名峰登山と草花

春から秋にかけて、登山と草花探索等を掲載。植物観察、世界歴史遺産巡り、庭園観賞、素人農業にもチャレンジ中。

靖国神社へ参拝   -2019.4.3 英霊を供養-

2019-04-15 23:07:00 | 海外・慰霊巡拝_フィリピン

 4月3日に靖国神社へ参拝した。実は私は3回目だ。10年程前に第1回。この時は 会社の友人(私同様に父が戦死した方)と一緒に。2回目は昨年7月(今回の下見)。 3回目の今回は、国が主催するフィリピン戦没者・慰霊団(3年前)に参加したメンバー の内、ビサヤ諸島(レイテ島、セブ島、サマール島)を訪ねた第3班(23名)の内の 有志で参拝した。参加者は意外に多く15名が北は青森から、南は鹿児島から集まった。  レイテ島に現地慰霊に出かけたのは3年前だが、その時私は、戦後70年を経て、国が 慰霊団を派遣していることを知り、申し込んだところ、参加させてもらえた。  今年は戦後75年となることから、再度、靖国神社へ出かけるには良いタイミングで あったと思う。3年前の慰霊団・第3班はまとまりがよく、帰国後毎年、同窓会を開催し、 今回は第3回目となるため、東京で開催し靖国神社にも参拝するということにしていた。  市ヶ谷のホテルから満開の桜を見ながら靖国通りを通り、靖国神社へ向かった。東京の 幹事の方々が事前調査をして、参拝申込の段取りをつけてくれたので、スムーズに参拝 することができた。  本殿にて参拝し、退出後に本殿前で集合写真を撮った。

  次いで、千鳥ヶ淵・墓苑にてお参り し、皆で「故郷」の歌を合唱した。歌詞を吟味すると涙が出てくる歌だ。神妙な気持ちで 歌い終えた。今回の参加者は74歳から84歳で、戦死者の子供、また80台の方は弟と いう境遇だ。高齢ということもあり、今回のようなイベントはもう無理かもしれないという 危惧もあり、沢山の方が参加されたのだと思う。  境遇が似ているため、3年前までは全然知らない人ばかりだったが、10日間の慰霊の 旅で、兄弟のように意気投合し、親近感を持つようになった。子供達、弟達が皆でお参り に来てくれたと英霊は天国で涙を流してくれているだろうか・・・?

  最後に、平成最後となる平成31年の4月に参拝ということとなった。偶然とはいえ、 慰霊団メンバー(戦没者、フィリピン慰霊巡拝・第3班)にて、戦後75年となるこの 時期に、参拝できたことは一つの区切りとして、何か運命的なものを感じる。

 以上です。

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<参考> 戦死した父の72回忌を特別に行いました。アドレスは以下の通りです。https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/487bf05e561446c27263cdf8387d65b1

 

 

 

 

 

 

 

 

 


法要 -父の72回忌を実施-

2016-06-25 10:32:49 | 海外・慰霊巡拝_フィリピン

 私事で恐縮だが、戦死した父の供養のため特別に第72回忌の法要を行った。
(湖西市にある常霊山本興寺にて)
 聞いてもよい方は少々お付き合い下さい。
 父は昭和20年フィリピン・レイテ島にて玉砕・戦死した。その日が7月3日である。
 昨年、戦後70周年でいろいろな催しがあったが、国が戦地に慰霊団を派遣している
ことを知り、インターネットで確かめて参加を申し込んだ。昨年末に選抜の通知を受け、
今年2月17日から26日まで10日間の行程で、国主催の現地・慰霊巡拝に参加した。
(その報告は、私のブログのカテゴリ「海外・慰霊巡拝」で掲載済み)
アドレス:    https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/bf8e94cb2e956ad3824e396ef712c226

 その際、現地(レイテ島・カルプゴス山地)で慰霊後、父の霊を背負い、且つ現地の
砂と小石を拾ってきた。そこで、父のお墓に霊を納め、現地の砂と小石、また慰霊地の
報告書を一緒にお墓に納めるため、お寺様にお願いして今年6月18日に法要を行った。
 永年の間、気になっていた父の現地慰霊と実家での供養ができ、人生の宿題を一つ果

