブルグ家の歴史  (浅学の身ながら、受け売りで記載します)

 12世紀初頭にその名前が使われ始めるが、遠祖は10世紀にスイス北東部のライン川上
流域を発祥の地とする。1273年ハプスブルグ伯爵が推挙されて神聖ローマ帝国・皇帝
ルドルフ1世となり、世に名前が出た。

 1278年ボヘミア王との戦いに勝ち、その所領、オーストリア公国を自国領とした。以降、
軸足をオーストリア地方に移していく。1440年ハプスブルグ家のフリードリヒ3世がローマ王
になって以降、王位の世襲が続いていく。ハプスブルグ家は婚姻関係によって、ブルゴー
ニュ家、ナポリ王国、シチリア王国、スペイン王国、ボヘミア王などの王位を継承し、カール
5世治下ではヨーロッパ一の大帝国を現出させた。1549年にハプスブルグ家はスペイン系
ハプスブルグ家とオーストリア系ハプスブルグ家に分かれる。

 スペイン系ハプスブルグ家は無敵艦隊の壊滅により勢力は下り坂となり、1700年カルロス
2世の死によって断絶する。
 オーストリア系ハプスブルグ家はカール5世の弟、フェルディナンド1世から始まる。1683年
オスマン帝国(トルコ)の第2次ウィーン包囲撃退後、勢力を盛り返し、オスマン帝国を破って
1699年にハンガリーを領地に加えた。

 1740年カール6世が没し、男子がいなかったため、長女マリア・テレジアが相続した。
これを不服とするプロイセンなどにより、オーストリア戦争が起こり苦境に立ったが、イギリスの
支援により、オーストリア、ボヘミア、ハンガリーを領地として認められた。オーストリアは
フランス王国とも接近して大国としての地位を確保し、ロシア、プロイセンと共にポーランド分割
にも参加した。
 1789年にフランス革命が起きると、ハプスブルグ家にも衝撃がおきた。フランスに出兵するも
革命軍に敗れ、以降、ナポレオンが台頭するなど動乱の時代となる。(マリーテレジアの死後
ハプスブルグ家は男系が絶え、ハプスブルグ・ロートリンゲン家となる。)

 1804年にナポレオンがフランス皇帝として即位したが、ハプスブルグ家はオーストリアの
帝室として存続した。その後、周辺国との戦争で失態が続き、国際的地位が低下した。
さらに、多民族国家における民族自治の気運が高まり、この地でも問題が深刻化した。1867年、
皇帝はハンガリー人に妥協して帝国をオーストリア帝国とハンガリー王国に二分し、同じ君主
を仰ぐオーストリア・ハンガリー帝国(二重帝国)とした。

 1914年、ボスニアにておきたサラエボ事件(皇太子、フェルディナンド大公夫妻がセルビア
人によって暗殺)をきっかけに、オーストリアがセルビアに宣戦を布告したことから第一次世界
大戦が始まる。1918年、終戦と共に、ハンガリー、チェッコスロバキアが分離独立し、またカール
1世の亡命により、ハプスブルグ帝国は解体した。

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<参考> 9.ハンガリー(ブタペスト) https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/d6746d2fbd4882a7cdf5963f051f4e9b

 


新緑萌えるトウカエデの道

2021-04-16 11:51:20 | 自然観察_公園・街路

 4月に入ると桜(ソメイヨシノ)が満開となり、1週間後には桜は葉桜へと変わってきた。
この時期と併行して、街路樹トウカエデが芽吹き始めた。私の通る平和公園界隈には
街路樹トウカエデの道が沢山あるが、ここ1週間で、新芽は黄緑色の若葉に変わりつつ
ある。
 4月14日、萌えるような新緑のトウカエデの道を写真に撮った。秋の紅葉も美しいが
新緑もまたそれなりに見応えがある。若葉の緑は見ていると、目が癒やされる心地よい
風景であり、気持ちがいい。

個別写真一覧

     

      

 

以上


早まき夏野菜の定植   -2021.4中-

2021-04-13 11:43:52 | 野菜作りに挑戦

 2月末に種蒔きし、トンネル保温で発芽した苗が生長してきた。芽が出て、順調に生育
している苗もあれば、なかなか大きくならない苗、全然芽が出てこない野菜種もある。
 今日は、生長してきた苗(カボチャ、キュウリ、等)を持参して畑にやってきた。途中でホーム
センターに立ち寄ると、既に夏野菜の苗を売り出しているではないか。少しも芽が出てこない
ナス、唐辛子を2本ずつ買うことにした。またトマトは芽は出たが成長が遅いので、保険の意味
で、ミニトマトを1本購入した。 

