高山清洲・世界平和 人類みんな兄弟

世界平和に導く為の語録

人類殲滅作戦に使用されている生物兵器!

2012-05-28 00:06:55 | 巨大地震

人類殲滅作戦に使用されている生物兵器                     

生物兵器(せいぶつへいき)とは、細菌ウイルス、あるいはそれらが作り出す毒素などを使用し、人や動物に対して使われる兵器のこと。国際法ジュネーヴ議定書)で使用が禁止されている。化学兵器と合わせて貧者の核兵器と言われる。主なところでは天然痘ウイルスや炭疽菌ボツリヌス毒素などがある。

治療法があって自分の身を守りつつ敵国にダメージを与えられる細菌やウイルスが適し、治療法が確立していないものは適さない。使用方法は、多種多様であり、砲弾弾道ミサイルの弾頭に装填する方法、航空機などより噴霧する方法などがある。

フィクション作品においては「生体兵器(動物兵器)」と混同されることがあるが、別物である。核兵器などに比べて簡単に入手ができ(失敗したとはいえ、民間のオウム真理教が炭疽菌を培養して散布した)、与える被害が大きいことや以下の特徴からテロリストなどに使われることが危惧されている。

また、医学細菌学の研究、生物兵器に対する防御法の研究という建前でひそかに開発が行われていることがある。

核兵器、生物兵器、化学兵器の3つをあわせてNBC兵器もしくはABC兵器と呼ぶが、この中でも生物兵器はもっとも費用対効果に優れるとされる。核兵器の開発は高度な技術と施設が不可欠であり、化学兵器も兵器として十分な量を製造するためにはそれに伴う規模の施設と原料が必要となる。

しかし生物兵器の中には、ある程度の知識と技術があれば大がかりな設備が無くても製造することができるものも存在する。反面、使用時の外部条件(例えば気象)に左右される部分が多いことや、与える被害を予測しにくく、その場で効果が現れることもないため、ほかの二つに比べると兵器としては使いにくい。                      

生物兵器が化学兵器と大きく違うところは細菌兵器を例にすると感染してもすぐには効果が現れず、人から人への感染を起こすことである。                        感染の方法、感染力は様々であるが、生物兵器の多くは生物から生物へ感染する。化学兵器は風の影響や、付着していた化学兵器の蒸発による二次被害などがあるものの、基本的に被害は散布された周辺のみにとどまる。

しかし生物兵器は、感染者が移動することにより広範囲にわたって影響を及ぼす。特に近年は、丸一日あれば世界のどこにでも行けるほど移動手段が発達しているため、被害は想像以上に大きくなる可能性がある。

 

 

特にテロに使用されやすいとするもう一つの理由は潜伏期間の問題で、感染してから数日たってから発病するため、感染経路の特定が難しく、その間に実行犯は国外などへの逃走が可能となる。

生物兵器の歴史

ウイルスや細菌を攻撃の手段とする考えは紀元前からあり、実際使用されることもあったが、いずれの場合もこれまでの経験から病気になると考え使用したものであり、科学的な手法に基づくものではない。ウイルスや細菌を人工的に培養して攻撃の手段としての使用を考えるようになるのは20世紀に入ってからである。ただし、見方によっては変わる。      

 例えば、中世の包囲戦において包囲下にある城・都市にペストなどの感染症による死者の遺体を投棄し、感染症の発生を狙ったこと、また18世紀北アメリカのフレンチ・インディアン戦争で、英国軍が天然痘患者の使用した毛布をインディアンに配布し、インディアンの患者の半数が死亡した。天然痘は、患者の使用した物品からも感染することがあり、それを狙ったのである。

 

生物兵器への対応                                                             

 生物兵器に対する最も有効な対応は、兵器として使用する可能性のある国家・組織に生物兵器を保有させないことである。そしてもし生物兵器が使用された場合には感染の拡大を防ぐため、患者の隔離と治療を行う必要がある。

保有の禁止 生物兵器は従来より戦争で使用する兵器としての保有は生物兵器禁止条約で禁止されているが、国際的に遵守されていたとは言えない。 

          

