世界中で子供たちが消えているがロシアに連れ去られたウクライナの子どもたちは生きているのか?
NGOによる「命がけ」の救出作戦が続く
1万9千人が連れ去られる?
救出に当たるNGOは「セーブ・ウクライナ(Save Ukraine)」(本部・キーウ、約300人)。
2023年12月24日、ロシア側に連れ去られたウクライナ人の男の子3人をロシア軍占領地からウクライナへ移送し、保護した。
うち2人は18歳になったばかりで、ロシア軍にあやうく徴兵されるところだったという。
「徴兵されれば、ウクライナ人どうしが戦うことになってしまいます。私たちは、徴兵年齢に達しかけているティーンエージャーの救出に全力をあげています」
セーブ・ウクライナの広報担当、オリハ・エロヒナさん(40)が、オンライン取材に対し、こう語った。

18歳の2人は両親がいなかった。
孤児院で暮らしていたところを連れ去られ、ウクライナ国内のロシア軍占領地に住まわされた。
そんなとき、セーブ・ウクライナのもとに「ロシアの占領当局が召集令状を出した」という情報が届いたという。
エロヒナさんは言う。
「私たちは、(被占領地やロシアを含む)各地に情報網を持つ。
子供に召集令状が出されていないかどうか、特に注意を払っています。
ウクライナ政府は、強制連行された子供を捜すため、インターネットに「戦争の子供たち」というサイトを開設。
1万9千人余りの子供の情報提供を呼びかけている。
しかし、母国に戻れたのは2%の387人。
その半数以上の213人を、セーブ・ウクライナが救出した。
ほとんどの子が戻ってこない理由として、エロヒナさんは以下の三つを挙げる。
- 孤児や貧困家庭で育つなど、ウクライナとの絆の薄い不利な条件の子が狙われる
- ロシアや被占領地で、軍事教育を含む「ロシア化」教育が行われている
- キャンプ地など数カ所を転々とさせられる子が多いため追跡が難しい
エロヒナさんによると、ロシア軍占領地(南部ヘルソン州)にいた17歳の男児は3回、強制移送させられた。
その子は、解放されてキーウに移った後、次のように証言した。
世話役のおばあさんが心臓発作で死んだため、独りで自宅に住んでいたが、突然、ロシア軍人が来て、地元の学校寄宿舎へ入れられました。
何を学びたいのかなど、希望はいっさい聞かれませんでした。
毎朝、グラウンドに整列させられ、ロシア国旗が掲揚。
ロシア国歌の斉唱を強制されました。
僕が拒否したら、トイレ付きの小部屋に15日間、閉じ込められました。
そこはテレビも本もありませんでした。
「授業はすべてロシア語で行われ、『ウクライナの大人たちは君を見捨てた』『ウクライナは君を必要としていない』と繰り返し言われました。歴史もロシアのものを教えられました」
この男児はその後、(ロシアが一方的に併合した)クリミア半島、さらに別のロシアの都市へ移送されたが、セーブ・ウクライナが救出に成功し、その後、キーウへ移った。
親がロシアに乗りこむ例も
一方で、命にかかわる失敗例もある。
エロヒナさんは「10歳前後の子の心はプラスチックのよう。
強制移送されるのは孤児のような家庭環境に恵まれない子も多く、なおさらのこと、もろい。
そこへ、ロシアのパスポートを与えられたり、一方的な情報を与えられたりするので、『ここに残ろう』と思ってしまうケースも出てくる」と話す。
ウクライナ南部に住んでいた孤児の男児(17)は、2022年2月のロシア侵攻後、街中でウクライナ国旗を掲げるなど、ロシアの占領に抵抗していた。
ところが、ロシアへ強制移送された後、親ロシアのプロパガンダに感化され、ロシア国防省傘下の「青少年軍(ユナミル)」に入った。
「青少年軍」は、子供に射撃などの軍事教練をさせ、ロシアへの忠誠心を養うことを目的とする。
ロシアに「同化」した男児の救出は難航が予想された。名づけ親(ゴッドマザー)が帰還の説得役に選ばれ、5月、ロシアへ派遣された。
しかし、彼女はモスクワで当局に拘束されてしまった。
そこで2日間、尋問を受け、さらにベラルーシへ移送され、そこでも尋問を受けた。その後、彼女とは連絡が取れなくなったという。
もう一つの危険を伴う救出作戦の模様を、11月、米国のテレビ局CBSが次のように報じた。