ことができてほっとしている。

 

 余談 (常霊山・本興寺)

 父が戦死していたこともあり、幼少の頃から曾祖母に連れられて良くお墓参りに出か
けた。父のお墓にお参りした後、信心深い曾祖母は、日蓮大聖人や本興寺・開山の上人の
お墓にお参りし、「南無日蓮大聖人、南無日朗上人様、日印上人様、日陣上人様、南無
開山日乗上人様、南無妙法蓮華経」と唱えながらお水を献上しながら拝んでいた。いつの
日にか自分も諳んじてしまっていた。
 今回、法要を機にお寺の由来、お寺さんと各上人様の由来を調べてみた。
 総本山は新潟県三条市の長久山・本成寺であり、法華宗陣門流という宗派だ。日蓮が
佐渡島へ渡る途中に寺泊で出会った日印が開山したお寺で、初祖日朗・開山日印となって
いるそうだ。(1314年初祖日朗上人、開祖日印上人。)
 本興寺は南北朝時代、本成寺の主であった日陣上人が開山し、日乗上人と改名した。
 日蓮宗は宗派の分裂、統合が盛んだが、現在、本成寺は法華宗陣門流と称し、本興寺は
その東海別院となっている。本堂 (寄棟造、茅葺、天文21年(1552年))は国の重要文化財
、本尊は三宝尊である。塔頭が4院あり、長勝院、光明院、玉葉院、東光院からなる。
方丈には小堀遠州作の日本庭園が、また谷文晁作の襖絵があり有名である。別称、文晁寺。
 さて、先に書いた私のうろ覚えには間違いがあったようだ。日印上人を日卯上人と読み
間違えて読んでいた。漢字が読めるようになった頃に、印の字と卯の字を見間違えたのだ
と思う。これで、日印上人様のお怒りを受けなくてもよくなるでしょう。

以上。        


フィリピン慰霊巡拝 -No.4- 行程図

2016-03-06 08:11:30 | 海外・慰霊巡拝_フィリピン

慰霊巡拝(第3班)サマール島、レイテ島、セブ島の行程をわかりやすく表示します。ご参考まで。

 

 

以上です。

  

<参考> 帰国後、有志で靖国神社へ参拝しました。下記アドレスを参照下さい。

アドレス:    https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/c/df9624699fda96c3e368af24520b452d

 

 


南方の戦地に慰霊巡拝 -NO.3-

2016-03-04 10:52:33 | 海外・慰霊巡拝_フィリピン

セブ島慰霊巡拝 セブ島の慰霊巡拝は北東海岸のタボゴンと中部・セブ市のセブ観音・前にて
        行われた。
         ①タボゴン(セブ島北部・東海岸)2/23 
         ②セブ市 (セブ島中部・セブ市東谷の高台)2/24
               現在、マルコポーロ・ホテルが建つ高台にはかつて日本の
               海軍司令部があり、多くの戦死者が出た。ここに平和を
               祈念してセブ観音が建てられている。
合同慰霊祭    ③カリラヤ(ルソン島)2/25
               マニラの約100Km南にあるカリラヤ(ラグナ湖の南側)
               において、73名全員にて合同慰霊祭が行われた。
               夕食は全員合同のバイキング&パーティー形式で行われた。
         ④マニラ市内散策の後、帰国 2/26

               マニラ市内の半日観光(見どころを観光)の後、成田空港へ
               成田空港にて解団式の後、解散。

NO3の報告を終了します。

NO4のアドレス:https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/44a02eb2f1c19a95dbeb975941d2a267

 

フィリピン慰霊巡拝 -No.4- 行程図 - 名峰登山と草花

慰霊巡拝(第3班)サマール島、レイテ島、セブ島の行程をわかりやすく表示します。ご参考まで。以上です。フィリピン慰霊巡拝-No.4-行程図

フィリピン慰霊巡拝 -No.4- 行程図 - 名峰登山と草花

 

 

 

 