また研究目的で個人が保有することは多くの国で可能であったため、近年までテロリズムに対しては十分な対応ができていなかった。1995年地下鉄サリン事件を受け、世界的に生物兵器の保有に関する法体制の整備が進む。特にアメリカは2001年に炭疽菌を使用したテロが発生し、法整備がなされた。

日本では1982年生物兵器禁止法が制定されている。自衛隊は対バイオハザードのための訓練も行ことが、必要。 

                         

隔離・治療 多くのウイルスや細菌は人から人への感染を起こすため、感染者の隔離が必要となる。通常は患者を隔離し、患者と接触した人へのワクチン注射を行えば感染を防ぐことができる。                                   

しかし、兵器として使用された場合には多くの人が感染することになるため、通常の隔離では対応しきれない。その為状況に応じて地区の隔離や、最悪の場合その国への渡航を禁止し国まるごと隔離する必要がある。

                     

 


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血の叫び21 ウラルの核惨事

2012-05-27 21:28:48 | 最新兵器

今回は、核によるもうひとつの事件を取り上げます。

『ウラルの核惨事』と呼ばれる旧ソ連の秘密都市、チェリャビンスクで起きたことです。

問題を起こした施設は「マヤーク(灯台)」と呼ばれる1948年から建設が始まった、原爆用のプルトニウムを生産する再処理施設を含む原子炉5基です。ここで働く人々の為に作られたのが上記の都市です。

 

 

放射能の危険性をまだ知らなかった人々は、放射性廃棄液をそのままテチャ川(オビ川支流)やカラチャイ湖に流していたそうです。流された液体放射性物質は275万キュリーに及んだとのこと。

このテチャ川流域には39の村があり、29万人が住んでいたそうです。(隠された半世紀・ウラルの核惨事より)

この水の流域で人々は牧畜を営み、農業を行い、そして料理をしていたのです。そのため、付近の住民12万4千人が被曝し、白血病、癌、先天性異常により亡くなっていきました。

そこで1950年代半ばには既に付近の住民の健康被害が著しいと判断され、その後は高レベル放射性廃棄物に関しては貯蔵タンクに溜める方法に切り替えられました。しかしながら崩壊熱により高温となるため、冷却しなければなりません。その冷却装置が1957年9月29日に壊れ、大量の放射性物質が大気中に飛散しました。核時代・負の遺産より)。

wikipediaによれば爆発規模はTNT火薬70t相当で、約1,000m上空まで舞い上がった放射性廃棄物は南西の風に乗り、北東方向に幅約9km、長さ105kmの帯状の地域を汚染、約1万人が避難しました。避難した人々は1週間に0.025-0.5シーベルト、合計で平均0.52シーベルト、最高0.72シーベルトを被曝しました。特に事故現場に近かった1,054人は骨髄に0.57シーベルトを被曝しました。

爆発で放出された放射能は2000万キュリーになり、9割が周辺に、そして1割が環境中に放出されました。そしてテチャ川流域を300kmに亘り汚染しました。

 

 

タンクから放出された放射能の内訳で主要なものは、セリウム144プラセオジム144(66%)ジルコニウム95+ニオブ95(24.9%)ストロンチウム90+イットリウム90(5.4%)で、プルトニウムなどの超ウラン元素は痕跡程度であったとされています。(中略) 217居住地区の約27万人が、ストロンチウム90の37kBq/m2の汚染地域に住んでいました。再処理施設に近い3つの村の1,054人は、最も高い線量(骨髄570mSv)を受けました。250日間汚染地域に住んでいた2,280人は、平均170mSvを、330~370日間EURT事故区域に留まった7,300人は、600mSvの線量を受けました勿論、事故後集団線量を減らすためにいろいろな措置がとられてはいます。この放射線事故により、最も汚染したキシュテム地区周辺の22ヶ村の1万人は、7~670日の間に避難しました。これらの人々は、40~500mSvを被ばくしたと考えられています。旧ソ連における南ウラル核兵器工場の放射線事故(キシュテム事故など)より)

隠された半世紀・ウラルの核惨事より)

