昨日の朝日新聞に、「3.11 宮城県南三陸町長 佐藤仁さん 防災庁舎屋上でも流された 町内に家建てるために融資を」という記事がありました。
宮城県の南三陸町長の佐藤仁さんは、町の3階建ての防災庁舎の屋上に避難しましたが、そこにも津波が来て、屋上階段にしがみつき、頭の上まできた波を耐えたのだそうです。
佐藤さんは、1951年生まれで、仙台商業高校卒業。
2005年から南三陸町長で、現在2期目です。
地震があったときは会議中で、すぐに隣の防災対策庁舎(3階建て)に移動しました。
震度6弱と出て、すぐに大津波警報が発令されました。
午後3時に、6メートルの津波が来るという予想です。
あと10分です。
すぐに防災無線で、町民に高台に避難するよう知らせました。
防災対策庁舎の屋上に上り、海を見ると、まずは水でなく、黄色い土煙が舞い上がったそうです。
その後を追いかけて、高さ8メートルの防潮水門よりはるかに高い波が、とんでもない速さで来ました。
屋上には30人前後がいましたが、全員が津波で一気に飛ばされました。
佐藤さんは、屋上の外付け階段のところに飛ばされ、階段の手すりにしがみつきました。
波が頭の上まで3分間くらい来たそうです。
2、3秒おきに頭が水の上に出るので、その間に息を吸いました。
波が引いたときに残っていたのは、10人だけでした。
インタビューを受けたときも、津波を受けたときの服のままです。
着替えがないので、着たきりなのです。
これから町を復興するのに、長期的な支援、家を建てる融資などを、国にお願いしたいということです。
-------------------------
階段にしがみついて生き残った町長さんがいらっしゃることは、聞いていました。
南三陸町の佐藤町長さんだったのですね。
3階建ての屋上にいて、頭の上まで水が来る・・・想像しただけでも恐ろしいことです。
記事には、第2波が来る、屋上にいたのでは危ないと、屋上のアンテナに登ったとありました。
ずぶぬれで吹雪だったそうです。
そんな体験をして、寝込むこともなく、続けて町民のために駆け回っていらっしゃる、本当に頭が下がります。
被災者の方々が、関東の県や都の施設に集団で避難してこられています。
私たちでできることを考えるとともに、1日も早い復旧を願っています。
宮城県の南三陸町長の佐藤仁さんは、町の3階建ての防災庁舎の屋上に避難しましたが、そこにも津波が来て、屋上階段にしがみつき、頭の上まできた波を耐えたのだそうです。
佐藤さんは、1951年生まれで、仙台商業高校卒業。
2005年から南三陸町長で、現在2期目です。
地震があったときは会議中で、すぐに隣の防災対策庁舎(3階建て)に移動しました。
震度6弱と出て、すぐに大津波警報が発令されました。
午後3時に、6メートルの津波が来るという予想です。
あと10分です。
すぐに防災無線で、町民に高台に避難するよう知らせました。
防災対策庁舎の屋上に上り、海を見ると、まずは水でなく、黄色い土煙が舞い上がったそうです。
その後を追いかけて、高さ8メートルの防潮水門よりはるかに高い波が、とんでもない速さで来ました。
屋上には30人前後がいましたが、全員が津波で一気に飛ばされました。
佐藤さんは、屋上の外付け階段のところに飛ばされ、階段の手すりにしがみつきました。
波が頭の上まで3分間くらい来たそうです。
2、3秒おきに頭が水の上に出るので、その間に息を吸いました。
波が引いたときに残っていたのは、10人だけでした。
インタビューを受けたときも、津波を受けたときの服のままです。
着替えがないので、着たきりなのです。
これから町を復興するのに、長期的な支援、家を建てる融資などを、国にお願いしたいということです。
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階段にしがみついて生き残った町長さんがいらっしゃることは、聞いていました。
南三陸町の佐藤町長さんだったのですね。
3階建ての屋上にいて、頭の上まで水が来る・・・想像しただけでも恐ろしいことです。
記事には、第2波が来る、屋上にいたのでは危ないと、屋上のアンテナに登ったとありました。
ずぶぬれで吹雪だったそうです。
そんな体験をして、寝込むこともなく、続けて町民のために駆け回っていらっしゃる、本当に頭が下がります。
被災者の方々が、関東の県や都の施設に集団で避難してこられています。
私たちでできることを考えるとともに、1日も早い復旧を願っています。