鳳凰三山、日向山とその山麓 (1)
南アルプスの北部に位置する鳳凰山は薬師岳、観音岳、地蔵岳の三山により構成される日本百名山の一つ
である。これらの山頂からは北岳、間ノ岳、甲斐駒ケ岳等の南アルプスの巨大な山塊が眼前に横たわる様を
見ることができる他、東側には富士山からのご来光を眺めることができる。
日向山(1660m)は甲斐駒ケ岳、地蔵岳の東側に隣接する。この山ではオオビランジの花を見ることができ
る。(平成24年9月に登山)
私は鳳凰三山には相方と共に3回チャレンジした。最初は平成15年11月に御座石鉱泉から登り、地蔵岳、
観音岳を経てドンドコ沢を下り青木鉱泉に下山した。2回めは平成24年8月に夜叉神峠から入山したが雨が
強くなり写真をうまく取れなくなったため、薬師岳まででUターンした。しかし、目当てのタカネビランジは
十分撮影できた。3回めは平成25年9月に再び夜叉神峠から入山し、薬師岳、観音岳、地蔵岳、高峰を縦走
し白鳳峠から広河原へ下山した。この3回目の山行では、快晴の中、南アルプスの山々の迫力ある姿を間近に
見ながら、また北アルプス、中央アルプスを遠望する素晴らしい山行を行うことができた。
ここでは、タカネビランジ、オオビランジの花を中心に観察した花々と鳳凰三山から見る南アルプス北部の
山々を掲載する。
日向山とオオビランジ
<参考>伊藤圭介翁
オオビランジは名古屋出身の植物学者による命名であり、名古屋の東山植物園には圭介翁の展示室が設け
られている。略歴は以下のとおりである。
伊藤圭介(享和3年(1803年)~明治34年(1901年))は、名古屋(呉服町)に生まれ、幕末から
明治期に活躍した。名古屋で医者(父:西山玄道)の家に生まれ、医者になったが、長崎にて「シーボルト」から
本草学を学んだ。「シーボルト」から「ツンベルク」の「日本植物誌」をもらい、これを翻訳して1829年
(文政12年)、「泰西本草名疏」を刊行した。東京に移り明治政府に仕え、晩年、東京大学教授に任ぜられて
日本初の理学博士の学位を受ける。その功績により、伊藤の名を付けられた植物には「タカネビランジ」、
「オオビランジ」の他に、アシタバ、イワチドリ、イワナンテン、ユキワリイチゲ、スズラン、ヒカゲツツジ、
マルバスミレ、シモバシラ、等がある。牧野富太郎と並ぶ偉大な日本の植物学者である。
以下、個別の写真を一覧で表示します。写真をクリックすると拡大して見ることができます。
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9月15日、16日と南アルプスの千枚岳(2880m)に登ってきました。実は、友人と連れ立って、千枚岳から悪沢岳(荒川岳東岳)、赤石岳と稜線を縦走し17日に赤石小屋から下山する予定でしたが、都合により、私だけ千枚岳登山後、椹島に下山しました。ゆっくり下山したので、途中の高山植物や道端の草花を沢山写真に収めることができました。
千枚岳頂上からの悪沢岳 富士山/遠望
赤石岳(左)と悪沢岳(中央) 聖岳方面
草花達
フジアザミ ミヤマアズマギク?
ミネウスユキソウ? ヤマハハコ ミネウスユキソウ
コバノコゴメグサ キタダケトリカブト
ウメバチソウ? イブキボウフウ? イワインチン?
ハクサンフウロ (調査中) ナナカマド
コガネギク? セリバシオガマ 同左
6月29日、30日と南アルプス・北岳(日本で2番め、3193m)へ、キタダケソウ、
ミヤマハナシノブ、キバナシャクナゲ等の高山植物の観察に出かけてきました。ルートは
芦安村駐車場に車を止め、広河原まで朝一番のバスででかけ、御池小屋、北の肩の小屋
(29日宿泊)まで、翌日は北岳山頂、キタダケソウの群落場所(北岳山荘へのトラバース道)
へでかけ、写真撮影の後、肩の小屋まで戻り、下山は小屋から二俣経由で大樺沢を下りました。
登山に疲れ、年齢を感じましたが、満足の花旅をすることができました。
キタダケソウ
キタダケソウ ハクサンイチゲ ミヤマハナシノブ
キタダケソウ キバナシャクナゲと仙丈岳 大樺沢からの観音岳
日の出/鳳凰三山から登る太陽 北の肩の小屋から北岳を仰ぐ
キタダケキンポウゲ? ホソバツメクサ?
イワベンケイ キンロバイ?
オヤマノエンドウ
イチリンソウ ミヤマカラマツ?
サンカヨウ ハクサンチドリ モミジカラマツ
タカネスミレ? キバナノコマノツメ ハクサンイチゲ
桂の木の花
キタダケソウ
以上