名峰登山と草花

春から秋にかけて、登山と草花探索等を掲載。植物観察、世界歴史遺産巡り、庭園観賞、素人農業にもチャレンジ中。

読書「天路の旅人」の西川一三さんを思う。 - 2024.7 -

2024-07-07 10:44:37 | 海外・旅行記

  長編だったが、読むうちに引き込まれ、感銘を受けた。著者、沢木耕太郎
さんの本は初めて読むが、西川さんの人となりをよく理解され、西川さんに
なりきって編集されており、この著者にも感銘を受けた。
 原本は「秘境西域八年の潜航」という西川一三(かずみ)/本人の書かれた
本だが、これを理解され、沢木さんの手によって、再編集されたものだ。
歴史や地理好き且つ西域に興味のある自分にとっては、描かれた現場の数々が、
自身がその場の当事者のように錯覚するほど、身近に感じられた。
 中国、内蒙古の張家口から、日本陸軍の密偵として、青海省、チベット、
インド、ネパールへとラマ僧の修行、語学の勉強をしながら進まれたが、
食べるため生きるためにどん底の生活を送りながら、また生死の境をくぐり
ながらの密偵稼業(行動)には、ハラハラ、ドキドキしながら、ページを
めくった。また、西川さんの飾らない、実直な、人助けの人柄にも感銘を受けた。
作者、沢木さんも西川さんの人柄をよく理解され、その心意気を上手に表現
されている。楽しく、読ませていただいた。

 あとがきの最後に、沢木さんは自身で、西川さんの足跡をたどってみたい。
コロナ禍で、入国が困難になっているが、可能になったら出かけたい。そして
それができたら、この「天路の旅人」は完結すると書かれている。素晴らしい。
 私も行きたいくらいだが、年齢的にもう無理なのが残念だ。


スイス紀行(続き) ― 大自然を眺める ―

2024-01-13 22:58:56 | 海外・旅行記

 ユングフラウ・ヨッホにて山の自然、風景を満喫し、再び電車に乗って下山の途に
着いた。車窓でもスイスアルプスのオーラを享受できた。登山の後は、車窓で長閑な
農園や自然の風景を眺めながらスイス北部を縦貫して西側のレマン湖のほとり、ロー
ザンヌに到達した。ローザンヌからは新幹線(有名なTGV )に乗ってパリに向かった。
印象に残る旅となった。

 この記事は、海外旅行記として追加投稿することとした。先に、米国(19番目)を
最後に、国別記事を終了しているので、20番目ということにしておこうと思う。

 

<参考> 国別・旅行記事を紹介します。アドレスをクリックすると見られます。

1.スイス紀行(前編) https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/477bcc7b3b87800c7b348fdfbbb21d3c

2.米国記事 (国別記事/最終)https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/502a23a9799b51cdf8f233fdb86b3017

3.国別記事・最初の記事 https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/ba951ffb764099f0f97f424c81779ab0

 


スイス紀行 ー 大自然を眺める ー  /2011.4

2024-01-10 21:35:40 | 海外・旅行記

 海外の歴史遺産を巡る旅と題して、いろいろな国の歴史遺産や自然の風景、また
植物写真を撮て、記事として掲載した。国別記事を20ヶ国書いて、米国で終わりと
したが、一つ書き忘れていることに気づいたので、追記することにしたい。

 特別にスイスを目指して出かけた旅ではなかったが、山岳都市(インターラーケン)に
宿泊して、登山基地(グリンデルバルト)から山岳鉄道に乗り、車窓でアイガー北壁を
眺めながら進み、途中、クライネシャイデックから山岳軌道鉄道に乗り換えて、世界で
一番高い鉄道駅・ユングフラウヨッホ(3454m)に降り立った。ユングフラウ山、メンヒ
山等の4000m級のスイスの山々を眺めることができた。百名山登山を達成する1年前の
ことで、良い刺激になった。

