ある40代女性の生活

40代女性の生活の一例です。
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エイズ薬開発、金銀銅: 満屋裕明さん

2009年03月14日 10時19分32秒 | 新聞
昨日の朝日新聞夕刊に、「ニッポン人脈記 感染症ウォーズ7 「これだ」初のエイズ薬」という記事がありました。

抗エイズ薬の、世界1、2、3番目は満屋裕明さんという日本人が開発し、4番目もお弟子さんと開発したのだそうです。

満屋裕明さん(58歳)は、1984年に留学中のアメリカ国立保健研究所で、上司に、「エイズの薬を作ってみないか」と言われました。

当時は、エイズウイルスが発見されたばかりで、治療法もなく、死者が続出していました。

満屋さんは、白血病を研究していて、エイズは全く新しい研究領域です。
実験中に感染すると、死ぬかもしれません。

「怖くなかったと言えばウソになる。でも、医者なんだからやるしかないな、という感じ。蛮勇だったかもしれませんね」

同じ実験室を使う同僚や助手は、激しく反発したそうです。

「妊娠中の私に、そんなウイルスを近づけないで」
「絶対嫌だ。ここで実験するなら、私は辞める」

みんなが嫌なら、1人でやると決めましたが、実験室を締め出されてしまいました。

途方に暮れ、別の部署でエイズの基礎研究をしていたロバート・ギャロさんの実験室を、空いている夜間だけ使わせてもらうことにしました。

毎晩、道具をかごに詰め、歩いて10分ほど離れた実験室に運んで研究を続けました。

エイズウイルスは、免疫をつかさどるT細胞を殺します。

感染しても細胞を生き延びさせる化学物質を見つければ、治療薬になるはずだ。
満屋さんは、T細胞の培養技術に焦点を合わせます。

ウイルスに効く化学物を求め、10数種類を試しました。

ある日、ウイルスと化合物を注入した試験管の中の細胞が全部、生き残っていました。
「これだ!」心が震えました。

これが、1987年に世界初の抗エイズ薬「AZT」になります。

その後、第2、第3の化合物でも効果を確認し、世界初から3番目までの薬開発につながりました。
金銀銅を独り占めにしました。

その後、耐性ウイルスが発生することが分かり、1997年に母校の熊本大学の教授を兼任し、ここで第4の新薬を開発し、一緒に開発したお弟子さんは、5月からハーバード大学に留学する、ということでした。
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そんなすごい開発をした日本人がいらっしゃったのですね。

地味な分野なので、今まであまり報道されなかったのでしょうか。


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長野県: おやき

2009年03月14日 09時39分38秒 | 新聞
昨日の朝日新聞に入っていた「マリオン・プレゼント」(2009年3月号)に、「郷土料理の旅 第3回 長野県・おやき」という記事がありました。

「マリオン・プレゼント」は、朝日新聞に折り込まれてくる情報誌です。

長野県のおやきは、米が取れにくい土地が生んだおふくろの味なのだそうです。

小麦粉やそば粉を練った皮で、野菜等の具を包み、焼いたり蒸したりしたものです。

縄文時代中期の遺跡(長野県小川村)で、雑穀の粉を練って焼いた跡が発見されました。

山に囲まれて水田が少ないため、小麦やそばを作るようになり、独特の「粉もの」食文化が育まれました。

いろいろな種類があり、焼き方も
 「蒸しおやき」
 「灰焼きおやき」(囲炉裏の灰の中に入れて蒸し焼きにする)
 「焼きおやき」(フライパン等で焼く)

種類も、
  北部の栄村の「あんぽ」(米粉で作る)
  南部の伊那市の「えびすこおやき」(米粉で作る)
  東部の川上村の「はりこしまんじゅう」(そば粉で作る)
  南部の飯田市の「おやき」は、薄焼きせんべいのような形

具は、
  野沢菜やナスが基本で、いろいろな種類がある
ということでした。
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長野県を旅行したときに、お店で焼きたてを食べたことがあります。

中華まんじゅうくらいの大きさで、野沢菜、野菜、あんこ、チーズ等がありました。

結構、1個でお腹が満たされます。

忙しい農作業の合間に、保存がきく小麦粉を練って、夏は野菜、冬は野沢菜を包み、囲炉裏の灰に埋めておけばできあがる、そんな食べ物だったのだろうかと想像しました。



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