この事故は評価尺度6です。

福島は7です。

 

更に1967年には放射性廃棄物の貯蔵庫となっていたカラチャイ湖が旱魃により干上がってしまい、ストロンチウム90を始め核物質を含む泥や砂が空中に飛散し、周辺の2700平方kmを汚染し、住民を再度被曝させました。そして1950年代に河川に廃棄されていた放射性物質も年々下流域の住民の健康を蝕んでいます。

 

 (旧ソ連の核汚染の地図です。クリックしてご覧ください。)

 

住民が核の脅威を知ったのはチェルノブイリ原発事故(1986年)以降のこと。

政府が公表したのは1993年です。政府の公表によればこの間に放出された放射能はチェルノブイリの20倍になるとのこと。

そして現在は広島市の2倍の面積に当たる1760平方kmがモニタリングゾーンに指定されています。

90年になってようやくプルトニウムの生産は中止になりましたが、核廃棄物の管理に終わりはありません。

核の管理者達は現在も汚染と闘っています。

 

 今日もお読み頂きありがとうございました。


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生物兵器の恐怖・ケムトレイン!

2012-05-26 23:50:09 | 巨大地震

生物兵器の恐怖・ケムトレイン

ケムトレインは超微粒子の化学物質を大気中に放出する。その成分は人体に大変有害なも

のなのです。「ケムトレイン中に含まれる化学成分は、ウイルスの外被が肺細胞に付きやす

く、簡単に浸透して感染しやすくする・・」人口削減兵器です。

 

 

 

ケムトレイン散布と並行して新しく開発した強力な致死性を持つインフルエンザ・ウイルスやワクチンプログラムの工夫によって致死性インフルエンザを蔓延させ世界人口を大幅に削減しようという計画が実行中である!

  

 右上の写真は、ケムトレインのエアロゾル繊維を60倍拡大したもの。         

この機体が米軍機であることが判明した。
 
捕らえた!!ケムを撒く者!情報によると、VLF通信用機E-6とのこと。  
写真を見ると、なるほど完全に一致する。尖り気味のノーズを見ると確実に同型機である。
 今までこの手の機体は、旅客機だとばかり思っていたが、まさかの米軍機。ボーイングの旅客機がベースとなっているとのこと。大きく違うのは、客席用の窓がない。窓はコクピットのみ。
 外国の軍隊の航空機が我が日本の空に自由に、何やらばら撒いている。それを黙って見ているこの国はどうなっているのか。

 

 それらのいくつかは皮膚から吸収され、深刻な皮膚損傷および病気を引き起こすバイオ活性物質を含んでいることを発見した。ウイルスと一緒に、遺伝子操作で変異された真菌体で構成されるポリマー微粒子を同定した。強力なmico毒素を分泌する無数のフザリアム(菌類) /変異したウイルスの胞子が私達の呼吸する空気に含まれている。
 

Morgellonの病原体の出現によって新しい病気が発生し、専門家は困惑している。
繊維は複雑だ。 皮膚損傷は通常、回復困難な疲労および頭脳の減損も同時におこる。  

この新しい繊維の病気は、chemtrailが撒かれたのと同じ時間スパンで起こっている。

MORGELLONS米国
 Morgellonの1人の被害者からのレポート
「1998年撒かれた時、私は庭で作業をしていた。 天候は暖かく特別湿気があり、粘着性がある。 一時、私は無意識に首を掻くと、指の爪に白い繊維の塊がこびりついてるのに気づいた。 不思議に思って私はあらゆる露出した部分の皮膚をひっ掻いてみると、そのどこからも繊維の塊が付いてきた。衣類に覆われた部分の皮膚はどこにも繊維は付いてなかった。 私たちの生活しているところの空気中には、それほど多くの繊維が含まれているということだ。 数ヵ月後には、奇妙な皮膚の症状がではじめ、不快な気分になった。これら大気中の繊維が、私にMorgellonsを発症させたことに関与していることはまず間違いないだろう。

 科学者Clifford Carnicomの研究によって、大気中に極めて高レベルの毒かびが含まれていることが明らかになった。
人間の健康にとって容認できない状況だ。ケムトレイル繊維中に含まれ 雨水の汚染

255×254 - 2001年7月26日にニューメキシコ州サンタフェで、ケムトレイル散布後の雨水を採取 ...