  ここで一旦区切り,山頂(ユングフラウ・ヨッホ)以降は、続きとして投稿します。

 なお、タイトルを「スイス旅」から、「スイス紀行」に変更します。

 スイス紀行 (続き)は、次のアドレスをクリックすると見られます。

https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/03985ae40df324133c4c8596070fed32

 

 

 

 

 


タイ国最高峰とアンカトレイルを巡る  - チェンマイ散策_2 -

2020-01-19 16:27:10 | 海外・旅行記

 9日は、チェンマイから約100Km  西南西に位置するドイインタノン山を巡り、その周辺を 散策、そして観光した。周辺はドイ・インタノン国立公園として保護、管理されている。  交通の便が悪いため、予め個人ツアーを頼んであり、チェンマイのホテルからワゴン車で 7:00に出発した。10時前には現地に着いたが、植物観察を一番目的として、予定コースを 変更し、最初にインタノン山、アンカトレイルをゆっくり巡ることとした。  タイ国最高峰のインタノン山(2565m)はどのくらい登るのだろうかと心配したが、それは アンカトレイルの散策路の中にあり、なだらかな稜線の起伏の中にあった。そうです。アンカ トレイルを進むと直ぐに目の前に現れて、拍子抜けしてしまった。この山塊はヒマラヤ山脈の 一番南の端に当たるそうで、ヒマラヤで見ることができる植物が沢山あるようです。

 森はジャングルで湿気が多いため、雲霧林とよばれる森となっており、大木には蔦や苔や シダや宿り木(ランなど)がまとわりつき、鬱蒼とした森になっていた。ただし、当日はよく晴れて おり、湿気に見舞われることはなかった。巨木には「タロー」の木があり、森を覆っていた。 シャクナゲも白と赤のシャクナゲが咲いていたが、10mから15mはあろうかという大きな木で、 日本では見たことがない。  途中の休憩所では、温度計が16度(11時頃)を表示していた。散策路には湿地もあり、ピン川 の源流になっているようだ。ピン川はナコーンサワンで合流しチャオプラヤー川となって、アユタヤ そしてバンコクを通って、南シナ海に流れ込んでいる。

 次いで、王様と女王様のパゴダへ出かけた。王様関連の施設にはどこも花壇が整備され、 明るい良い環境となっている。美しい二つのパゴダとお花畑などを見学した。このパゴダは 前国王(ラーマ9世)と前王妃(シリキット妃)が60歳を迎えた時に記念として建てられたそうだ。 この王様とお后様は国のために貢献されて、国民の信頼が厚かったようだ。チェンマイの植物 園は「シリキット王妃植物園」と言い、シリキット王妃の名前がつけられている。

 駐車場でツアー会社が用意してくれたお弁当をいただき、その後、少数民族モン族の市場へ 立ち寄り、木の実などの土産を買った。ガイドが桑の実を買ってくれたので、60年ぶりに食べて みたが、意外に美味しかった。そこから少し下がって、王様のプロジェクト施設を見学した。タイ国の王様は少数民族の支援に熱心なようで、王様がお金を出して少数民族のために農産物研究や 施設整備の支援をしており、このプロジェクトでは花や野菜のハウス栽培を進めているそうだ。

 最後に、「ワシラの滝」を見学した。現地語では「ワチラターン」と言うようだが、ターンは急流とか 滝の意味だそうで、ワチラはワシラと聞こえる。というわけで、「ワシラの滝」が覚えやすい。ガイドに これから日本人には、「これはワシラの滝といって、あなた方の滝です。」と説明するようにと言った ところ大いに受けた。

 15時半頃に観光を終え、帰途についた。チェンマイに近づくと一面の畑が果樹で覆われていた。 ガイドに聞くと「龍眼」という果樹で、最近は中国への輸出が増え、タイの外貨獲得に一役買って いるそうだ。ホテルには17時半頃に到着し、長い一日観光を無事終了した。

 親切な現地ツアー会社、そして勉強熱心なガイドさんに巡り会えて、楽しく、勉強になる旅が できて良かった。

 

 

 

 

 

 

 