NGO「セーブ・ウクライナ」のホットラインに、ポーランドに避難中のウクライナ人女性ポリーナさんが「9歳の孫ニキータがロシアに連行された」と電話してきた。
NGOスタッフは共にモスクワに向かった。
ポリーナさんは、ニキータ君が収容されたロシアの養護施設に着くと、門番に「ポーランドから人道支援のために来たボランティアです」と身分を偽って、中に入ることに成功する。
DNA鑑定もやらされ、70日間待たされた。
だが、ポリーナさんが実の祖母であると証明され、帰還が決まり、ニキータ君を抱きしめる。
セーブ・ウクライナによると、ロシアはウクライナ人の親や親族がロシアまでやってきて、引き取りを求めた場合には、子どもたちの帰還を認める場合があるという。
ポリーナさんはモスクワへ行く際には、地雷原もスタッフの車で走り抜けた。戦場を突破する命がけの道中だった。
このケースでも、ロシア軍が、保護者や親類の許可なく、ウクライナ領内の養護施設からニキータ君ら児童80人を移送。
3回、クリミアやロシア本土など移転を繰り返し、児童の失踪の跡を追いづらくしていた。
セーブ・ウクライナはこれまで14回、救出作戦を行った。
5月にあった5回目の作戦では、31人の奪還に成功。
キーウで記者会見もした。
そこには16歳のビターリー君も出席、自らが騙され、拉致された様子を、次のように証言した。
「クリミア半島で2週間だけのキャンプ、という説明を受けました。
しかし、着くと、鉄条網に囲まれた場所でした。
その中で、毎日4、5時間、ロシア国歌を聞かされ、施設の教師から『ウクライナはテロリスト国家だ』『ゼレンスキーは薬物中毒者だ』などと言われました。
また、『(出身地の)ヘルソン州は砲撃が続いており、君の両親も引き取りを拒否している』とも言われました。結局、半年間、そこから出られませんでした」
ロシアの経済紙「RBK」によると、ロシア国防省は本格侵攻から5カ月後の2022年夏、30万人余りのウクライナの子がロシア領にいることを認めていた。
一方、ロシア国営タス通信によると、昨年11月から、中東・カタールの仲介で、外交ルートでロシアからウクライナへの子供の帰還が行われるようになった。
タス通信によると、11月に4人、12月に計8人の子供がウクライナへ戻った。
この動きについて、エロヒナさんは「あまりにも数が少ない。
ロシアが象徴的な返還により犯罪行為を少しでも帳消しにしようとしている」と語る。
犯罪行為とは、国際刑事裁判所(オランダ・ハーグ)が2023年3月、ロシアのプーチン大統領と、その補佐役のマリア・リボワベロワ氏に逮捕状を出したことを指す。
その容疑は、2人が「少なくとも数百人の子供を、孤児院や養護施設からロシアへ強制移送し、永久に母国から切り離そうという意図を持っている」ことだ。

皮肉なことに、ロシアの犯罪性を浮き彫りにした逮捕状の発出後、セーブ・ウクライナの活動は難しさを増した。
エロヒナさんは「ロシアは警戒心を高め、徐々に戦術を変えてきた。バルト諸国など様々な救出ルートがあるが、ロシアは監視を強めている」という。
子供の強制移送の実務を担うリボワベロワ氏は、記者会見などでは「子供を戦争の危険から保護している」と弁解する。だが、孫のニキータ君を取り戻そうとしたポリーナさんには、「お金や車をあげるから、ロシアに留まるつもりはないか」と声をかけてきたという。
また、ロシア領に連れ去られたボグダンさん(17)は、リボワベロワ氏から「罵詈雑言を投げかけられた」と証言したという。
当時、ボグダンさんは、ロシア国防省から召集令状を受け取ったにもかかわらず、ウクライナへの帰還を求めており、それが彼女の反感を買ったようだった。
ウクライナの調査報道機関「Molfar」によると、リボワベロワ氏を支える政府高官ら14人からなるチームが存在しており、連れ去りが国家ぐるみで行われている疑いがある。
こうした状況に対し、エロヒナさんは次のように語った。
「ウクライナでは、大人はロシアに殺害され、子供はロシア人化されてしまう。ウクライナのアイデンティティを消すのがロシアの狙い。セーブ・ウクライナは、子供の救出のため、さらに積極的に救出者を現地に送り込んでいく方針です」
これ等の拉致に比べて日本は深刻である!!