 
 採取した雨水には、アルミとバリウムの微粒子による深刻な汚染が見られる。

 私たちの脳に含まれるナノ粒子
 ナノ粒子、それは極めて小さい物質で・・・。

空気を吸うと脳内に入り動きまわることが米国の研究者によって明らかにされた。
 ケム雲に覆われている地球
 地球上空の大気が、ケムトレイルと、ケム雲に完全に覆われていることが、この最近撮影したsatの画像で明らかに見てとれる。
 繊維の塊・・・。
 これは、ネバネバの物が出てくるけど、たぶんこれが大量にまとまって降ってきたものでしょう。
 それにしても、赤血球まで混ぜて撒いている。


 ウイルスや真菌なんかを変異させたものを撒いているってことからしても、いろんな新しい病気が次々大発生しているのは、おそらくこれによるものだろうという可能性が高いね!
ごく最近では、ハシカが大流行しているし・・・
 やっぱり一連の大流行した病気(SARS、鳥フル、麻疹、etc)は、ケムトレイルによる人為的な仕業だったか!?

高高度より航空機により、広範囲に人体にとって有害な物質を撒くことによって、鳥インフルエンザ等にかかってしまいます。かつてはNYでマスタードガスが撒かれ多くの一般市民の健康を害しました。
なぜ、そんなことをするのか。鳥インフルエンザにかかる人が増加することで、タミフルの需要が増える。結果、タミフルの特許を持つ企業が潤うと同時に大株主の懐も潤う、というストーリーなのです。現在は、新型の致死性が高くて、生存力の強いウイルスが開発され、特定の地域で空中散布されています!

なんでもタミフルの特許を持つ企業の元会長はラムズフェルド米国防長官とのこと。更に、アメリカの空軍は反戦デモを行っている集会に戦闘機から有害物質を撒くことで集会に参加している人間を抹殺する計画も考えているとのことです。               

虐殺することで、何も解決することは出来ません!            

そのことは、歴史が証明しています。ここまで過激な企みを考えているのかどうか分かりませんが、この情報を知る前日の夕方、娘が「あっ、飛行機雲だ」と指差していたこと、家族全員が喉の痛みがあることから、なんだか偶然の一致とは思えないのです。一部の資産家の思惑が果たして真実であるならば・・情報を知った当日の夕方もなんだかおかしな飛行機が上空にありました・・・。    

 


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血の叫び20 チェチェンの今。そしてセミパラチンスク

2012-05-26 23:17:27 | 巨大地震

世界では、放射能汚染はまだまだあります。

 

この地図は世界の主な核実験場の地図です。クリックすると大きくなります。

 

国の体力次第でやはり国民はその後の健康が変わるのでしょうね・・・

 

まず2005年12月に起きたチェチェンのグロズヌイ化学コンビナートにおける放射能漏れの事故について取り上げます。

 

 

チェチェンの工場で放射能漏れ・当局が捜査

【モスクワ=栢俊彦】ロシア南部チェチェン共和国の検察当局は16日までに化学工場での放射能漏れに関する捜査を開始した。検察当局は「許容限度の5万8000倍で破局的な状況」だとしている。ロシアのテレビ局は放射能のレベルを1986年に発生したチェルノブイリ原発事故時の半分に相当すると報じた。外部への被害などは伝えられていない。
問題の場所は国営企業「チェチェン石油化学」系のグロズヌイ化学コンビナートの敷地内。27から29種類の放射性元素が確認され、ある作業場にはきちんと管理されないまま放置されている。テロリストの盗難に遭う可能性を指摘する声もある。

 

(日本経済新聞 2005/12/17)

 



この国はずっと内戦が続いており、放射能対策どころではなく、それよりもいかに平和を保つのか、或いは逃げるのかといったことに重きが置かれているようで、未だにこの国の人々は健康どころの騒ぎではなさそうです。