チェンマイ散策の旅 -2020 タイ国-

2020-01-07 08:19:15 | 海外・旅行記

「タイ・チェンマイへやってきました」を再編集し、表記のとおり、改題します。現地ではPCが ないため写真の整理がうまくできず、帰国後、写真を再整理しました。

  2020年、正月明けの旅行値段が安くなった1月6日~11日まで、チェンマイへ旅行した。 出かけたのは相棒の希望で、植物観察が主目的だ。おまけで、歴史検分、寺院巡りをした。 宿泊先はシャングリラホテルで、快適なホテルライフを楽しめた。

  チェンマイには6日の夜に到着し、当日はホテルに着くだけで、何もできなかった。  7日から観光と植物観察に出かけた。午前中にプーピン離宮とドイステープ寺院の半日観光 (現地ツアー)に申し込んでおり、最初にプーピン離宮へ出かけた。ここは現王様の夏の離宮で、 花がきれいだった。ドイ・ステープ山の奥に位置し、道中、ヒマラヤザクラが見頃で花見客も結構 多かった。次いで、ドイ・ステープ寺院に向かった。このお寺はチェンマイでも一番人気な寺院の ようで、歴史ある大きなお寺だ。かつチェンマイ市を一望できる山の上にあることが理由のようだ。 街を一望できるという謳い文句に期待していたが、町は少し霞んでいた上、遠くて期待した眺望 ではなかった。寺院は金ぴかで、パゴダの先端の輪っかは純金でできており、偉いお坊さんが 祀られているようだった。

 昼にはホテルに戻り、午後2時過ぎににてアフタヌーン・ティーを楽しんだ。鳥かごのような棚に 入ったケーキはボリューム満点でお腹が一杯になった。  その後、町中にショッピングに出かけた。ナイトバザール付近の道路端は簡易テントがゴチャ ゴチャと建ち並び、土産物や食料品が所狭しと売られていた。通るのがやっとの歩道で、スリに やられないように気を配りながら早足で通り抜けた。有名なタイシルク店に出かけ土産を求めた。  ホテルに戻った後、中庭にあるスパ・ハウスに出かけ、タイ式全身マッサージを受けた。始めての 経験であり、「ミディアム」で依頼したがなかなかきつく感じた。終わってみれば、快適で感激した。

 8日は、現地個人ツアーを使って、午前中にシリキット王妃植物園に出かけ、午後は旧市街の 周辺にある寺院巡りを行った。シリキット王妃植物園は入場料が100ThB(約400円)だが、60歳 以上は無料でラッキーだ。チャーター車は最初にキャノピーヲーク(樹上観察路)の駐車場に止まり、 私達は樹上観察路からジャングルや樹木、宿り木、等を観察した。ついで、温室群(12の温室)の ある主施設に戻り、熱帯植物やラン等を観察した。タイの植物は固有種が非常に多く覚えきれない。 勿論、現在では外来種も沢山ある。最後に自然科学博物館へ出かけて、タイの自然の成り立ち等を 見学した。王立にふさわしい素晴らしい植物園だった。(園内は東京ドーム120個分もある広い敷地 であり、車がないととても歩いて回れない。良いツアー、良いガイドに巡り会えて良かった)

 

 

 

 ここで、この原稿は終了します。続きは「チェンマイ散策_2」で上梓します。

     

 

 

 


ギリシャ・アテネの旅

2019-06-15 12:34:54 | 海外・旅行記

  「ギリシャ・アテネに到着」を改題し、「ギリシャ・アテネの旅」とします。

 6月4日、中部国際空港を立って、アブダビ経由アテネにやってきた。長い飛行機旅と言葉の 壁のせいで疲れたが、6月5日、午後に無事にホテルまで到着した。

 ホテルひと休みした後、近辺散策に出かけ、ゼウス神殿、ハドリヌス門、下町の食べもの屋街 を歩いてみた。夕刻ではあったが、古代遺跡をじっくり見ることができた。ついで、ホテルに戻る 方向に食べもの屋(レストラン)街を通ったが、現地語でタベルナ街というようで、笑えてしまう。 どの店も入口付近にローマ字でTAVERNAと書かれている。通りやお店はお客で一杯でした。 私達もガイドブックにある店に立ち寄り、本に照会されていたタコ料理と地元のビールで乾杯し 旅の成功を期待した。 夕刻には再び、ホテルを出て、コロナキ地区を周り、土産物店やスーパーマーケットを探した。

