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偉い?偉くない? (なつき)
2008-05-25 09:42:19
また質問です‥!神様に偉いも偉くないもないんじゃないですか?だって皆さん色んな方がいらっしゃいます。それぞれに信じる物が違っていますよね?あの人は仏教とかあの人はキリスト教とか。だからあの人の信じる神様はわたしの神様より偉くない!なんて考える事自体良くない事なんじゃないですか?
どうしてって?だって、それは相手を否定する事です。
とてもそこからは平安とか愛は生まれてこないと思いますし、相手の方だって良い感情を持たないと思います。。
 
 
 
Re:偉い?偉くない? (ゆーぱ)
2008-05-25 22:49:19
なつきさん、今日、4度めのこんにちは! です。

おっしゃることはよく分かるように思います。でも、ですよ。なぜ大川隆法先生が、それを分かりつつも、こういう形でハッキリと説かれているのか、ですよね。

たとえば、こんなたとえ話はどうでしょう。小学生に対して、きみが学校で学んでいる勉強は絶対のものじゃなくって、小学生向けにやさしくアレンジされてるんだよ。だから、きみの先生が言ってることが絶対じゃなくって、大学で学んでる私たちは、大学の先生が言ってる難しいことの方を信じてるんだよ。どちらも「先生」なんだけど、小学校の先生と大学の先生は、同じじゃないんだって。

もちろん、小学校の先生は、小学生の歳の子に教えるプロなんですから、大学の先生よりも小学生に教えるのは圧倒的に上手ですし、逆に、大学の先生が小学生に教えようとしても、何も分かってもらえないことは起こりますよね。でも、だからといって、小学校の教諭と、大学者の大学教授のどちらが偉いかを言ってはいけないとか、大学教授の方が学術論文数が多くて学問的には偉いということが、専門職としての小学校の先生の価値を否定することにはならないのではないでしょうか。

ただ、小学校の先生の側が、〝どちらも『先生』なんだから平等なんであって、同じ先生だ。むしろ、大学の先生より、こっちの方が偉いんだ〟と主張しているような場合であれば、こんな話は、とても気分が悪くて聞いてられない話だとは思うのですが。

大川隆法先生は、霊界には次元構造というのがあって、神様の世界も、六次元上段階から、七次元、八次元、九次元と大きく階層が分かれている、上の段階に行くほど広い世界に対する視野をもって人類を指導している、という趣旨を説いておられます。これが霊的真実であるわけですから、これを説き明かすことが六次元段階の神様に失礼だというような話にはならない、それが「科学」と称する意味なのだ、というように幸福の科学では考えているように思います。

いずれにしても、このブログでは、大川隆法先生の書籍全体を引用するわけには行きませんので、その一部を紹介して、興味がある方は、ぜひ紹介した書籍全体を実際に読んでほしい、そのきっかけになれば、という趣旨で、日々、このブログを書き継いでいます。なつきさんも、1日に4回も深く質問して下さるんですから、この世界にとても興味をお持ちなんだと思います。ぜひ、大川隆法先生の書籍、読んでみて下さいね!
 
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