昨日の朝日新聞夕刊に、「人脈記 お殿様はいま 5 犬山城はわが子みたい」という記事がありました。
愛知県の犬山城は、歴代の城主が個人所有で維持してきましたが、12代目の娘さんの代で財団法人にしたのだそうです。
城主の成瀬家は、先祖は尾張藩の付家老でした。
犬山城を与えられたのは、江戸時代の初めでした。
明治維新で、県の所有となっていました。
118年前の濃尾地震で一部が破損し、現存する国内最古の天守閣の修復を願い出て、成瀬家に返され、全国でも珍しい個人所有の城となりました。
犬山城は国宝のため、修理や管理が必要ですが、個人所有だと国からの補助がわずかなのだそうです。
11代目城主だった成瀬正勝さんは、東大教授で文芸評論家でもありました。
修理費や管理費の工面に苦労されていました。
台風の季節になると、城の瓦が飛ぶのは毎年のことですが、漆喰の壁が大きくはげ落ちたりすると多額の費用がかかります。
1964年に管理は市に委託するようにしましたが、「他の財産は皆なくなっても、城だけはお前に譲る」と息子の成瀬正俊さんに言い残して、1973年に亡くなりました。
成瀬正俊さんは、当時、東京のテレビ局に勤務していました。
10以上前から、運動機能が低下する病気になり、東京で入退院をするようになりました。
長女の成瀬淳子さんを、2000年に城主代理にして、対外交渉に当たらせました。
成瀬淳子さんは、印刷会社等で営業の経験があり、市の担当者と交渉しましたが、城の入場者収入も減り、成瀬家秘蔵の合戦屏風や相続税を考えると財団法人設立が必要になりました。
入院中の成瀬正俊に相談すると、
「じゃあ、やれば」と、城主代理を任せた以上は、一切、口を挟まないという考えでした。
2004年4月に、財団法人「犬山城白帝文庫」が誕生しました。
理事長には、成瀬淳子さんが就任しました。
淳子さんは7年前から犬山に住み、毎朝、城の天守閣を見るのが日課ということです。
---------------
お城の城主の方は、その地域の著名人なのだから、手広く商売をしたりして、お金持ちなのではというイメージがありました。
サラリーマンだと、お城を個人所有していると維持費もかかるのですね。
現代になっても、娘さんが跡を継いで管理に当たっていらっしゃることに、感心しました。
愛知県の犬山城は、歴代の城主が個人所有で維持してきましたが、12代目の娘さんの代で財団法人にしたのだそうです。
城主の成瀬家は、先祖は尾張藩の付家老でした。
犬山城を与えられたのは、江戸時代の初めでした。
明治維新で、県の所有となっていました。
118年前の濃尾地震で一部が破損し、現存する国内最古の天守閣の修復を願い出て、成瀬家に返され、全国でも珍しい個人所有の城となりました。
犬山城は国宝のため、修理や管理が必要ですが、個人所有だと国からの補助がわずかなのだそうです。
11代目城主だった成瀬正勝さんは、東大教授で文芸評論家でもありました。
修理費や管理費の工面に苦労されていました。
台風の季節になると、城の瓦が飛ぶのは毎年のことですが、漆喰の壁が大きくはげ落ちたりすると多額の費用がかかります。
1964年に管理は市に委託するようにしましたが、「他の財産は皆なくなっても、城だけはお前に譲る」と息子の成瀬正俊さんに言い残して、1973年に亡くなりました。
成瀬正俊さんは、当時、東京のテレビ局に勤務していました。
10以上前から、運動機能が低下する病気になり、東京で入退院をするようになりました。
長女の成瀬淳子さんを、2000年に城主代理にして、対外交渉に当たらせました。
成瀬淳子さんは、印刷会社等で営業の経験があり、市の担当者と交渉しましたが、城の入場者収入も減り、成瀬家秘蔵の合戦屏風や相続税を考えると財団法人設立が必要になりました。
入院中の成瀬正俊に相談すると、
「じゃあ、やれば」と、城主代理を任せた以上は、一切、口を挟まないという考えでした。
2004年4月に、財団法人「犬山城白帝文庫」が誕生しました。
理事長には、成瀬淳子さんが就任しました。
淳子さんは7年前から犬山に住み、毎朝、城の天守閣を見るのが日課ということです。
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お城の城主の方は、その地域の著名人なのだから、手広く商売をしたりして、お金持ちなのではというイメージがありました。
サラリーマンだと、お城を個人所有していると維持費もかかるのですね。
現代になっても、娘さんが跡を継いで管理に当たっていらっしゃることに、感心しました。