 6月6日は現地の半日観光バスに乗ってアクアポリスと周辺を観光して、アテネの街や人々の 様子を観察し、また、いろいろな情報を仕入れて、この旅を計画通り進めて良いか再考した。 半日観光ではアクシデントがあり、私達はツアーから脱落して、日本人ガイドと共にアクロポリス 博物館のみ見学し、半日観光を終了しました。博物館付属のレストランで、ギリシャ料理を食べ、 午後からは個人旅でパルテノン神殿へと急な坂道を上り、見学した。日差しが強く、観光客も 少なくなり、写真撮影にはもってこいでしたが、15時頃からは再び、急に混みだした。

 次いで、出口からアクロポリスの裏側の道を回り込んで、古代アゴラへと歩いた。20分程で、 古代アゴラ・入口に到着した。途中ではローマンアゴラやハドリアヌス図書館等の史跡もあり、 観光バスでは行けない史跡も見ることができた。16時頃には古代アゴラに入場でき、アタロスの 柱廊(博物館)を見学し、そのあと古代遺跡・跡を散策し、植物観察をしながら歩いていると、 神殿が現れた。これは有名なテセウス神殿で紀元前450年頃の建物で、ギリシャでは尤も 原型を残している神殿だそうだ。  夕刻、古代アゴラを出て、ホテルのあるシンタグマ(中心地)まで地下鉄で1駅だが、歩いても 20分位だろうと想定し、賑わう土産物通り(パンドロスウ通り)を歩き、途中の店で土産物を探し たり、ジェラートを食べたり、楽しみながら歩いている内にシンタグマに着いてしまった。

 6月7日は、デルフィ遺跡(当時世界の中心といわれていた)への1日ツアーに参加した。ツアー は混乗で英語での説明だが、日本語ガイド付きを申し込んでいたので、特別に日本人ガイドが 私達に付いてくれた。この方は、ご主人がアメリカ人で、いろいろなことを親切に教えてくれた。 デルフィは紀元前8世紀頃に尤も栄えた場所で、アポロ神殿を中心とした祈祷に世界(地中海 沿岸)中から貢ぎ物を受け、政治経済の中心であったようだ。大きな山を背景とした街の最上部 には戦車競技場があり、その下には劇場などの娯楽施設がある。その下のメインの施設には 神殿や祈祷所があり、各国からの貢ぎ物を納めた宝物館も多数あったが、宝物はその後に世界 を制覇したローマの王様に略奪されてしまったようだ。  見学の後、近くのレストランで昼食を取った。私達のテーブルに1人旅の若き美人が同席となり、 私はほほを緩めて、デタラメ英語でいろいろ喋ってみた。リトアニア人という彼女は、私達の つまらない話題に笑いながら付き合ってくれた。感謝!感謝!  19時頃、アテネのホテルに戻った。

  夕刻の長いアテネ(21時22時閉店の店が多い)の街に、夕食と土産を求めて出かけた。 アテネの高級住宅街を控えたコロナキ地区には品の良い洒落た店も多く、希望の土産物を買う ことができた。夕食は洒落た土産物店のレストランで軽食(ビーフステーキとサラダ)を注文し、 楽しかった一日を振り返り、ビールで乾杯した。

 6月8日は、もう帰国の日だが、10時半頃まで時間があるので、2時間ほどの散策に出かけた。 ホテルを出て、目の前にある無名戦士の墓で行われている衛兵の交代の儀式を見学し、次いで コロナキ地区に向かう道路沿いの大使館通りを東に進んだ。来る時に見た「ジャガランダ」の 通りを探したが、見つからないので諦め、国立庭園の中に入った。入口付近にも「巨大な ジャガランダの並木道」があるので、探しながら庭園を歩いた。ザピオン国際展示場の建物の 横を通るとジャガランダの街路にでた。初日にも見ているが、よく見ると本当に巨大で立派な ジャガランダだ。この後、一旦、ゼウス神殿前を通り、シンタグマ公園前にて、空港行きバス 乗車券を求めた後、ホテルに戻った。