以下、チェチェンの今に関するひとつの事件についてお知らせします。

 


報道が少ないので、ご存知ない方も多いと思うのですが、モスクワでまた暗殺事件がありました。

なおこの事件は、日経新聞では次のようにとりあげられていました。 

http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20090120AT2M2000E20012009.html 

 スタニスラフ・マルケーロフ弁護士と、 

 アナスタシア・バブローワ記者殺害についての緊急声明 


 1月19日の午後2時、チェチェン戦争の被害者救済にあたってきたスタニスラフ・マルケーロフ弁護士と、若いジャーナリストのアナスタシア・バブローワ記者が、モスクワの路上で殺害されました。 

 日本でチェチェンの平和と人権の確立を求めてきた私たちは、二人の犠牲者に心からの哀悼の意を表するとともに、このニュースの持つ意味を、一人でも多くの方に知っていただきたいと考えます。 

 そもそも今回の暗殺劇の発端となった事件は、第二次チェチェン戦争が激戦だった2000年3月26日、チェチェンの小さな村、タンギ・チュから始まりました。

この近くに駐留していたロシア陸軍の第160戦車部隊のブダーノフ連隊長(大佐)が、飲酒の上、夜遅く部下とともに装甲車で村に入り、以前から目をつけていたエリザ・クンガーエワさんという18歳の女性を誘拐し、自分の宿舎で強姦、絞殺しました。 

 この事件により、ブダーノフは2001年に逮捕され、紆余曲折のすえ、ようやく2003年に10年の刑を宣告されました。しかし、刑には逮捕から判決までの拘置期間も含められたので、刑期は2011年までとなりました。 

 同様の人権侵害を繰り返してきたロシア軍は、ブダーノフを徹底的にかばいましたが、それに対してエリザさんの遺族が粘り強く法廷闘争を続けたために有罪判決が下り、同様の人権侵害が裁かれる可能性が切り開かれました。

そしてこの法廷で、遺族の代理人を務めていたのが、マルケーロフ弁護士だったのです。(同氏は、2006年に暗殺されたジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤさんの代理人でもありました) 

 しかし、エリザさんの遺族は、繰り返し脅迫を受けたため、海外への亡命を余儀なくされました(ブダーノフ本人からも脅迫されたといいます)。さらに、2008年12月24日にブダーノフの恩赦が発表され、実際に今年の1月15日に釈放されてしまいました。 

 マルケーロフ弁護士はこれに強い憤りを覚え、モスクワ市内で抗議の記者会見を開いたのですが、そのわずか数分後に、路上に出たところを何者かに銃殺されました。

彼をかばったために同時に撃たれたバブローワさんは、モスクワ大学を卒業したばかりの若者で、ポリトコフスカヤさんと同じノーヴァヤ・ガゼータ紙で契約記者として働いていました。 

 いま、この事件を知った人々が、モスクワでも、チェチェンでも、それぞれに抗議の集会やデモを行っています。 

 歯に衣を着せずにプーチン政権を批判したジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤさん、ロシア政府の内部告発を続けた元連邦保安局職員のアレクサンドル・リトビネンコさん、そして今回のマルケーロフ弁護士と、次々に暗殺され、言論を封じられていく人々の共通点は、みなチェチェン問題に関わり、プーチン・メドベージェフ政権に対して批判的な人であることです。 

 そしてこれらの事件は、つねに十分な捜査がされず、うやむやにされたり、あるいはチェチェン人の容疑者が逮捕され、一時的に脚光を浴びては、結局釈放されるといった、不可解な経緯をたどっています。 

このリリースについての連絡先: チェチェン連絡会議 

clc@chechennews.org または editor@chechennews.org 


 

シアのセミパラチンスク核実験場について


この子どもはセミパラチンスクでの実験場の近くで産まれた子どもです。

ここの歴史についてwikipediaから引用します。

1947年にソ連の原爆開発の最高責任者であったラヴレンチー・ベリヤによってこの場所が選ばれた。ベリヤは、偽ってこの土地一帯が無人だと主張したとされる[2][3] 。核実験の準備に伴い、実験場郊外に秘密都市セミパラチンスク-21(現在のクルチャトフ市)が秘密警察の指揮下で囚人労働で建設され、関係者が集められた。

