嫉妬がどうこう言ったって、人間なんだから、しょうがないでしょ。健全な嫉妬ってのも、あるんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、書籍『ハウ・アバウト・ユー?』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
嫉妬を感じている状態は、「幸福ではない状態」です。
今、幸福な人は、あまり他人に嫉妬をしないものです。
あなたの幸福の程度が上がれば上がるほど、人に対して嫉妬をしなくなります。
ところが、あなたの不幸感覚が強ければ強いほど、人に対する嫉妬心が強くなります。 そのような関係があるわけです。
このように、成功していくと、嫉妬心は薄くなってきます。
反対に、失敗が多かったり、えぐれている部分があったりすると、嫉妬深くなるのです。
もし、自分の嫉妬深さを正当化したら、どうなるでしょうか。
それは、かつて一世を風靡した「マルクス主義」のようになります。
マルクス主義の人たちは、成功した人をうらやむ気持ちが強く、「経営者などのお金持ちは、貧乏人からお金を巻き上げ、自分は楽をしているのだ」というようなことを言っていました。
そのような言い方をして、自分たちの嫉妬心を正当化するわけです。
しかし、貧しさのほうを肯定したら、結局、上にいる人をみな引きずり下ろして、全員が貧しくなるしかなくなります。
共産主義国では、ほとんど、そのようになりました。みなが貧しくなり、その結果、「誰も成功しない世界」ができてきたのです。
やはり、嫉妬心を肯定するわけにはいきません。
もし認められるとしたら、それは「健全な競争心」でしょう。
「あの人は頑張っているから、私も頑張るぞ」といった健全な競争心ならば、あってもよいと思います。
ただ、その競争心が嫉妬心のレベルまで行き、それを肯定するようになると、「人生に成功した」とは言えなくなるのです。
(166~169ページ)
嫉妬を感じている状態は、幸福ではないことを意味している。幸福な人は、あまり他人に嫉妬をしないものである。
もし自分の嫉妬深さを正当化したら、かつて一世を風靡した「マルクス主義」のように、成功した人をうらやみ、貧しさのほうを肯定することで、結局、全員が貧しくなり、誰も成功しない世界ができることとなる。
「健全な競争心」は認められるが、競争心が嫉妬心のレベルまで行き、それを肯定するようになると、人生に成功したとは言えなくなる──。
うーん、なるほど、なるほど。
今日は、嫉妬心の怖さについて、かなり納得できた気がします。
お教えいただいたとおりに、健全な競争心で人生に成功し、ほんとうの幸福をつかみたいものだと心から私は思っているのです。
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『ハウ・アバウト・ユー?』
大川隆法著
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