世界から『日本は拉致国家』と非難を浴びている、国際的な子の連れ去り問題について
1970年には年間5,000件程度だった日本人と外国人の国際結婚は、1980年代の後半から急増し、2005年には年間4万件を超えました。
これに伴い国際離婚も増加し、結婚生活が破綻した際、一方の親がもう一方の親の同意を得ることなく、子を自分の母国へ連れ出し、もう一方の親に面会させないといった「子の連れ去り」が問題視されているのです。
つい先日、イタリア政府などは一方の親が日本人である場合、日本へ行くと子どもが誘拐されるかもしれないと、渡航に関する注意喚起をしました。
イタリアなどでは一方の親による子どもの連れ去りは犯罪行為ですが、日本国内では容認されてしまっていることが原因のようです。
日本における国際的な子の連れ去り
日本における国際的な子の連れ去り(以下、拉致とも)とは、もともとの居住地から日本への違法な拉致を指すものであり、ほとんどの場合は元居住国裁判所が発行した面会交流または共同親権命令に反し、子を日本に連れて行くことです。
例外的な状況を除いて、児童拉致の影響は一般的に子の福祉への有害性が指摘されているにもかかわらず拉致は行われ、被害親とその親族の生活にも壊滅的な影響を与えているのです。
もともと日本の家庭裁判所は民事訴訟における強制的執行を好まない傾向にあり、両親による和解を強く推奨して面会交流や育児支援にはほとんど介入してきませんでした。
そして、外国人親が自力救済として日本に連れてこられた子を取り戻そうとすると、本来、日本にいる事が「拉致拘禁状況」に該当しているにもかかわらず、日本の警察によって逮捕され、刑事訴追される可能性があります。
また、外国の父親が子どもを自国に連れ帰ろうとすれば、「所在国外移送目的略取及び誘拐」(刑法第226条第1項)も追加され、2年以上の懲役刑が科される可能性すらあるのです。
刑法第226条は元来、中国等へ未成年者が性的奴隷として誘拐される事を防止するための特別法でしたが、現在は外国人親による子の連れ戻しを防止するための有力な手段として使用されています。
「ハーグ条約」へ加盟した日本に集まる国際社会の非難
離婚などに伴う国境を越えた子どもの連れ去りを防止する「ハーグ条約」に日本は加盟していますが、条約の履行が不十分として国際社会から非難を集めています。
ハーグ条約では拉致された子どもたちは、拉致前に「本来居住していた家」に戻されることになっています。
子どもの拉致を重罪と規定している国に対しては、監護親を拉致犯として通知することができ、拉致親は他国滞在中に逮捕される可能性もあります。
条約は、当事国の家庭裁判所の判決を他の国が認めることを必要とせず、署名国が拉致された児童の所在を知覚した場合には、速やかに本来の居住地に戻すことを要求しています。
もともと日本の家族法はハーグ条約の各条項と整合性がなく、日本が署名するためには法律の抜本的な改正や新法導入が必要でした。
日本の民法は、両親間の合意によって決定されない場合、子の最善の利益に基づいて問題を解決することが強調されていますが、家庭裁判所の判決に強い強制力はなく、遵守するかどうかは本質的に両親の自主性に任されていて、両親の合意がなければ判決を下すことも極めて困難なようです。
日本を拉致国家と呼ばせないためには
最大の障害となっているのは子どもの親権に対する法制度の変更です。
日本の法曹関係者の多くは離婚後共同親権・共同監護の重要性を認識してきませんでした。
日本はハーグ条約に先立ち「子どもの権利条約」に署名しており、同条約第9条に定められている通り、日本は非親権者の面会交流を子どもの権利として認めなければなりません。
しかし、日本国最高裁判所は、非親権者は子どもと会う権利はなく、国家による面会交流の強制は、親や子どもの権利ではないと裁定しています。
この裁定により、事実上、親権者の協力なしには、面会交流は不可能となっているのです。
フランスやアメリカなどの一部の国では、子どもがいる夫婦の離婚の場合、両親の共同養育が法律で定められていますが、日本の法律ではこのような取り決めはありません。
離婚後の子どもの親権を両親それぞれが維持するという考え方は、日本人の文化や歴史にはないため、日本法にそのような思想はほぼ皆無なのです。
日本では結婚が合法的に解消されると、一方の親にのみ親権が与えられ、分離された「非監護親」は肉親であるにもかかわらず子どもから完全に分離されます。
ハーグ条約批准国82か国の間でも、親権に関する取扱は国によって異なります。
日本においては、戦後高度成長期に母親が通常単独または主たる監護権を得る形が一般的でしたが、その間に他の先進国では共同養育および共同親権に移行する機運が高まっていきました。
日本も世界から拉致国家と呼ばせないために、離婚後共同親権に関する議論を進める時期にきています。
何のために子供たちが拉致されているのか?
その真実を国民は、知らなければならない!!
DSの正体を明らかにして、子供たちを守らなければならない!!