いよいよ、帰国への旅だ。シンタグマから空港へのリムジンバスへは予定より30分早く乗ること ができた。空港へは30分早くつき、ボーディングまで2.5時間もあるので余裕綽々と思いきや、 出国審査は長蛇の列で、全く余裕がなくなってしまった。早く来て良かったと胸をなで下ろした。

アブダビ乗換のエティハド航空は、飛行機やサービスのレベルが高いと評価を受けているので、 なじみのない航空会社だが、乗ってみた。中部空港からギリシャに行くルートは、フィンエアー 、ルフトハンザ、エティハドの3社しかなく、旅行社がツアーとして出しているのは、アブダビ乗換 のエティハド航空しか無かったのです。(羽田、関空、等は多数あり) ところで、アブダビ乗換は来るときにも通ったので、要領は大体想像できたが、乗り換え時間が 1時間なので急がないとと思っていた。ところが、飛行機は15分ほど遅れて到着し、焦った。 走って税関前につくと、案内人が名古屋へ行く人はいるかと看板を持って聞いている。名古屋 名古屋、というと後に付いてこいといわれ、これまた長蛇の列を素通りして、直接、出国審査、 ボディーチェックに連れて行かれた。そして、次の通路を左に曲がり、35番ゲートへ走れと 言われた。搭乗口では添乗員が「名古屋、名古屋」と喚いていた。ボーディングタイムを1分 過ぎていた。飛行機はほぼ満席で、私達の他、数人が乗り込むと直ぐに動き出した。再び、長 時間の飛行機旅となるが、これで名古屋まで戻れるかと思うと、まずまず安心だと思った。

 エティハド航空は食事の味も比較的日本人にもあい、ありがたかった。飛行機は最新鋭の ボーイング787で快適だった。ところがどっこい、中部空港で手荷物を待っていると名前を呼ば れた。聞いてみるとアブダビ空港ででトランジット時間が短く、スーツケースが間に合わなかった のだそうだ。人間は走って間に合ったのだが・・・。2日後に荷物は自宅に着いたが、暑い暑い アブダビに1日間放置されたため、土産のチョコレートやピールはグチャグチャとなり、最悪だ。 参った、参った。

  本当に色々なことに遭遇した。いろいろな国に出かけたが、こんなに色々な目に遭ったのは 初めてだ。でも、楽しいこと、勉強になったことも多く、楽しい旅だったと思うことができる。 このページは旅行記としてまとめたが、歴史遺産と植物観察については、別に記事を書いて みたい。     

  以上で、旅行記を終ります。

<参考1> キリシャの庭園は・・・  登録:2019.07.19
https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/00b30c2251931ae7cf9164c8051e4a45

<参考2> 古代遺跡を探る

https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/433d0a6083ba8a3bf4167f4ef7181d6f

<参考3> ギリシャの植物を撮るhttps://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/1e9384c244738188d1cf841a3f4148c4

 

 