ソ連最初の核実験RDS-1は1949年8月29日に行われた[4]。付近の街に放射性降下物が降り注いだが、市民への避難警告はされなかった。 実験を指揮した核物理学者のイーゴリ・クルチャトフは、後に、もし核実験が失敗したらスターリンの命により銃殺刑に処されることを覚悟していた、と述懐している。実際に秘密警察は逮捕の準備をしていたといわれる[要出典]。 その後、同じ場所(クルチャトフ市から60kmほど西、地図中"Experimental field")で100回以上の地上核実験が行われた。

その後、1953年8月12日の水爆装置実験RDS-6(核融合そのものは失敗)、1955年11月22日の初の水爆実験RDS-37核の平和利用実験(下記参照)などが行われた。なお、RDS-6の実験に当たっては、付近の住民のうち一部の成人男子を放射能汚染地域に滞在させた。これは人体実験だと見られている。またベトナムの枯れ葉剤のようにここでも奇形児が生まれ、ホルマリン漬けで保存されている。

その後放射能汚染による住民の健康被害が次第に広がり、地元の研究者たちによる調査が行われたものの、核実験を優先するソ連当局に黙殺され続けた。ソ連末期のグラスノスチにより実験の実態が明らかになると国際的な非難が高まり、1991年8月29日に実験場は正式に閉鎖された。

 

そして現在は推定20万人の被爆者がその影響により苦しんでいます。

いくら実験をやめたからといっても、影響はずっとずっと続くのです。

 

2010年までに世界で行われた核実験は2030~2110回と推定され、そのうちアメリカが1011~1053回、旧ソビエト連邦715~738回、フランス210回、イギリス45~47回、中国45回、インド3~6回、パキスタン2~6回、北朝鮮2回とされています。

セミパラチンスクでは1949年から1989年までの40年間で468回の実験が行われ、これはアメリカのネバダの928回に次いで世界2位の回数です。但し、影響を受けたのは100万人以上であり、ネバダの13000人とは規模が異なります。

綿密な観察と計算を繰り返した結果として、結論としては被曝線量が高ければ高いほど循環器系疾患と虚血性心疾患が増加し、更に高線量域でその他の心疾患、中線量域で脳血管疾患が認められたそうです。

 

セミパラチンスク地域周辺住民等健康影響調査(平成13年~平成20年度)  財団法人 放射線影響協会

http://www.rea.or.jp/oia/wp-content/text/publication/semipalatinsk.pdf

 

 

今日もお読み頂きありがとうございました。

 


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仙谷由人、野中広務が仕掛ける大連立が決定!

2012-05-26 00:40:40 | 巨大地震

民主党政権に、大阪市のスッポン橋下市長が「宣戦布告」しました。

また原発の再稼働をめぐっては、民主党の仙谷由人政調会長代行が、「原発全停止なら、日本が集団自殺するようなものになる」と発言をして物議をかもしだしています。

 民主党の仙谷政調会長代行の講演が、愛知・名古屋市で行われ、そこで、原発再稼働推進派の仙谷は「(原発を)直ちに止めた場合に、日本の経済と生活がどうなるか考えておかないと、これは、日本がある意味で、集団自殺するようなことになってしまうのではないか」と意味不明なことを述べています。


何故、原発が全て停止すれば、「日本は集団自殺する」という過激なものだっのかと私は考えてみましたが、唯一考えられますことは、大電力を必要とする日本の防衛兵器が稼働することができないということなのでしょう!

 国民の知らない厄介な話ですが、この話を仙谷が知っているというのも不可解です・・・・。

 大飯原発の再稼働に反対する市民団体らの抗議活動の中、枝野経産相は福井県庁を訪問して、西川福井県知事らに再稼働の協力を要請していますが、この枝野の動きも仙谷との連携プレイであるはずですから、枝野も日本国の秘密を知っていることになります。


仙谷、枝野と同じように、野田佳彦も「安全性と必要性が確認できた」として、関西電力大飯原発3号機・4号機の再稼働を進めています。

ところが何も知らない大阪維新の会を率いる橋下市長が、この野田、仙谷、枝野の原発再稼働に噛みついたのです!