南方の戦地に慰霊巡拝 - NO.2 -

2016-03-02 14:29:02 | 海外・慰霊巡拝_フィリピン

 第3班の訪問地を中心に(且つ、戦没者慰霊の地)慰霊地順に掲載する。共に戦地に
思いを馳せ、英霊の冥福をお祈りいただけると幸いです。 
(慰霊地の周囲や風景を中心に写真を掲示。英霊供養の写真は割愛します。)

 慰霊巡拝の道程と周囲の風景
   ①シラゴ(レイテ島・南東部海岸)2/20 → 
   ②リモン峠(レイテ島北部・カリガラ湾を望む)2/21 →
   ③アルベラ(レイテ島・中部西海岸付近、タリサヤン&オルモック湾)2/21 →
   ④カンギポット山&カルプゴス山(レイテ島・北西部海岸近く)2/22 →
   ⑤シラド(レイテ島・北西部海岸)2/22 →
   ⑥サンイシドロ(レイテ島・北西部海岸)2/22 →

以上です。(レイテ島慰霊巡拝を終わります。)

No.3のアドレス:https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/e2632ae914bba0c5f6ea6d330519812f?fm=entry_awc

 

 

 

 


南方の戦地に慰霊巡拝 --フィリピン・レイテ島など--

2016-02-28 00:08:46 | 海外・慰霊巡拝_フィリピン

 南方の戦地(フィリピン・レイテ島)に出向き、現地で亡き父の霊を供養した。
(父は第26師団、独立歩兵第12連隊に属し、レイテ島カルプゴス山にて戦死)

 昨年、戦後70を経過して戦没者や犠牲者の供養が行われたが、私もケジメとして
戦死した父の供養のため、国(厚労省)の主催する慰霊団への参加を申込していた。
昨年12月に参加選定の通知を受け、この2月17日から26日までの行程で現地に
出向き、慰霊巡拝を行った。(天皇陛下が先に1月26日から比国を訪問されている)
 慰霊団には73名が参加し、地区別に4班に分かれ、慰霊巡拝を行った。私は第3班
(22名)でビサヤ諸島(サマール島、レイテ島、セブ島)の慰霊団に配置された。

 ブログ掲載については躊躇したが、レイテ島だけで7、5万人が戦死(フィリピン
全土で51万人が戦死)している。数多の遺族は、戦地はどんなところか、まだ見ぬ地
を想像している方も多いと思い、敢えて掲載することとした。

1.サマール島・北部    2.レイテ島     3.セブ島 の順に掲載

1.サマール島・北部      

2-1.レイテ島にて亡き父を慰霊

 南方の戦地(フィリピン・レイテ島)に出向き、現地で亡き父の霊を供養した。
 父の戦死したカルプゴス山は北カルプゴス(地名)の山塊を指すようでしたが、
丘陵に近い比較的低い山並みが続き、現在は明るくて大変のどかな土地となっていま
した。住民も協力的でした。
 北カルプゴスの山頂近くの高台に祭壇を設け、父の霊を供養することができました。

<今回の慰霊で分かったこと>

 個人的には、厚労省から頂戴した戦闘関連資料は詳細に調査されており、ご苦労に
感謝している。また、現地日本人ガイドの戦況説明は分りやすく、大変参考になった。
  厚労省からいただいた資料によれば、父の所属した第26師団、独立歩兵第12連隊
(連隊長:今堀鉄作)の父の大隊は、S19年11月3日に応援部隊としてオルモックに
上陸し、オルモック付近の戦闘に参加、次いでアルベラ付近の戦闘に参加、その後、
師団主力と共にシラット方面に転進し、S20年4月5日から7月3日のカルプゴス山
の戦闘において部隊は全滅した。
 ガイドのS氏の解説によれば、連隊長は7月4日に副官(東島大尉)に上部への報告
を指示した後、自決された。東島大尉を含む伝令5名はカルプゴス山を後にしたが、
全員米軍に発見され銃弾に倒れた。しかし、東島大尉は重体(意識不明)で米軍に収容
されて回復し、捕虜となった後、日本に復帰された。このため、独立歩兵12連隊の
行動の全貌が明らかになったとのことである。

以下、個別の写真を掲示します。

     

    

    

    

 

以上。 (No.2に続く)  アドレス: https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/8e0026fdb24003b43adf4003f75e946b?fm=entry_awc