スペインを駆け巡る_6  -マドリード、他-

2019-02-04 05:14:20 | 海外・旅行記

 トレドからマドリードに戻り、マドリード市内を順次巡った。最初にマヨール広場に
入り、昼食を取った。次いでプラド美術館に入場したが、少々疲れ気味で休息になった。
次いで、スペイン広場に向かい、ドンキホーテの像を見物した。最後にスペイン王宮を
外から見学し、また王宮前の庭園を見物した。
 この間、マドリード市街を車窓から見物した。シベール広場や凱旋門、また街の中心
部を見物でき、マドリードの雰囲気を味わった。
 この日はスペインの最後の宿泊となり、30Km程離れたエナーレス(市か町か)の
パラドールに宿泊するため、現地へ向かった。パラドールは国営のホテルで、日本でいう
高級国民宿舎といったところだ。この時点で94ホテルが開業しているとのことだ。
エナーレスのパラドールは中世の修道院を改装・改築した物で、中庭に片鱗が残っていた。
宿舎に入った後、エナーレスの街を個人的に散策したが、街はお祭りのようなイベントが
あり、賑わっていた。街の真ん中にある公園&広場は素晴らしく、人々が寛ぐ姿が、品良く、
ハイソな人々に見えた。
 パラドールでは、最後の宿泊とあって、旅行社も気張ってディナーを提供してくれた。
ビールで乾杯し、旅の成功に感謝した。

以上で、スペイン旅を終了します。


スペインを駆け巡る_6  -古都、トレド-

2019-02-01 22:17:36 | 海外・旅行記

 少し、間が空いてしまったが、続きとしてスペイン旅の続きを投稿する。
 6日目は、まずマドリードから古都トレドへ向かった。タホ川の対岸から
トレドの旧市街を眺めたが、昔の面影を色濃く残しているように見えた。
 トレドは六世紀頃の西ゴート王国(キリスト教国)の首都として栄え、
その後、コルドバを首都とした後ウマイヤ朝(イスラム教国)に組み込まれ、
後ウマイヤ朝が崩壊すると、トレド王国の首都となった。11世紀末(1085年)
には、キリスト教国に戻ったが、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の文化が
入り交じり、これらが融合した建築物、文化が残って今に至っている。
 スペイン・キリスト教(カソリック)の本山はトレドにあり、宗教の中心地と
して大司祭が君臨した。大聖堂(カテドラル)はスペインで最大の規模であり、
内部の装飾も目を見張る素晴らしさであった。

以上で、トレドを終わります。


タイ・バンコクとアユタヤの旅

2019-01-14 11:43:16 | 海外・旅行記

  タイのバンコク、アユタヤへ旅行してきました。正月明けのツアー代金の安くなる
時期(1/8~1/12)に、ホテルと飛行機がセットになったツアー(LOOK・JTBの
早期割引付)に申込み、タイ・ツアーを楽しんで来ました。
 幾つか投稿したいので、ここではザッと行程と風景などの概要を報告します。
 1日目は日本(中部空港)を出て、タイ・バンコクのホテルへ
 2日目はJTBが企画した市内観光(タイ王宮など)を活用して、観光と情報取得
 3日目はアユタヤ&バーンパインへ鉄道を使って、古代都市、等を観光をした
 4日目は市内散策とショッピング、そしてホテルライフを楽しみ、夜、帰国の途へ
この記事は一般的な内容です。興味のある方のみご覧下さい。

以下、個別写真を掲載します。

    

    

    

    

     

    

    

                                     

                                   

     

以上です。

 なお、時間が取れたときに、
①アユタヤの歴史遺産、バンコクの王宮、
②バンコク、アユタヤで見た植物、
③バンパイン離宮の庭園、等
を整理して登録したいと考えています。


スペインを駆け巡る_5 (コルドバ)

2018-12-22 13:36:39 | 海外・旅行記

 コルドバに着くとメスキータのかなり手前でバスを降り、大河(グワダルキビル川)
に係る橋を渡ってメスキータへ入場した。メスキータとはスペイン語ではモスクの意味だ
そうでアラビア語に由来するとのことだ。大理石と赤煉瓦を組み合わせた馬蹄(ばてい)型
のアーチを1000本の円柱が支えている。10世紀にウマイヤ朝のモスクとして完成した。
レコンキスタの後、メスキータは改装されカソリック教の「聖マリア大聖堂」となった。
内部はイスラム教とキリスト教の文化が融合した、独特の空間となっていた。

 メスキータを見学した後、ユダヤ人街で休憩とショッピングを楽しんだ。その後、バスで
コルドバ駅に向かい、スペイン版・新幹線(AVE)に乗車し、マドリードへ向かった。

以上で、コルドバを終わります。