 定植は、キュウリのために用意した畝に、追加で購入してしまった苗もギュウギュウ詰めで
植えた。隣にあるほうれん草は、早めに収穫するので、ナス、トマト、唐辛子は問題なく生長
できるはずだ。キュウリ・北進(購入種から)は自前の苗6本を植えた。また、畝の端にカボチャ苗
(栗カボチャ・大2本、ロロン2本)を植えた。栗カボチャ苗は購入種が発芽した苗であり、ロロン
は昨年の自取り種を種蒔きし育苗した苗だ。カボチャはツルを土手に這わせるため、畑の畝
の端に定植している。

 他に自取り種を蒔いて育苗中の野菜には、ゴーヤとオクラがあり、現在、育苗中である。後
1~2週間もすれば植え付け可能だろうと思っている。落花生も芽が出ており、畑に持ってきた。
近々定植する予定だ。

 先週定植した野菜の様子を確認した。ズッキーニ6本は活着した。余り苗2本はポットに残
し手置いたところ、4/8頃の寒波で枯れてしまいそうになっている。植えておいて良かった。
インゲン豆も活着したようで、元気な葉を伸ばしているように見える。明日は雨が降る予報で
あり、野菜はさらに元気になるだろうと期待している。
 ということで、定植作業を完了した。
 ついで、今日持ち帰る野菜を採り、家路に着いた。

以上です。 


満開のシャクナゲ園   - 2021.4.9 赤塚シャクナゲ園 -

2021-04-10 21:46:38 | 自然観察_シャクナゲ

 山の相棒がシャクナゲを見に行くというので同行した。行き先は三重県津市の
赤塚シャクナゲ園ということだ。事前に、東山植物園のシャクナゲの森に行っておくと
良いかと思ったが、時間が取れなかった。
 名古屋から高速・東名阪を通り、伊勢道に入った最初のIC(芸濃)を出て右手に折れ
少し進むと、すぐのところに赤塚植物園の経営するシャクナゲ園はあった。ここは郊外の
ゆったりした田舎に陣取られている。その植物園は、新種開発や育苗販売も行っており
幾つかの園芸種を世に提供している。園内には高木のシャクナゲも多く歴史を感じさせ
てくれる。
 東山植物園で目にする殆どのシャクナゲ種類はあるようだった。各シャクナゲの木には
名札が付けられており、名前を覚えるのに都合が良い。ただ、よく似た花(花の形、色)
も多く、即見分けるのは困難な気がする。赤系のネリアーブレッド、太陽、白黄色系の
黄山、真珠姫、ピンク系のジョイフルディ、ミセスフジイ、ウェディングプーケなど、東山
植物園で覚えている名前も多くて安心した。この中で、ジョイフルディ、ウェディングプーケ、
真珠姫等は、このシャクナゲ園で開発されたオリジナル品種と分かり、感心し敬服する
次第である。シャクナゲの野生種はは高山に自生する。これを低地で且つ高温多湿の
日本の風土の中で見られる品種に改良するのが大変なのだそうです。(この植物園の
解説です) ここの広いシャクナゲ園で、色々なシャクナゲを自然に近い形で堪能できて
良かった。この時期、色々な八重桜も咲き揃って、シャクナゲ園に柔らかな雰囲気を
醸し出していた。

 昨年は、山に自生するシャクナゲを見に摺古木山(2169m)へ3回も出かけた。この山の
シャクナゲは、今調べると、キョウマルシャクナゲ、ホソバシャクナゲと思われる2種類だと
思われる。これまでに、登山でハクサンシャクナゲ、アズマシャクナゲ、キバナシャクナゲ
をも見ているが、ピンク系のシャクナゲは品種の見分けはなかなかに難しい。この先、もう
少し、勉強してみたい。   

以上です。

 

 

 

 


玉ネギの初収穫  -2021.4.8-

2021-04-09 06:47:24 | 野菜作りに挑戦

 このところの陽気と雨で、玉ネギが一気に生長してきた。2週ほど前に茎の太い
中晩生の玉ネギを試し掘りしてみると、玉の部分は茎と同じ太さだった。(持ち帰ると
妻に馬鹿にされた。)
 今日、目についたのは極早生品種だが、これは最近までやせていたのに、今日
見ると玉が膨らんで大きく見えた。早速試し掘りをしてみた。玉は7~8cmになって
いた。
 ついでに、ワケギ、大根、絹サヤエンドウ(これも初物)、等を取った。これから、春
野菜が取れそうなので楽しみだ。

 今日は、この後、ソラマメの整備を行った。まず、肥料(鶏糞)をやり、土寄せ、土掛け
水やりを行った。また、余分な茎を剪定し、すっきりさせた。倒れかけた茎を束ねて
真っ直ぐ上に成長するように養生した。畝1は茎丈1m程となり、霜除けに被せていた
寒冷紗に当たるようになったので、寒冷紗を除き、上に生長できるように養生した。
畝2は茎丈70cm位なので、もうしばらく寒冷紗を掛けたままにしておくこととした。畝1
では、茎に実が付き始めた。去年は最後に(収穫時期に)病気が出て、実が真っ黒く
なった。今年は、病気が出ないことを祈っている。 

以上。