昨年秋にマンションの玄関脇にサルスベリの苗木を植え、今年の開花を
楽しみにしてきた。
いろいろ心配をさせてくれるサルスベリで、春は芽吹きが遅く枯れたのかと
心配させてくれた。夏になり街の街路樹は一気に赤、白、ピンクなどの花を
咲かせたが、私の植えたサルスベリは8月になっても花芽もつけず今年はダメか
とあきらめかけたところ、中旬になって花芽らしき蕾が付いてきた。そして
8月下旬になって初めてピンクの花が咲き出した。
植栽の提案者としてやっと胸を撫で下ろしている。咲き終わったら、来年に向け
形を整えてやろうと考えている。
残念だが、9月9日には台風18号が到来し花が大分散ってしまった。
愚図ついた天気が続いたが、週末に晴れるというので、久方ぶり(17年ぶり)に
南アルプス・聖岳に出かけた。
9/4午後に家を出て、飯田ICで中央道を出て東へ進み、天竜川を渡って上村、
遠山郷(下栗の里)を通り、便ヶ島・登山口まで、3.5時間を要した。駐車場で
車中・前泊し、翌日(9/5)早朝5:30に登山を開始した。
まず、トロッコ道(廃道)を進み、西沢渡で川(木橋)を渡り、作業場跡を通った。
ここから本格的な登山道となり、約6時間を要して、薊(アザミ)平・分岐に達した。
天気もよく、薊平から南西方向に上河内岳、茶臼岳、光岳の素晴らしい山容を見た。
ここに、リュックを置いて聖岳へ登り始めたが、疲れを感じたので登山は延期し、
最初のピークで引き返し、聖平小屋へ下った。
9/6、早朝5:30に小屋を出て、昨日通った薊平分岐まで登り返し、ここから
聖岳を目指した。途中、小聖岳からは聖岳の素晴らしい姿が展望された。8:30に
聖岳・山頂に到着したが、8時頃から霧が出たため、視界が悪くなり残念だった。
山頂から9:00に下山を開始し、11時にアザミ平で小休止した。このころから
小雨が降りだした。14時頃からは雨脚が強くなったが、15:30無事、登山口に
到着できた 。
<個別の写真を掲載します>
以上
4月にサンクトペテルブルグへ観光(ロマノフ王朝の歴史遺産を巡る)に出かけた
折、エカテリーナ宮殿の謁見の間で、日本人「大黒屋光太夫」が1791年5月に
エカテリーナⅡ世(女帝)に拝謁し、帰国を嘆願したことを知った。
旅行から帰って、井上靖の「おろしや国酔夢譚」、吉村昭の「大黒屋光太夫」上下
を読んで、苦難の行程を把握した。
津市に出かける用事があったので、帰りに鈴鹿市若松町(光太夫の出身地)にある
大黒屋光太夫の記念館を訪ね、当時の記録資料を見学した。また、若松町にある他の
史跡を探索した。
大黒屋光太夫は回船問屋の荷物を江戸に運ぶため、1782年12月に白子の港を
出航し、遠州灘にて難破してベーリング海のアムチトカ島まで流され、ロシアに抑留され
た。帰国を許されたが、乗組員17は病死などで人数を減らし、1793年に日本の
地を踏んだのは3人のみとなった。一人(小市)は帰国直後に病死し、残る2名(
光太夫と磯吉)は日本で命を全うした。
当時、日本は鎖国のため、習得したロシアの文化技術、ロシア語能力は幕府によって
封印され、日本に活用されなかったことは残念であった。
以下、個別写真を掲載します。
関連ブログ: ロマノフ王朝の歴史遺産を巡るhttps://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/190b559fd17c032b5eea001ddabd7355