ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



国ごとに違う霊系団が、人々を指導してるっていうんでしょ。どの神様が一番か、すぐに分からないものなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『奇跡の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 宗教界にもいちおう覇権競争があり、「どの教えが多くの人に支持されるか。どの教えが多くの人を幸福にするか」ということについて、それぞれの神々には、「自分たちが最高だ」とうぬぼれているところがあります。そして、実際にどうなのかということは、実験してみないと分からないのです。
 しかも、その実験は、何百年も行わないと、なかなか結果が出ません。何百年もやってみて、その宗教を信じる人たちが、どのような運命をたどるかを見れば、だいたい分かってくるのですが、一世代ぐらいでは、なかなか分からないのです。
 たとえば、ユダヤの神は、「われこそは最高神だ」と言って、ユダヤ人に契約を結ばせましたが、ここ二千年間のユダヤ人の放浪の歴史を見れば、ユダヤの神がいちばん偉い神でないことは明らかです。いちばん偉い神がついている民族が、国を持てずに二千年も放浪するわけはないのです。
 ユダヤの神は間違いなく民族神であり、ナンバーワンの神ではありません。ほかに、もっと偉い神や強い神、メジャーな神がいたことは明らかです。それは歴史を見れば分かります。
 ある国を治めている神の意識と、その国民、民族のトータルの能力や意識とは非常に関係しており、国民のレベルが上がると神の格も上がるのですが、国が目茶苦茶になると神の格も下がるのです。
 最悪なのは、治めていた国が戦争等によって滅びた場合です。そのときには、その霊団そのものがなくなってしまうことがあります。国がないと、治めることも地上に生まれることもできません。そのため、そこで霊団をつくっていた神々は、しばらくすると、ほかの国に生まれはじめます。また新たな転生輪廻をして、違う道を選ばなければならないのです。
 こういうことは、過去、何度もありました。国が滅びると、そこを治めていた神々は、ほかの所に肉体を持って転生し、別のことを始めます。そして、別の霊系団ができてくるのです。
 かつては交通の便が悪かったので、一つの国、一つの民族のなかでの転生輪廻が数多く行われました。そのため、宗教と民族とがかかわって、その国の霊界、一つの霊界が非常にできやすく、オリンポスの山のような霊界が各地にいろいろあったのです。
 しかし、最近は交通の便がよく、国際的な行き来も多いため、この世だけでなく、あの世でも相互交流が始まっていて、「神々の世界で、どういう新たな価値秩序をつくるべきか」という大きな運動が起きています。
(104~107ページ)

同じ「神さま」という言葉で呼ばれてはいても、レベルの異なったさまざまな性格の神さまの集団(霊系団)が、霊界には存在している。

この神さまの世界にも覇権競争があって、どの霊系団の神さまの教えが優れているかを競っている。

昔は、それぞれの国の民族神(霊系団)が、いわば「お山の大将」のようにしていることができたけれど、この世が国際社会になってきたのに連動して、霊界でも相互交流が始まっている──。

そんな中、主エル・カンターレに導かれて新しく登場した幸福の科学は、あの世の世界で、新しい霊界秩序を作ろうとしている。

そして、霊界と連動しているこの世の世界においても、それだけのもの、つまりは新たな世界宗教を作ろうとしている。

そんな壮大な霊界観、宗教観がここでは説かれているのだと私は思っているのです。

 

『奇跡の法』

 大川隆法著

 

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コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


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コメント
 
 
 
偉い?偉くない? (なつき)
2008-05-25 09:42:19
また質問です‥!神様に偉いも偉くないもないんじゃないですか?だって皆さん色んな方がいらっしゃいます。それぞれに信じる物が違っていますよね?あの人は仏教とかあの人はキリスト教とか。だからあの人の信じる神様はわたしの神様より偉くない!なんて考える事自体良くない事なんじゃないですか?
どうしてって?だって、それは相手を否定する事です。
とてもそこからは平安とか愛は生まれてこないと思いますし、相手の方だって良い感情を持たないと思います。。
 
 
 
Re:偉い?偉くない? (ゆーぱ)
2008-05-25 22:49:19
なつきさん、今日、4度めのこんにちは! です。

おっしゃることはよく分かるように思います。でも、ですよ。なぜ大川隆法先生が、それを分かりつつも、こういう形でハッキリと説かれているのか、ですよね。

たとえば、こんなたとえ話はどうでしょう。小学生に対して、きみが学校で学んでいる勉強は絶対のものじゃなくって、小学生向けにやさしくアレンジされてるんだよ。だから、きみの先生が言ってることが絶対じゃなくって、大学で学んでる私たちは、大学の先生が言ってる難しいことの方を信じてるんだよ。どちらも「先生」なんだけど、小学校の先生と大学の先生は、同じじゃないんだって。

もちろん、小学校の先生は、小学生の歳の子に教えるプロなんですから、大学の先生よりも小学生に教えるのは圧倒的に上手ですし、逆に、大学の先生が小学生に教えようとしても、何も分かってもらえないことは起こりますよね。でも、だからといって、小学校の教諭と、大学者の大学教授のどちらが偉いかを言ってはいけないとか、大学教授の方が学術論文数が多くて学問的には偉いということが、専門職としての小学校の先生の価値を否定することにはならないのではないでしょうか。

ただ、小学校の先生の側が、〝どちらも『先生』なんだから平等なんであって、同じ先生だ。むしろ、大学の先生より、こっちの方が偉いんだ〟と主張しているような場合であれば、こんな話は、とても気分が悪くて聞いてられない話だとは思うのですが。

大川隆法先生は、霊界には次元構造というのがあって、神様の世界も、六次元上段階から、七次元、八次元、九次元と大きく階層が分かれている、上の段階に行くほど広い世界に対する視野をもって人類を指導している、という趣旨を説いておられます。これが霊的真実であるわけですから、これを説き明かすことが六次元段階の神様に失礼だというような話にはならない、それが「科学」と称する意味なのだ、というように幸福の科学では考えているように思います。

いずれにしても、このブログでは、大川隆法先生の書籍全体を引用するわけには行きませんので、その一部を紹介して、興味がある方は、ぜひ紹介した書籍全体を実際に読んでほしい、そのきっかけになれば、という趣旨で、日々、このブログを書き継いでいます。なつきさんも、1日に4回も深く質問して下さるんですから、この世界にとても興味をお持ちなんだと思います。ぜひ、大川隆法先生の書籍、読んでみて下さいね!
 
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