ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



生まれ変わりがあって、前世があるっていうのなら、前世のことを覚えてないのはなんでなの。人間の魂は、永遠の生命をもってるっていうなら、忘れちゃうのはおかしくないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の原点』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 過去、数百年のあいだ地獄で苦しみ、ようやく第一段階の悟りを得て天上界に還り、地上に生まれ変わってきた人も、過去、菩薩として、あるいは如来として生きてきた人も、まったく同じスタートを切らされます。それだけの厳しい修行というものを予定されているのです。
 考えてみれば、これが、万人の魂を発展させていくためには非常によいシステムであることが分かると思います。
 たとえば、「自分は過去世において、ある国の王をしていた」「過去世において偉大な宗教家であった」「過去世において偉大な学者であった」などということを、生まれてきたときに記憶していたとして、それが今世の修行にどれだけ役に立つかという観点から見たならば、おそらく大きなお荷物になるであろう、負担になるであろうと思われるのです。
 自然科学系統の人であるならば、物理学であるとか、電子工学であるとか、いろいろな理科系統の学問を勉強しているでしょうが、そういう人が、自分が過去世において、ニュートンのような、あるいはアルキメデスのような科学者であったということを、生まれつき知っていたり、両親から教えられたりしたならば、その人の人生は非常に窮屈な人生になるであろうと思います。過去世の自分が得たところまで取り戻すだけでも、大変な修行です。
 しかし、それをまったくの白紙にされているということは、考えてみれば、大きな慈悲です。
 私はいま、幸福の科学の総裁として、みなさんの前で法話をしたり、書物を著したりしていますが、こういう道に入るということに、おぼろげながら気がついたのは、生まれてから二十数年の歳月が流れたあとでした。
 これが幸か不幸かを考えてみるならば、やはり幸福であったと思います。そういう使命があることを、生まれたときから知っていたということではなく、普通の人と同じように生きていながら、そのなかで、しだいに自分の魂の芽生えを感じ取っていったということは、非常に大きな幸福であったと思うのです。
 人生には宝探しのようなところがあります。その宝が埋まっていることを、最初から教えられていては、楽しくありません。生きている途中で、旅の途中で、さまざまな隠された宝を探し出すことによって、そこに大いなる発見があり、大いなる喜びがあるわけです。
(37~40ページ)

過去世がまったくの白紙にされるのは、大きな慈悲である。

地獄から出たばかりの人も、菩薩や如来として生きた人も、次の人生でまったく同じスタートを切らされるのは、万人の魂を発展させていくために非常によいシステムである。

人生は宝探しのようなものであり、旅の途中でさまざまな隠された宝を探し出すところに、大いなる発見があり、大いなる喜びがある──。

人生は大いなる宝探しの旅のようなもの。

すべての人が前世の記憶を失って、まったく白紙の状態で今世のスタートを切る。

それは、仏が万人の魂を発展させていくために創られた、「愛のシステム」なのだと私は理解しているのです。
 

『幸福の原点』

 大川隆法著

 

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