日本史を勉強すると、戦国時代は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人がリレーするかたちで歴史をつくってるよね。これって、神さまの計画だったのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『織田信長の霊言』―戦国の覇者が示す国家ビジョン(幸福の科学出版)で、その織田信長の霊の言葉(「霊言」)を、月刊「ザ・リバティ」の綾織編集長(当時)によるインタビューの形式で、次のように紹介しておられます。
織田信長 (中略)わしが天下統一したあとは、どうなったか。これは、「秀吉や家康と、どう違ったか」という問題だろうとは思うけれども、やっぱり、アジア圏までは手を伸ばしただろうね。基本的には、アジア圏まで手は伸ばしたと思うなあ。
秀吉のように明を攻めたか、交易したかは、ちょっと分からんけれども、東南アジア、その他にまで勢力圏を広げたのは、ほぼ間違いないし、たぶんヨーロッパとも通商はしたと思うな。
いわゆる鎖国状態で、長崎の出島だけで貿易するみたいなことはなかったと思う。これはやったと思う。
そうすると、キリスト教文明との交流は起きたと思うので、そういう意味での近代化はかなり進んだと思うね。たぶん、明治維新が二百五十年ぐらい早く起きてるわ。うん。(中略)
綾織 今でこそ、「戦国時代は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人がリレーするようなかたちで、歴史をつくった」と言われていますが。
織田信長 うーん……。これは、だんだん落ちていってるんだよ(会場笑)。上がっていってるんじゃない。落ちていってるんだ。
綾織 (笑)そうですか。
織田信長 うんうん。
綾織 これは、予定されていたものですか。それとも……。
織田信長 全然関係ないんだよ。
綾織 あ、違うんですか。
織田信長 もう、関係ないの。本当ねえ、将棋みたいなもんだよ。指してるうちに、取ったり取られたりする。戦国時代はそんなものなんで、別に、「予定されてる」というほどのものではない。
神様のことは、私は、よう知らんけど、あれは“ゲーム”が好きなんじゃないかな。
つまり、いろんな駒をパッと撒いて、戦わせて、「強い者が残れ」みたいな感じと違うかなあ。
だから、候補者はほかにもいたと思うよ。だけど、実際にやってみたらどうなるかは、やっぱり、分からんもんな。
武田が天下を取る可能性もあったし、上杉が取ることも、毛利が取ることも、今川が取ることだって、確率的にはあったわなあ。
今川は、京都に近かったしね。うちが負けてれば、今川が京都に上ったのは間違いない。お公家文化だから、けっこう京都と足利政権の立て直しをして、今川が幕府を開いた可能性はあるな。そういう可能性だって、ないわけではない。
でも、また倒された可能性もある。今川が上がったら、武田が「許さん!」となって、そういうことが起きた可能性はあると思うなあ。
だから、そんなに確定したものではなかったと思う。
(106、109~112ページ)
信長が天下統一していれば、アジア圏まで手を伸ばし、ヨーロッパと通商して鎖国はしなかったから、キリスト教文明との交流が起きて、明治維新が二百五十年ぐらい早く起きた。
信長、秀吉、家康がリレーするかたちになったのは、予定されていたのではなく、将棋のように、いろんな駒をパッと撒いて戦わせて、「強い者が残れ」みたいな感じだったのではないか。
実際にやってみたらどうなるかは分からないから、武田、上杉、毛利、今川など、天下統一する候補者は、ほかにもいたと思う――。
まさに当事者として最重要人物の一人、織田信長の意見です。
日本史を勉強すればするほど、含蓄深い、とっても参考になる体験談ではないかと私は思っているのです。
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『織田信長の霊言』
大川隆法著
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