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ケン太とのprecious days

3度の不登校を経て、なんとか高校を卒業し、社会人になったケン太。社会での成長&安定を見守る母のブログです。

震災から10年・・・当時を振り返る。

2021-03-11 23:01:33 | 家庭生活
今日は3月11日。
東日本大震災からちょうど10年になります。

朝からあちこちで特集をやっていて、涙腺が緩みっぱなしの1日でした。
震災の時に生まれたお子さん。
ご両親を亡くされたお子さん。
その後の10年を追い、当時の姿と、今、成長した姿と。
そして被災地の様子と・・・

10年という長い年月を感じると共に、まだまだ終わってなんだなとも実感しました。


10年前といえば、我が家では母が亡くなっています。
震災の1カ月前のことでした。

母が亡くなってから、もう10年なんだ・・・と思いました。

当時、ケン太は中学1年生。
その時はまだ問題なく学校に通っていました。

震災日は、その後、すぐ下校となったようで、早く帰ってきました。
校庭の水道管が破裂したらしく水が吹き出していたと言ってました。

当時は、問題なく学校に通っていたケン太ですが、
小学生の頃、不登校を経験しているので、震災の時、家に引きこもっていた子はどうなったんだろう。
とても気になったことを覚えています。

家族が説得して避難するように呼び掛けても、「外にはでたくない」と出ることを拒否。
そのまま津波に家ごと流されてしまったケースも多々あったようです
中には、説得していて逃げ遅れて、家族も一緒に流されてしまったケースも。
諦めて家族だけ助かったものの、あれでよかったのかと未だに自問自答する日々・・・のご家族も。

書いていて辛いですね。

すでに成人していてひきこもり10年、20年という方もいて、
そんな期間、外に出ることがなかったら、そうなってしまうんだろうな・・・と。

もちろん、10年振り、20年振りに、避難するために外に出られた方もいるのです。

でも「津波よりも、外の避難所などでの人間関係の方が怖かった」と感じてしまった方も。

避難しない方がよかったと思う方がいるとしたら・・・なんて悲しいことでしょう。


その年は不登校になった子が急増したことを覚えています。

被災地に住めなくなり、転居された方のお子さんは転校となるわけですが、
新しい土地、新しい学校に馴染めず、不登校となってしまったということです。

後はテレビで被災地の様子が毎日、流れているので、繊細な子がそれを見て不安になってしまい、
学校に行けなくなってしまったという話も身近で聞きました。

敏感で繊細なお子さん達は、震災が引き金になってしまったりするんですよね。

少し前、大きな地震があり、緊張が走りました。
余震ということで、まだまだ予断を許さないです。

とにかく津波だけは来ないで・・・と願います。
環境も大きく変わらないで・・・と祈ります。



震災当時、カーブスで東北復興プロジェクトの支援を行っていて、
現地の生産品の購入の申し込みを受け付けていました。
それ以来、ずっと買わせていただいています。

今年はコロナの影響で「業務用」の生産品も行き場を失っているようです。
それで、新たに出てきた?「牡蠣三枚セット」にしてみました。




そして早速、かきごはん。



スープを入れてご飯を炊いて、味付き牡蠣を混ぜるだけ。
プリプリしていて味がしみていて美味しかった~
主人からずっと聞いてない「おかわり」という言葉が出ましたよ。

(画像やっと添付できることに。ただ、今までのやり方ではまだできない



そして、これも・・・






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