橋下市長は、「僕は本当に怖い。政治家が安全なんか確認できるわけないんですから」と政府が推進する原発再稼働に異議を唱えたのです。

「こんな統治、絶対許しちゃいけないですよ。国民はね、もう民主党政権、代わってもらおうと。僕はもう、頭来たんで。僕は個人で反対でいきます、これからは」とまくしたて民主党政権打倒宣言をしたのです。


この橋下の民主党政権打倒宣言に対して、民主党の輿石幹事長は「政権を打倒すると明言されているわけですから、受けて立つ」と、橋下市長の民主党批判を「受けて立つ」と発言しました。

これにより、原発問題が、次期衆院選の大きな争点となることが、決定的となってしまいました。

橋下市長は、安全と主張する野田政権に対し、

「必要があれば、安全性が不十分であると説明したうえで、再稼働を決めることもある」とか

「僕らは、大飯(原発)の再稼働について、何がなんでも、絶対反対ということではないんです。」

「今のやり方での再稼働は、反対だと言っているわけですから。」

「僕らは、安全だと思わない。安全性が不十分でも、国民にちゃんと説明をして、再稼働を決定するというやり方をやるべきだと思っています」

「どちらのやり方がいいのか、国民の皆さんに判断していただきたいと思いますね」

などと申し述べていますが、福島第一原発の現状を考察し、全国の原発の現状をみるだけでも安全な原発なんてのはあり得ないということに、まだ気付いていないのですから始末に悪い男です。

 私は、橋下徹の裏側を知りましたので、橋下の言葉が全て虚しく聞こえてしまいます。


この民主党と橋下のあり様に自民党の谷垣総裁は、再稼働については地元の理解が前提とし、「私個人としては、再稼働を行わなければ、日本経済の混乱や、いろいろな不都合(防衛兵器に)な問題が起こるだろうと」と核心を突いた発言をして関係者に警告をしています!

仙谷氏は「専門家への信頼が回復するまで稼働を止める」とか、

「あるいは止めた原発を一切動かさないようにせよ」

という話ならば、その結論に向けてどうするのかと述べ、脱原発論の現実味の薄さを批判した。

 

「日本は電力なしに、生活(防衛)できなくなっているのは明らかだ。一瞬でも切れると電信電話回線が切れる。電気によってデータ管理がされる高度化した社会で、安定した質の良い電力が供給されることが当たり前の社会を作ってしまった現実の中で、どう考えるのか」とも述べている。

 また仙谷氏は「決めることができる政治を行うために、民主党と自公が連携、あるいは連立するところまでいかないといけない」と自民、公明両党との大連立に意欲を表明もしています。

 「民主党と自民、公明両党で財政と社会保障、雇用などでそんなに異論があるわけではない。執行部の方々と話してもそんなに変わりはない」とも申し述べていますが、実は水面下では野田佳彦-仙谷由人-野中広務-谷垣ラインで大連立が決定しており、大連立に向けた具体的な話し合いが行われており、これに公明党も参加する意向を水面下では表明しています。

 大連立の一因としては、小沢一郎問題もありますが、連合の内紛があります。連合は民主党支援を表明していますが、連合内の電力総連が自由民主党支援を表明して連合内で論争を起こしているために、連合は大連立を提唱して内部分裂の危機を回避したのです。

 勿論、小沢一郎は大連立に賛同して、現在の難局を乗り越える算段をしていますが、仙谷達の小沢切りに如何に対処して生き残るかが小沢一郎の正念場でもあります。

まあ百戦練磨の小沢一郎ですから、この難局をも乗り越えていくことでしょう。

いずれにしましても、仙谷由人と野中広務の仕掛ける大連立は決定しました!

この大連立を、空中分解することのできるのは小沢一郎だけです!

何故か~それは小沢一郎こそが、民主党と自由民主党との大連立提唱者だからなのです!


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